太平記 ~ もうひとつの「遥かなる五芒星の旅」ツーリング ~ 後編 【大阪 阿部野神社】 [日記]
今回も「遥かなる五芒星の旅」ツーリングの寄り道記事の後編デス。^^
三重県鳥羽市の「海の博物館」へ行った翌日、海女さんたちの不思議な魔除け「セーマン・ドーマン」の五芒星を求めて、大阪・京都へと旅立ちました。
は~い、ここはスキー場のゲレンデではありません。
新名神高速道路の土山サービスエリアです。^^
前日の雪で、えらいことになってました。
道の方は全然大丈夫だったのですが・・・。(笑)
おっ、発見しました!^^
高速道路のバイク駐輪場でバイクカバー掛けてる人・・・。
この方、バイクカバー持参で走っているのでしょうかね~。スゴイな~。^^
自分は雪が降ったら基本的にバイクに乗りませんが、豪雪地帯へのツーリングはバイクカバーが必需品なのでしょうかね~。
さて、雪の滋賀県を抜けて京都に入る頃には、すっかりまわりの雪景色も消えて青空も見えてくるようになっていました。
まずは、大阪の阿倍野の阿倍王子神社(あべおうじ神社)へ・・・
阿倍王子神社は、和歌山県の熊野本宮、新宮、那智大社いわゆる熊野三山の末社で阿倍野王子と呼ばれた王子社(おうじしゃ)です。
「王子社」とは中世の熊野街道に沿って熊野詣の途中の休憩と遥拝の為のお宮としてたくさん設けられた神社の一つで、「熊野九十九王子(くまのきゅうじゅうきゅうおうじ)」とも呼ばれてました。この神社は阿倍野の地にあったことから阿倍野王子と呼ばれました。
なのでここには・・・
熊野へ通じる街道が通っていました。
で、このあと安倍晴明神社へ行ったのですが、安倍晴明神社はここ阿倍王子神社の境外社で、阿倍王子神社から50mぐらい離れたところにありました。^^
ここ安倍晴明神社では、迷える人々のために占いをやっています。^^
安倍晴明神社でタロットカード占いですか・・・。フフフ・・・晴明公はなんて思うかな・・・。(笑)
そうそう、ここ阿倍野へ来る前に、地図でこの辺りを調べていたら、気になる地名を発見しました。
【北畠】・・・
「北畠」といえば、戦国時代の伊勢国にゆかりのある名前です。
伊勢国は織田信長が侵攻してくるまでは、北畠氏が支配していました。
なので「北畠」といえば三重県に住んでいものとしては、いささか気になる地名なのですね。^^
で、気になるので調べてみましたら、やはりあの「北畠氏」に」ゆかりのある場所だったのです。
北畠にある阿部野神社へ行ってみました。あっ、ややこしいですが阿倍王子神社ではありませんよ。^^
そう、この神社の御祭神は、北畠親房(きたばたけ ちかふさ)公と北畠顕家(きたばたけ あきいえ)公です。
時代は古典小説「太平記」の時代、鎌倉末期の南北朝時代を舞台に後醍醐天皇のために奔走した父 北畠親房公と足利勢との戦いの中で21歳の若さで散ったその子 北畠顕家公が祀られています。
この地は北畠顕家公が足利勢と戦った古戦場なのだそうです。
花将軍とたたえられた若き北畠顕家公にふさわしい柔らかな色合いの社殿です。
正月飾りがとても華やかに感じられました。
北畠顕家公の像がありました・・・
この像を見たとき、なんだか以前同じような像を見たような気がしました。
それは・・・
この像は三重県美杉村にある北畠神社にある北畠顕家公の像です。
これはまったく同じですよね・・・。^^
ここ三重県の北畠神社は伊勢北畠氏の拠点だった所です。北畠親房公の三男である北畠顕能公を祖とします。
あはは、藤堂高虎公のときも同じ銅像を見つけましたので、これで「同じ銅像シリーズ」のツーペアになっちゃいました。こんなことってあるんだな~。(笑)
