冬の長浜へ・・・ 石田三成の終幕そして出逢い・・・ 【滋賀県 長浜市】 [日記]
は~い、皆さま、少しずつ寒さも和らいで来て、春も少しづつ近づいてきているなあって感じの今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。^^
今回は、ワゴンRでのお出かけです。
この日は、前回の松平郷に行った日の翌日、2月13日(日)ですね。
前日の夜からチラホラと雪が降り始め、翌朝にはやんでいたのですが、路面がウエットな状態でしたので、バイクでのお出かけは止めときました。TT
なので今回はワゴンRでGo!
自分の家からちょっと行ったところにある、いなべ市の両ヶ池にも薄っすら雪が積もっていました。
カモさんたちも寒そうデス。
さて、今回は何処へ行こうかな・・・。
そういえば滋賀県の長浜市にある長浜城で浅井三姉妹の企画展をやっていたな~ってことで、
今回は長浜城へ・・・。
三重県の自分家から滋賀県の長浜市へは岐阜県の関ヶ原を通って行きますので、ちょっと関ヶ原の古戦場へ寄り道します。^^
慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)午前8時、朝霧がたちこめる関ヶ原で・・・
徳川家康率いる東軍と・・・
石田三成率いる西軍が・・・
この関ヶ原の地で激突しました。
そう、皆さんよくご存知の、天下分目の合戦 『関ヶ原の戦い』です。
ここ決戦地は激戦を経て、戦の勝敗が決まった場所ですね。
この決戦地から笹尾山の石田三成の陣が見えます。
それでは、笹尾山の石田三成の陣へ行ってみましょう。
笹尾山の石田三成の陣の麓には石田三成の猛将『島 左近』の陣跡があります。
『島 左近』がどんな人だったかというと・・・
こんな人だったみたいです。(笑) どこかで見たぞ・・・ 《しまさこにゃん》 ^^
まあ、石田三成がその家禄の半分を与えて召抱えたほどの武将ですが、肖像画などは一切残っていなくてよくわからないんですね。^^
島 左近の陣近くから関ヶ原決戦地を望みます。
現在の関ヶ原決戦地あたりは農地となっていて、その平和な風景から普段はなかなか天下分目の戦いのイメージをしにくいのですが、今日は薄っすらと雪景色なので、かつての激闘をイメージし易いですね。^^
はじめは有利に戦った西軍でしたが、小早川秀秋の裏切りにより西軍は総崩れとなります。
石田隊の前線で東軍の田中吉政、黒田長政と激しい戦いを行っていた左近は、敗色濃厚となるや討ち死にを決意。残り少ない兵で正面の田中吉政、黒田長政隊に突撃を敢行。
その戦いぶりは凄まじく、瞬く間に田中隊を300メートルも後退させる奮闘を見せたのですが、やがて力尽き討ち死にしたそうです。
「彼の戦場での姿を思い出すと身も凍る思いがする」・・・後に黒田家の武将がこう語ったといいます。
東軍の名だたる武将たちを震え上がらせた男・・・島 左近
そんな島 左近に思いを馳せながら、笹尾山の石田三成の陣跡へ・・・
何度も雪が降っては凍ったのでしょう。雪がガチガチに凍りついていて登りづらいです。TT
で、石田三成陣跡へ到着~。
では、三成の陣から関ヶ原を見渡しましょう。
関ヶ原の戦い開戦当初、徳川家康は桃配山に陣を張っていました。
こんな感じで三成は家康と対峙し、東西合わせて16万を超える軍勢の激闘を見つめていたのでしょう。
家康は戦いが進むにつれ、桃配山から前方へ陣を進めます。
普通なら挟撃される可能性がある場所へ陣を進めないだろうって思うけど、こうしてみると家康は背後から毛利軍が襲ってこない絶対の自信があったんだろうなって思います。
家康は内応を約していた小早川秀秋隊が、動かないことに業を煮やして、松尾山に向かって威嚇射撃を加えました。迷いに迷っていた小早川秀秋は、松尾山から一気に東軍の藤堂・京極隊と激戦を繰り広げていた大谷吉継隊の右翼を攻撃します・・・。
笹尾山の石田三成の陣から松尾山の小早川秀秋の陣ははっきりと見えます。
三成は小早川秀秋のこの裏切りをどのように見つめていたのでしょうか。
小早川秀秋らの裏切りにより、西軍の大谷隊は壊滅し、東軍は総攻撃を開始します。
西軍は総崩れとなり、石田隊も島 左近らの奮戦むなしく壊滅します。
ここに天下分目の合戦は雌雄を決しました・・・。
戦場を離脱した三成は、伊吹山から近江の古橋村へ逃れましたが、やがて家康の手の者に捕縛されました。
そして、家康の命により六条河原で斬首され、その波乱に満ちた生涯に幕を降ろしました。
享年41歳でした。
