もうひとつの「遥かなる五芒星の旅」ツーリング ~ 前編 【三重県 鳥羽市 海の博物館】 [日記]
前回は「五芒星」を求めて、三重県の鳥羽から大阪・京都への旅でした。
まあ、今回の記事は、そのときの寄り道ツーリング記事なのですけど・・・。(笑)
同じとこ行って、目線が違うだけでどんな内容になるのか、ちょっと楽しみ~。^^
この日は1月7日(金)で、あまり天気が良くない感じのドンヨリ曇の朝でした。
まあ、ギリギリまで車で行くか、バイクで行くか悩みましたけど、ど~してもバイクに乗りたい気持ちが勝ってNinjaで行くことにしました。
午前9時ぐらいの遅めの出発で、三重県の鳥羽まで山岳ルートでの南下でしたが、途中雪がひどくなり急遽海沿いのルートに変更しました。
まあ、大きく回り道でしたが国道23号線を三重県津市まで走って、高速道路の津インターチェンジから伊勢自動車道に乗りました。
なぜ津インターからなのかといいますと、津インターから南は高速道無料化実験中でタダなのです、タダ・・・。(笑)
途中、嬉野パーキングエリアで休憩です。
あはは、こんなもの発見!
《”日本一”食べづらい たこ焼き》
直径8cmで超特大サイズのたこ焼き~。^^
タコやエビはもちろん丸ごと玉子1個入ってます。(笑) ナニコレ珍百景で紹介されたそうですよ~。
このどデカサイズのたこ焼きホールで30分かけて焼き上げます。(笑)
もちろん2個入りを注文しました~。
うおっデカッ!
どれぐらいの大きさか比較するためにコーヒーのビッグカップを並べてみました。^^
このジャンボたこ焼き大きいだけではなくてズッシリと重いんですよ~。
もちろん楊枝では食べれないので、お箸をもらって食べます。
本当に食べづらいです。(笑)
この日はちょっと冷え込んでいましたが、こんなオモシロたこ焼きを見つけると身も心も暖まりますね。^^
さてさてこの日の目的地は三重県鳥羽市の「海の博物館」なので、先を急ぎます。。。
「おおっ、青空だ~」
鳥羽のパールロードに入るとご覧のとおりの晴天でした。三重県北部は雪模様だったのに・・・。(笑)
いきなり南国気分です。降り注ぐ日差しが気持ちいい~。
ここは本当に同じ三重県なのでしょうか~。^^
ということで、「海の博物館」に到着です。
前回の記事でもご紹介しましたが、「海の博物館」は海と人間の関わりをテーマにした日本で唯一の博物館です。
日本の建築空間100選にも選ばれた、青空と建物と空間の調和がとても美しい博物館です。
この博物館が出来たのは平成4年(1992年)ですから、バブルの頃の建築物ですね。
でも、バブルの頃の建築物の派手さや奇抜さはまったくありません。
とても落ち着いた雰囲気が鳥羽の美しい海と青空に映えます。
シンプルだけど美しい瓦屋根・・・
かつて日本の建物にあったその美しさがここでは感じられる気がします。
さて、「海の博物館」は展示棟や収蔵庫などいくつかの建物に分かれており、その展示内容は4つの大きなテーマで構成されています。
前回はその中の「志摩の海女」のコーナーで、海女さんたちの不思議な魔除け「セーマン・ドーマン」をご紹介しましたが、自分の中でもうひとつ「海の博物館」で見たかったものがあります。
それは、この人のコーナーです・・・
【九鬼嘉隆】(くき よしたか)
『九鬼嘉隆』・・・ほとんどの人は知らないと思います。(笑)
知っている人は本当に歴史が大好きな人か、地元の人じゃないかな~。^^
志摩の九鬼水軍を率い、信長や秀吉の水軍大将として戦国の荒海を縦横無尽に駆け抜けた海の武将ですね。
自分にとって、とても興味のある武将の一人ですが、その知名度の低さからあまりお目にかかることのない武将でした。
自分は昨年からコツコツと九鬼嘉隆ゆかりの場所を訪ねたりしてましたが、九鬼嘉隆関連のまとまった展示しているところはあまりなく、とても寂しい思いをしていました。
でもね~、なんとここ「海の博物館」に九鬼嘉隆のコーナーがあるのですよ。^^
とても小さなコーナーですが、嬉しかったな~。
九鬼嘉隆の本拠地『鳥羽城』ですね・・・
写真の手前にあるのが、現在のミキモト真珠島ですね。
『鳥羽城』は水軍の城にふさわしく四方を海で囲まれていて、その大手門はなんと海側に設けられていた海城でした。
三層の天守閣で、魚を守るために海側は黒色、山側は白色で塗られていたそうです。
ただ、九鬼嘉隆の時代に天守閣があったかどうかはわかっていません。