古典小説の「太平記」では、北畠顕家公は奮戦むなしく阿倍野の露と消えたとなっています。
なので、近くにある北畠公園へ・・・
そうです、この北畠公園には北畠顕家公の墓所があります。
顕家公の父 親房公が書いた「神皇正統記」では、堺の石津川の近くで討たれたとあり、どちらで亡くなったのかは、定かではありません。石津川の橋の近くにも供養塔があるそうです
ここは墓所なのですが子供達のための公園になっています。
顕家公の墓所とすべり台・・・。過去と現代が共存している不思議な空間です。
さ~て、このあとは大阪を後にして京都へ・・・
不思議な魔除けの「五芒星」を求めて、晴明神社と安倍晴明公の墓所へ行きましたね。^^
せっかくなので、京都の桂川にかかる渡月橋へ行ってみました。
この渡月橋は、観光地としての嵐山を象徴する橋ともなっており、橋の欄干部分は木造なのですが、橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製で出来ています。(笑)
望遠が欲しい。。。。
遠くから見るとカラスかなって思っていましたが、こうしてみてみると違うようですね。
なんて鳥だろ・・・
望遠が欲しい。。。。 その前にデジイチもっていなかったっけ。。。。(笑)
渡月橋は有名な観光地なのでおみやげ屋さんがいっぱいデス。
ほほほ・・・ 梅宮の辰っちゃん発見!^^
あはは~、似てないんですけど~。(笑)
でも、漬物は美味しかったですよ~。
「てっぽう漬」・・・きゅうりに山ごぼうが入っている漬物です。試食して美味しかったのでおみやげに購入しました~。
今回は不思議な魔除けの「五芒星」(ごぼうせい)を求めてのツーリングでしたが、最後は「てっぽう漬」の山ごぼうで締めました~。お後がよろしいようで・・・(笑)
帰りはすっかり暗くなっちゃいました。なので、メッチャ寒い~。TT
では、また。
三重県鳥羽市の「海の博物館」へ行った翌日、海女さんたちの不思議な魔除け「セーマン・ドーマン」の五芒星を求めて、大阪・京都へと旅立ちました。
は~い、ここはスキー場のゲレンデではありません。
新名神高速道路の土山サービスエリアです。^^
前日の雪で、えらいことになってました。
道の方は全然大丈夫だったのですが・・・。(笑)
おっ、発見しました!^^
高速道路のバイク駐輪場でバイクカバー掛けてる人・・・。
この方、バイクカバー持参で走っているのでしょうかね~。スゴイな~。^^
自分は雪が降ったら基本的にバイクに乗りませんが、豪雪地帯へのツーリングはバイクカバーが必需品なのでしょうかね~。
さて、雪の滋賀県を抜けて京都に入る頃には、すっかりまわりの雪景色も消えて青空も見えてくるようになっていました。
まずは、大阪の阿倍野の阿倍王子神社(あべおうじ神社)へ・・・
阿倍王子神社は、和歌山県の熊野本宮、新宮、那智大社いわゆる熊野三山の末社で阿倍野王子と呼ばれた王子社(おうじしゃ)です。
「王子社」とは中世の熊野街道に沿って熊野詣の途中の休憩と遥拝の為のお宮としてたくさん設けられた神社の一つで、「熊野九十九王子(くまのきゅうじゅうきゅうおうじ)」とも呼ばれてました。この神社は阿倍野の地にあったことから阿倍野王子と呼ばれました。
なのでここには・・・
熊野へ通じる街道が通っていました。
で、このあと安倍晴明神社へ行ったのですが、安倍晴明神社はここ阿倍王子神社の境外社で、阿倍王子神社から50mぐらい離れたところにありました。^^
ここ安倍晴明神社では、迷える人々のために占いをやっています。^^
安倍晴明神社でタロットカード占いですか・・・。フフフ・・・晴明公はなんて思うかな・・・。(笑)