さて、ワゴンRは滋賀県の長浜を目指して北上します。
気温は1℃。バイクだと凍えていますが、今日は車なので暖か~。^^
途中、伊吹山をバックに記念撮影~。
『伊吹山』・・・岐阜県と滋賀県の境にあり、滋賀県の最高峰で霊山ですね。
自分にとっては「大地に描かれた五芒星」の一つです。
今は雪に覆われていて、登ることは困難ですので、暖かくなりましたら登ってみたいと思います。^^
で、琵琶湖へ~
長浜港~
びわこ縦走雪見船って風情ありますよね。乗ってみたかったな・・・。^^
カワウでしょうかね~。^^
あっそうだ、今回は長浜城の企画展に行くんだった・・・。(笑)
【長浜城】
天正元年(1573年)9月、浅井家滅亡の後、姉川の合戦と小谷攻めで手柄をあげた秀吉は、その武功によって浅井氏の領国の大部分を与えられました。
秀吉はその後、今浜の地に築城を開始し、今浜を長浜と改めました。
信長の名から一字拝領し長浜に改名したそうです。なんとも秀吉らしいなあ~。(笑)
この天守閣は昭和58年(1983年)に再興された模擬天守ですね。
今回はこれを見に来ました。^^
第2回 テーマ展 「賤ヶ岳合戦と浅井三姉妹」
テーマ展としては第2回目なので羽柴秀吉と柴田勝家の覇権争いである「賤ヶ岳合戦」と浅井三姉妹にスポットをあてた展示内容です。
三姉妹の母 お市の方が柴田勝家の妻となったため、三姉妹は北ノ庄城落城とともに母 お市の方を失う悲劇を味わうことになる・・・
まあ、大河ドラマとリンクしてる素敵な演出ですね。(笑)
写真撮影できませんので、写真はありませんが、三姉妹の義父 柴田勝家関係の展示が充実していた企画展でした~。
三姉妹と父 浅井長政や母 お市の方との悲しい別れのシーンが書かれた絵もありましたよ~。^^
天守閣の展望室からの琵琶湖の眺めです。晴れていたらもっと綺麗なのにな~。
長浜城を出て、街の方へ・・・
秀吉の頃の長浜城の推定復元図ですね。
秀吉が小谷城から長浜城へ拠点を移した理由は、やっぱり琵琶湖の水運でしょうね。
長浜は秀吉が造った街です。現在でも長浜は湖北の水運・陸運の拠点です。
そして、長浜の街をブラブラ~。^^
腹へった~。長浜名物でも食べに行きますか~。
『焼鯖そうめん』 ~ ^^
《翼果楼》 YOKARO
創業以来、守り続けた郷土料理「焼鯖そうめん」の専門店。
店内は築200年の商家を生かした造りとなっております。^^
注文したのは・・・
焼鯖寿司とセットになった 『鯖街道』
長浜には、「五月見舞い」といって、農家へ嫁いだ娘のもとへ、娘を案じる親が焼鯖を届ける風習があります。その焼鯖とそうめんを炊き合わせて作る「焼鯖そうめん」は長浜の郷土料理です。
琵琶湖に面した長浜がなぜ「鯖」なのかって思う方もいらっしゃると思いますが、琵琶湖の西方にその昔、若狭国の小浜藩から「京の都」へ、若狭湾で獲れた鯖などの海産物を運んだ「鯖街道」といわれた道があったそうです。
水運の発達した長浜では北国の海産物を容易に手に入れることができたのでしょう。
そんな、親の愛、おもてなしの心がこもった「焼鯖そうめん」をいっただきます~。^^
ほほっ、いけるなコレ・・・。
焼さばを甘辛く炊き込んで、そのだし汁で茹で上がったそうめんを軽く炊いて、そうめんの上に炊いた焼さばを盛り付けたものですね。
芸が細かいことに、お吸い物には鯖が泳いでいます。^^
御飯ものが好きな自分は焼鯖寿司が美味しかった・・・
油が乗った焼鯖とシャリの間に・・・
生姜スライスが挟んであります。
これが絶品! 美味い~。^^
秀吉が造った長浜の街は、江戸時代の面影を残す古い街並みと、ガラス工房、ステンドグラスや世界のガラス芸術を展示するギャラリーなどをはじめ、ノスタルジックな趣が漂うガラスの町「黒壁スクエア」が魅力です。
そんな素敵な街 長浜・・・
JR長浜駅前にはこんな像があります・・・
《出逢い》
秀吉と出逢ってからすべてが始まりました・・・。
信長の 一字貰いし 長浜で 出逢いし佐吉 恩に報いん ~ susumu ~
秀吉も信長と出逢ったように、三成もまた秀吉と出逢った。
人は、その人にとって人生を賭けるに値する人と出逢うことがあるのですね・・・。
では、また。
今回は、ワゴンRでのお出かけです。
この日は、前回の松平郷に行った日の翌日、2月13日(日)ですね。
前日の夜からチラホラと雪が降り始め、翌朝にはやんでいたのですが、路面がウエットな状態でしたので、バイクでのお出かけは止めときました。TT
なので今回はワゴンRでGo!
自分の家からちょっと行ったところにある、いなべ市の両ヶ池にも薄っすら雪が積もっていました。
カモさんたちも寒そうデス。
さて、今回は何処へ行こうかな・・・。
そういえば滋賀県の長浜市にある長浜城で浅井三姉妹の企画展をやっていたな~ってことで、
今回は長浜城へ・・・。
三重県の自分家から滋賀県の長浜市へは岐阜県の関ヶ原を通って行きますので、ちょっと関ヶ原の古戦場へ寄り道します。^^
慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)午前8時、朝霧がたちこめる関ヶ原で・・・
徳川家康率いる東軍と・・・
石田三成率いる西軍が・・・
この関ヶ原の地で激突しました。
そう、皆さんよくご存知の、天下分目の合戦 『関ヶ原の戦い』です。
ここ決戦地は激戦を経て、戦の勝敗が決まった場所ですね。
この決戦地から笹尾山の石田三成の陣が見えます。
それでは、笹尾山の石田三成の陣へ行ってみましょう。
笹尾山の石田三成の陣の麓には石田三成の猛将『島 左近』の陣跡があります。
『島 左近』がどんな人だったかというと・・・
こんな人だったみたいです。(笑) どこかで見たぞ・・・ 《しまさこにゃん》 ^^
まあ、石田三成がその家禄の半分を与えて召抱えたほどの武将ですが、肖像画などは一切残っていなくてよくわからないんですね。^^
島 左近の陣近くから関ヶ原決戦地を望みます。
現在の関ヶ原決戦地あたりは農地となっていて、その平和な風景から普段はなかなか天下分目の戦いのイメージをしにくいのですが、今日は薄っすらと雪景色なので、かつての激闘をイメージし易いですね。^^
はじめは有利に戦った西軍でしたが、小早川秀秋の裏切りにより西軍は総崩れとなります。
石田隊の前線で東軍の田中吉政、黒田長政と激しい戦いを行っていた左近は、敗色濃厚となるや討ち死にを決意。残り少ない兵で正面の田中吉政、黒田長政隊に突撃を敢行。
その戦いぶりは凄まじく、瞬く間に田中隊を300メートルも後退させる奮闘を見せたのですが、やがて力尽き討ち死にしたそうです。
「彼の戦場での姿を思い出すと身も凍る思いがする」・・・後に黒田家の武将がこう語ったといいます。
東軍の名だたる武将たちを震え上がらせた男・・・島 左近
そんな島 左近に思いを馳せながら、笹尾山の石田三成の陣跡へ・・・
何度も雪が降っては凍ったのでしょう。雪がガチガチに凍りついていて登りづらいです。TT
で、石田三成陣跡へ到着~。
では、三成の陣から関ヶ原を見渡しましょう。
関ヶ原の戦い開戦当初、徳川家康は桃配山に陣を張っていました。
こんな感じで三成は家康と対峙し、東西合わせて16万を超える軍勢の激闘を見つめていたのでしょう。
家康は戦いが進むにつれ、桃配山から前方へ陣を進めます。
普通なら挟撃される可能性がある場所へ陣を進めないだろうって思うけど、こうしてみると家康は背後から毛利軍が襲ってこない絶対の自信があったんだろうなって思います。
家康は内応を約していた小早川秀秋隊が、動かないことに業を煮やして、松尾山に向かって威嚇射撃を加えました。迷いに迷っていた小早川秀秋は、松尾山から一気に東軍の藤堂・京極隊と激戦を繰り広げていた大谷吉継隊の右翼を攻撃します・・・。
笹尾山の石田三成の陣から松尾山の小早川秀秋の陣ははっきりと見えます。
三成は小早川秀秋のこの裏切りをどのように見つめていたのでしょうか。
小早川秀秋らの裏切りにより、西軍の大谷隊は壊滅し、東軍は総攻撃を開始します。
西軍は総崩れとなり、石田隊も島 左近らの奮戦むなしく壊滅します。
ここに天下分目の合戦は雌雄を決しました・・・。
戦場を離脱した三成は、伊吹山から近江の古橋村へ逃れましたが、やがて家康の手の者に捕縛されました。
そして、家康の命により六条河原で斬首され、その波乱に満ちた生涯に幕を降ろしました。
享年41歳でした。
さて、ワゴンRは滋賀県の長浜を目指して北上します。