そうそう、ここ阿倍野へ来る前に、地図でこの辺りを調べていたら、気になる地名を発見しました。
【北畠】・・・
「北畠」といえば、戦国時代の伊勢国にゆかりのある名前です。
伊勢国は織田信長が侵攻してくるまでは、北畠氏が支配していました。
なので「北畠」といえば三重県に住んでいものとしては、いささか気になる地名なのですね。^^
で、気になるので調べてみましたら、やはりあの「北畠氏」に」ゆかりのある場所だったのです。
北畠にある阿部野神社へ行ってみました。あっ、ややこしいですが阿倍王子神社ではありませんよ。^^
そう、この神社の御祭神は、北畠親房(きたばたけ ちかふさ)公と北畠顕家(きたばたけ あきいえ)公です。
時代は古典小説「太平記」の時代、鎌倉末期の南北朝時代を舞台に後醍醐天皇のために奔走した父 北畠親房公と足利勢との戦いの中で21歳の若さで散ったその子 北畠顕家公が祀られています。
この地は北畠顕家公が足利勢と戦った古戦場なのだそうです。
花将軍とたたえられた若き北畠顕家公にふさわしい柔らかな色合いの社殿です。
正月飾りがとても華やかに感じられました。
北畠顕家公の像がありました・・・
この像を見たとき、なんだか以前同じような像を見たような気がしました。
それは・・・
この像は三重県美杉村にある北畠神社にある北畠顕家公の像です。
これはまったく同じですよね・・・。^^
ここ三重県の北畠神社は伊勢北畠氏の拠点だった所です。北畠親房公の三男である北畠顕能公を祖とします。
あはは、藤堂高虎公のときも同じ銅像を見つけましたので、これで「同じ銅像シリーズ」のツーペアになっちゃいました。こんなことってあるんだな~。(笑)
古典小説の「太平記」では、北畠顕家公は奮戦むなしく阿倍野の露と消えたとなっています。
なので、近くにある北畠公園へ・・・
そうです、この北畠公園には北畠顕家公の墓所があります。
顕家公の父 親房公が書いた「神皇正統記」では、堺の石津川の近くで討たれたとあり、どちらで亡くなったのかは、定かではありません。石津川の橋の近くにも供養塔があるそうです
ここは墓所なのですが子供達のための公園になっています。
顕家公の墓所とすべり台・・・。過去と現代が共存している不思議な空間です。
さ~て、このあとは大阪を後にして京都へ・・・
不思議な魔除けの「五芒星」を求めて、晴明神社と安倍晴明公の墓所へ行きましたね。^^
せっかくなので、京都の桂川にかかる渡月橋へ行ってみました。
この渡月橋は、観光地としての嵐山を象徴する橋ともなっており、橋の欄干部分は木造なのですが、橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製で出来ています。(笑)
望遠が欲しい。。。。
遠くから見るとカラスかなって思っていましたが、こうしてみてみると違うようですね。
なんて鳥だろ・・・
望遠が欲しい。。。。 その前にデジイチもっていなかったっけ。。。。(笑)
渡月橋は有名な観光地なのでおみやげ屋さんがいっぱいデス。
ほほほ・・・ 梅宮の辰っちゃん発見!^^
あはは~、似てないんですけど~。(笑)
でも、漬物は美味しかったですよ~。
「てっぽう漬」・・・きゅうりに山ごぼうが入っている漬物です。試食して美味しかったのでおみやげに購入しました~。
今回は不思議な魔除けの「五芒星」(ごぼうせい)を求めてのツーリングでしたが、最後は「てっぽう漬」の山ごぼうで締めました~。お後がよろしいようで・・・(笑)
帰りはすっかり暗くなっちゃいました。なので、メッチャ寒い~。TT
では、また。