気温は1℃。バイクだと凍えていますが、今日は車なので暖か~。^^
途中、伊吹山をバックに記念撮影~。
『伊吹山』・・・岐阜県と滋賀県の境にあり、滋賀県の最高峰で霊山ですね。
自分にとっては「大地に描かれた五芒星」の一つです。
今は雪に覆われていて、登ることは困難ですので、暖かくなりましたら登ってみたいと思います。^^
で、琵琶湖へ~
長浜港~
びわこ縦走雪見船って風情ありますよね。乗ってみたかったな・・・。^^
カワウでしょうかね~。^^
あっそうだ、今回は長浜城の企画展に行くんだった・・・。(笑)
【長浜城】
天正元年(1573年)9月、浅井家滅亡の後、姉川の合戦と小谷攻めで手柄をあげた秀吉は、その武功によって浅井氏の領国の大部分を与えられました。
秀吉はその後、今浜の地に築城を開始し、今浜を長浜と改めました。
信長の名から一字拝領し長浜に改名したそうです。なんとも秀吉らしいなあ~。(笑)
この天守閣は昭和58年(1983年)に再興された模擬天守ですね。
今回はこれを見に来ました。^^
第2回 テーマ展 「賤ヶ岳合戦と浅井三姉妹」
テーマ展としては第2回目なので羽柴秀吉と柴田勝家の覇権争いである「賤ヶ岳合戦」と浅井三姉妹にスポットをあてた展示内容です。
三姉妹の母 お市の方が柴田勝家の妻となったため、三姉妹は北ノ庄城落城とともに母 お市の方を失う悲劇を味わうことになる・・・
まあ、大河ドラマとリンクしてる素敵な演出ですね。(笑)
写真撮影できませんので、写真はありませんが、三姉妹の義父 柴田勝家関係の展示が充実していた企画展でした~。
三姉妹と父 浅井長政や母 お市の方との悲しい別れのシーンが書かれた絵もありましたよ~。^^
天守閣の展望室からの琵琶湖の眺めです。晴れていたらもっと綺麗なのにな~。
長浜城を出て、街の方へ・・・
秀吉の頃の長浜城の推定復元図ですね。
秀吉が小谷城から長浜城へ拠点を移した理由は、やっぱり琵琶湖の水運でしょうね。
長浜は秀吉が造った街です。現在でも長浜は湖北の水運・陸運の拠点です。
そして、長浜の街をブラブラ~。^^
腹へった~。長浜名物でも食べに行きますか~。
『焼鯖そうめん』 ~ ^^
《翼果楼》 YOKARO
創業以来、守り続けた郷土料理「焼鯖そうめん」の専門店。
店内は築200年の商家を生かした造りとなっております。^^
注文したのは・・・
焼鯖寿司とセットになった 『鯖街道』
長浜には、「五月見舞い」といって、農家へ嫁いだ娘のもとへ、娘を案じる親が焼鯖を届ける風習があります。その焼鯖とそうめんを炊き合わせて作る「焼鯖そうめん」は長浜の郷土料理です。
琵琶湖に面した長浜がなぜ「鯖」なのかって思う方もいらっしゃると思いますが、琵琶湖の西方にその昔、若狭国の小浜藩から「京の都」へ、若狭湾で獲れた鯖などの海産物を運んだ「鯖街道」といわれた道があったそうです。
水運の発達した長浜では北国の海産物を容易に手に入れることができたのでしょう。
そんな、親の愛、おもてなしの心がこもった「焼鯖そうめん」をいっただきます~。^^
ほほっ、いけるなコレ・・・。
焼さばを甘辛く炊き込んで、そのだし汁で茹で上がったそうめんを軽く炊いて、そうめんの上に炊いた焼さばを盛り付けたものですね。
芸が細かいことに、お吸い物には鯖が泳いでいます。^^
御飯ものが好きな自分は焼鯖寿司が美味しかった・・・
油が乗った焼鯖とシャリの間に・・・
生姜スライスが挟んであります。
これが絶品! 美味い~。^^
秀吉が造った長浜の街は、江戸時代の面影を残す古い街並みと、ガラス工房、ステンドグラスや世界のガラス芸術を展示するギャラリーなどをはじめ、ノスタルジックな趣が漂うガラスの町「黒壁スクエア」が魅力です。
そんな素敵な街 長浜・・・
JR長浜駅前にはこんな像があります・・・
《出逢い》
秀吉と出逢ってからすべてが始まりました・・・。
信長の 一字貰いし 長浜で 出逢いし佐吉 恩に報いん ~ susumu ~
秀吉も信長と出逢ったように、三成もまた秀吉と出逢った。
人は、その人にとって人生を賭けるに値する人と出逢うことがあるのですね・・・。
では、また。
「松平郷」 徳川家康公の祖先 松平氏発祥の地へ・・・ 【愛知県 豊田市 松平郷】 [日記]
は~い皆様、ご無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか。^^
今回はここに来ています。^^
【松平郷】
愛知県豊田市の市街地から東へ離れた山村に位置し、豊かな自然に包まれている『松平郷』。
ここは江戸時代を治めた徳川家 『徳川家康』 のルーツである松平家発祥の地として、当時の面影を今に伝えています。
前回、豊田市を訪れたときに、本当はここへも行きたかったのですが、時間がなくて今回また豊田市へ来てみました・・・。(笑)
豊田市の市街地から松平郷まで約10kmぐらいの距離なのですが、とても同じ豊田市とは思えないほど豊かな自然に囲まれています。(笑)
松平郷の史跡観光案内図で位置を確認。 フムフム、まずは「松平城址」へ行きますか・・・。^^
ここは松平城址への登り口です。
「松平城」は松平家の始祖 松平親氏(ちかうじ)公が室町時代前半に築城したと伝えられています。
略系図を見ると、松平親氏公は徳川家康公の8代前に当たるみたいですね。
まあ、普段は松平郷の居館に住んでいて、いざ戦いとなるとこのお城に立てこもって戦ったようですね。^^
それでは「松平城」へ登城しますか・・・。
山城をズンズン主郭へと登って行きます。
標高300mの山なのですが、登り口から180mぐらいなので、楽~。^^
やっぱり山城登るのは寒い季節がいいかもね・・・。
暑くないし~。草もボーボーぢゃないし~。熊も冬眠してるし~。(笑)
さて、山頂の主郭へ到着です。
まだ、前日の雪が残っていました。
まあ、こんな日に松平城の城址に登ってる人は、自分しかいませんね。(笑)
昔の縄張図をみるとこんな感じだったみたいです。
山腹には山を包むように約400mの空堀の跡が残っているそうです。
それでは、曲輪を巡りながら下りていきます。^^
松平氏の始祖である親氏公は、近隣7ヶ村を手中にし松平氏の勢力拡大のきっかけをつくった人です。
その後、代々の松平氏は安城・岡崎に勢力を広げ、その地を拠点として西三河の大半を手中にし、戦国時代の一大勢力となっていきました。
しかし、東の今川氏と西の織田氏に攻められるようになってからは、次第にその勢力は衰えていきました・・・。
それでは、『松平東照宮』へ行ってみます。^^
おやっ、祭りですか~。^^
松平郷を訪れた日は、2月12日(土)だったので、翌日に「天下祭」が行われたようです。
裸男たちの勇壮な「練り込み」と「玉競り」が見ものだそうです。^^
それにしても・・・
楽しそう~。(笑)
ヘイ、「松平東照宮」に到着しました。
「東照宮」ですね・・・ここは徳川家康公が祀られています。
立身出世の神や政治の守神というのはわかりますが、安産の神でもあるのですね。^^
徳川家康は子沢山だったからかな・・・。(笑)
このお堀や石垣は関ヶ原の合戦のあとに築かれたそうです。
では、社殿へ行ってみましょう。^^
派手さはありませんが、なかなかどうして趣きがありますね~。^^
それでは、家康公の産湯に使われたという「産湯の井戸」へ・・・
フムフム、「安産の神」は家康公の産湯に使われたところからきているわけですね・・・。
なので・・・
『ええぃ、頭が高~い』
ここの石灯籠には、「この紋処が目に入らぬか~」オーラが出ていました。(笑)
そんな恐れ多そうな『産湯の井戸』はこれです。^^
奥には「産八幡の宮」がありました。
まあ、「産湯の井戸」より、こっちの方が目立ってましたね~。^^
なぜなら・・・
金ピカな「葵の御紋」~。 (笑)
本殿にも
まさに、徳川家康公の祖先 松平氏 発祥の地ですね~。^^
そんな「松平東照宮」を後にして、「高月院」へ・・・
『高月院』 松平家の菩提寺
おっと~
なんだかグレムリンっぽい・・・。(笑)
本堂ですね・・・。^^
境内にありました~
元信君(徳川家康公)御手植の枝垂桜(シダレザクラ)
松平氏の菩提寺として、徳川家康公によって寺領100石が与えられ、明治維新まで時の将軍家から厚い保護を受けていました。
山門や本堂は、寛永18年(1641年)に三代将軍 徳川家光によって建てられたものと言われています。
春は近いのかな・・・。^^
高月院を後にして、ぶらりんしていたら、美味しそうなノボリを発見!
「天下もち」に「麦飯とろろ」ですか~。美味しそう~。^^
それでは、遅めの昼食にしますか~。^^
「麦飯とろろ」^^
とろっとろの「とろろ」を・・・
あつあつの「麦飯」にぶっかけて・・・
いただきま~す。^^
「旨い~」
こりゃ、最高ですね・・・。^^
最後は徳川家康公ゆかりの地「松平郷」にふさわしく「天下もち」をいただきます。^^
座りしままに 食うは 家康・・・
歌も餅もうまいなあ・・・(笑)
では、また
今回はここに来ています。^^
【松平郷】
愛知県豊田市の市街地から東へ離れた山村に位置し、豊かな自然に包まれている『松平郷』。
ここは江戸時代を治めた徳川家 『徳川家康』 のルーツである松平家発祥の地として、当時の面影を今に伝えています。
前回、豊田市を訪れたときに、本当はここへも行きたかったのですが、時間がなくて今回また豊田市へ来てみました・・・。(笑)
豊田市の市街地から松平郷まで約10kmぐらいの距離なのですが、とても同じ豊田市とは思えないほど豊かな自然に囲まれています。(笑)
松平郷の史跡観光案内図で位置を確認。 フムフム、まずは「松平城址」へ行きますか・・・。^^
ここは松平城址への登り口です。
「松平城」は松平家の始祖 松平親氏(ちかうじ)公が室町時代前半に築城したと伝えられています。
略系図を見ると、松平親氏公は徳川家康公の8代前に当たるみたいですね。
まあ、普段は松平郷の居館に住んでいて、いざ戦いとなるとこのお城に立てこもって戦ったようですね。^^
それでは「松平城」へ登城しますか・・・。
山城をズンズン主郭へと登って行きます。
標高300mの山なのですが、登り口から180mぐらいなので、楽~。^^
やっぱり山城登るのは寒い季節がいいかもね・・・。
暑くないし~。草もボーボーぢゃないし~。熊も冬眠してるし~。(笑)
さて、山頂の主郭へ到着です。
まだ、前日の雪が残っていました。
まあ、こんな日に松平城の城址に登ってる人は、自分しかいませんね。(笑)
昔の縄張図をみるとこんな感じだったみたいです。
山腹には山を包むように約400mの空堀の跡が残っているそうです。
それでは、曲輪を巡りながら下りていきます。^^
松平氏の始祖である親氏公は、近隣7ヶ村を手中にし松平氏の勢力拡大のきっかけをつくった人です。
その後、代々の松平氏は安城・岡崎に勢力を広げ、その地を拠点として西三河の大半を手中にし、戦国時代の一大勢力となっていきました。
しかし、東の今川氏と西の織田氏に攻められるようになってからは、次第にその勢力は衰えていきました・・・。
それでは、『松平東照宮』へ行ってみます。^^
おやっ、祭りですか~。^^
松平郷を訪れた日は、2月12日(土)だったので、翌日に「天下祭」が行われたようです。
裸男たちの勇壮な「練り込み」と「玉競り」が見ものだそうです。^^
それにしても・・・
楽しそう~。(笑)
ヘイ、「松平東照宮」に到着しました。
「東照宮」ですね・・・ここは徳川家康公が祀られています。
立身出世の神や政治の守神というのはわかりますが、安産の神でもあるのですね。^^
徳川家康は子沢山だったからかな・・・。(笑)
このお堀や石垣は関ヶ原の合戦のあとに築かれたそうです。
では、社殿へ行ってみましょう。^^
派手さはありませんが、なかなかどうして趣きがありますね~。^^
それでは、家康公の産湯に使われたという「産湯の井戸」へ・・・
フムフム、「安産の神」は家康公の産湯に使われたところからきているわけですね・・・。
なので・・・
『ええぃ、頭が高~い』
ここの石灯籠には、「この紋処が目に入らぬか~」オーラが出ていました。(笑)
そんな恐れ多そうな『産湯の井戸』はこれです。^^
奥には「産八幡の宮」がありました。
まあ、「産湯の井戸」より、こっちの方が目立ってましたね~。^^
なぜなら・・・
金ピカな「葵の御紋」~。 (笑)
本殿にも
まさに、徳川家康公の祖先 松平氏 発祥の地ですね~。^^
そんな「松平東照宮」を後にして、「高月院」へ・・・
『高月院』 松平家の菩提寺
おっと~
なんだかグレムリンっぽい・・・。(笑)
本堂ですね・・・。^^
境内にありました~
元信君(徳川家康公)御手植の枝垂桜(シダレザクラ)
松平氏の菩提寺として、徳川家康公によって寺領100石が与えられ、明治維新まで時の将軍家から厚い保護を受けていました。
山門や本堂は、寛永18年(1641年)に三代将軍 徳川家光によって建てられたものと言われています。
春は近いのかな・・・。^^
高月院を後にして、ぶらりんしていたら、美味しそうなノボリを発見!
「天下もち」に「麦飯とろろ」ですか~。美味しそう~。^^
それでは、遅めの昼食にしますか~。^^
「麦飯とろろ」^^
とろっとろの「とろろ」を・・・
あつあつの「麦飯」にぶっかけて・・・
いただきま~す。^^
「旨い~」
こりゃ、最高ですね・・・。^^
最後は徳川家康公ゆかりの地「松平郷」にふさわしく「天下もち」をいただきます。^^
座りしままに 食うは 家康・・・
歌も餅もうまいなあ・・・(笑)
では、また
蟹三昧 ~日本一美味しいお城 ~ 豊田城 【愛知県 豊田市】 [おもしろ(おもしろいお城)シリーズ]
今回は愛知県豊田市にある『豊田城』に来ています。^^
4層5階の望楼型天守閣と本丸で構成された豊田城・・・
どことなく姫路城を思わせるその優雅な佇まいと、頭上に輝く金の鯱はとても美しいです・・・
な~んてね~。^^
実はここ、あのかに料理チェーンの『札幌かに本家 豊田城店』なのです。^^
初めて来てみましたが、思っていたよりすごくデカイです。
KSRとツーショット写真撮ってみましたが、こんな感じになりました。(笑)
今まで、お城型店舗っていくつか見ましたが、ここまで気合の入ったお城型店舗は初めてですね。(笑)
この規模と迫力は、その辺の城跡に再建された模擬天守を超えてるな~。^^
というわけで、せっかくなのでランチでも・・・
店内に入りますと、ハードな防寒スタイルをしていたせいか、他のお客さんとは隔離された離れのテーブル席へ案内されました。 ソリャ ソウダヨネ・・・(笑)
でもここからはちょっとした日本庭園が見れました。^^
普段は根がB級グルメなのでたいしたものは食べないのですが、今回はせっかくなのでコレにしてみました・・・。
『富良野会席』 ^^
とっても美味しゅうございました。^^
店内の様子は、入ってすぐ隔離されちゃったのでよくわからなかったけど、ホームページのご案内によれば・・・
「店内は、むくの桧や赤松をふんだんに使い重厚な趣きで、鎧や兜など、戦国時代を思わせる装飾品が目を楽しませてくれます。」
だそうです。(笑)
たまにはお殿様気分で、かに料理なんかも良いかもね~。^^
さてさて、この後は愛知県長久手町にあります『トヨタ博物館』へ行きました。^^
さすが世界のトヨタです。パンフレットだってこのとおり・・・
ありとあらゆる言語でパンフレットが用意されています。^^
とにかく素晴しいですね 『トヨタ博物館』・・・
クラシックカーやヒストリックカーがアーティスティックに並んでいます。^^
古さなんて感じさせません。ものすごく綺麗なんですよね。
ロールスロイスやベンツなんかも・・・
古き良き時代のアメ車もありました。
他にも素晴しい車だらけで本当に紹介しきれないのですが、自分にとってやっぱりこの車が一番でしたね。
その車とはこの車です・・・
『TOYOTA 2000GT』
カッコいい~。^^
こんなカッコいい車がかつて存在したんですね。1967年といいますから40年以上前の車です。
欲しいなあ~。 無理だけど・・・。(笑)
TOYOTAとYAMAHAが共同開発した『TOYOTA 2000GT』。YAMAHAの技術が生きています。^^
初めて『TOYOTA 2000GT』の実車を見ましたが、とても美しいです。
そのフォルムの美しさをたとえるなら、まるで姫路城のような美しさです。(笑)
こんな車はもう二度と作られることはないでしょうね。
あ~っ、『トヨタ博物館』来てよかったな~。^^
藤井組の作品ってマニアックな笑いだけど、好きだな・・・
では、また。
4層5階の望楼型天守閣と本丸で構成された豊田城・・・
どことなく姫路城を思わせるその優雅な佇まいと、頭上に輝く金の鯱はとても美しいです・・・
な~んてね~。^^
実はここ、あのかに料理チェーンの『札幌かに本家 豊田城店』なのです。^^
初めて来てみましたが、思っていたよりすごくデカイです。
KSRとツーショット写真撮ってみましたが、こんな感じになりました。(笑)
今まで、お城型店舗っていくつか見ましたが、ここまで気合の入ったお城型店舗は初めてですね。(笑)
この規模と迫力は、その辺の城跡に再建された模擬天守を超えてるな~。^^
というわけで、せっかくなのでランチでも・・・
店内に入りますと、ハードな防寒スタイルをしていたせいか、他のお客さんとは隔離された離れのテーブル席へ案内されました。 ソリャ ソウダヨネ・・・(笑)
でもここからはちょっとした日本庭園が見れました。^^
普段は根がB級グルメなのでたいしたものは食べないのですが、今回はせっかくなのでコレにしてみました・・・。
『富良野会席』 ^^
とっても美味しゅうございました。^^
店内の様子は、入ってすぐ隔離されちゃったのでよくわからなかったけど、ホームページのご案内によれば・・・
「店内は、むくの桧や赤松をふんだんに使い重厚な趣きで、鎧や兜など、戦国時代を思わせる装飾品が目を楽しませてくれます。」
だそうです。(笑)
たまにはお殿様気分で、かに料理なんかも良いかもね~。^^
さてさて、この後は愛知県長久手町にあります『トヨタ博物館』へ行きました。^^
さすが世界のトヨタです。パンフレットだってこのとおり・・・
ありとあらゆる言語でパンフレットが用意されています。^^
とにかく素晴しいですね 『トヨタ博物館』・・・
クラシックカーやヒストリックカーがアーティスティックに並んでいます。^^
古さなんて感じさせません。ものすごく綺麗なんですよね。
ロールスロイスやベンツなんかも・・・
古き良き時代のアメ車もありました。
他にも素晴しい車だらけで本当に紹介しきれないのですが、自分にとってやっぱりこの車が一番でしたね。
その車とはこの車です・・・
『TOYOTA 2000GT』
カッコいい~。^^
こんなカッコいい車がかつて存在したんですね。1967年といいますから40年以上前の車です。
欲しいなあ~。 無理だけど・・・。(笑)
TOYOTAとYAMAHAが共同開発した『TOYOTA 2000GT』。YAMAHAの技術が生きています。^^
初めて『TOYOTA 2000GT』の実車を見ましたが、とても美しいです。
そのフォルムの美しさをたとえるなら、まるで姫路城のような美しさです。(笑)
こんな車はもう二度と作られることはないでしょうね。
あ~っ、『トヨタ博物館』来てよかったな~。^^
藤井組の作品ってマニアックな笑いだけど、好きだな・・・
では、また。