はい、『日本丸』デス。
秀吉の朝鮮出兵のおり、嘉隆はこの船で水軍を指揮したのですね。
おおっ、九鬼嘉隆に関する面白い古文書がありましたよ~。^^
坂手島の釣り名人の藤九郎とお殿様が釣りをしていて、お殿様の竿にものすごい大ダコがかかったそうな。
藤九郎は懸命にお殿様が大ダコを釣り上げるのを手伝って、お殿様は見事に大ダコを釣り上げたそうな。
「大ダコじゃ~」 「大ダコじゃ~」 お殿様はたいそうお喜びなさったそうじゃ。
「それもこれも、そちがいてくれたおかげじゃ」
「そちの島の老(としより)に伝えい~」
「この辺りから向こうまでの海の魚は、全てそちたちの島の民のものだと」 「がっはっは~」
なんて会話が交わされたかどうかは知りませんが、嘉隆は広範囲の漁業権を坂手島の人たちに与え、それが九鬼家が鳥羽の地を離れた後も代々の領主に引き継がれ、それが明治時代まで続いていたというから驚きです。
今でも藤九郎の子孫に米が送られているなんて、とっても心温まる話ですね。^^
泣く子も黙る九鬼水軍の大将が、領民と釣り糸をたれていたなんて話を聞くと、海賊の親分として恐れられていたというよりは、本当に慕われていた感じがします。なんかね~気のいいおっちゃんみたいな感じ~。(笑)
「へ~タコか~」なんて思っていると・・・
いました・・・おすましタコ君!(笑)
ここは別の展示棟の水槽なのですが・・・。^^
いや~、今日はジャンボたこ焼き食べて、九鬼嘉隆の巨大なタコ釣りの話を聞いて、そしておすましタコ君を見る~!
見事なタコの三段活用じゃないですか~。^^
しっかりと話のツボ・・・いや、タコツボを押さえた展開ですね。(笑)
生タコってそんなにマジマジって見たことはないのですが、目が黄色なんですね。この種だけかも知れませんが。^^
面白いことに水槽に近づくとタコハウスから出てきます。それにしてもおすまし君だな~。^^
「海の博物館」・・・自分的にはとっても楽しめました~。時間を忘れるくらいでしたね~。^^
本日の早口言葉・・・
『食べタコ 聞きタコ 見タコ タコ 合わせてタコ タコ 見タコ タコ 』 (笑)
そろそろいい時間となりましたので、帰ることにします。
せっかくパールロードに来ていますので、鳥羽展望台に行ってみることしました。
おお~っ、やっぱり鳥羽展望台最高~!^^
夕刻なので影が面白いことになってました。^^
なので、遊んでみました~
足がビロ~~ン。(笑)
あはは~、普段は有名な観光地なので人やバイクがいっぱいで、さながらビッグバイクの展示会のようですが、この日は平日の夕刻とあってほとんど人がいませんでした。寂しい~。^^
さて、今回は新春にふさわしいタコ(多幸)な話題満載の記事でしたが、ちょっと長くなっちゃいましたので、この辺で・・・。^^
次回は、もうひとつの「遥かなる五芒星の旅」ツーリングの後編 ~ 大阪・京都編をしたいなあと思います。
首を長くしてお待ちください。(笑) ←更新が遅くてゴメンナサイ。^^
では、また。
まあ、今回の記事は、そのときの寄り道ツーリング記事なのですけど・・・。(笑)
同じとこ行って、目線が違うだけでどんな内容になるのか、ちょっと楽しみ~。^^
この日は1月7日(金)で、あまり天気が良くない感じのドンヨリ曇の朝でした。
まあ、ギリギリまで車で行くか、バイクで行くか悩みましたけど、ど~してもバイクに乗りたい気持ちが勝ってNinjaで行くことにしました。
午前9時ぐらいの遅めの出発で、三重県の鳥羽まで山岳ルートでの南下でしたが、途中雪がひどくなり急遽海沿いのルートに変更しました。
まあ、大きく回り道でしたが国道23号線を三重県津市まで走って、高速道路の津インターチェンジから伊勢自動車道に乗りました。
なぜ津インターからなのかといいますと、津インターから南は高速道無料化実験中でタダなのです、タダ・・・。(笑)
途中、嬉野パーキングエリアで休憩です。
あはは、こんなもの発見!
《”日本一”食べづらい たこ焼き》
直径8cmで超特大サイズのたこ焼き~。^^
タコやエビはもちろん丸ごと玉子1個入ってます。(笑) ナニコレ珍百景で紹介されたそうですよ~。
このどデカサイズのたこ焼きホールで30分かけて焼き上げます。(笑)
もちろん2個入りを注文しました~。
うおっデカッ!
どれぐらいの大きさか比較するためにコーヒーのビッグカップを並べてみました。^^
このジャンボたこ焼き大きいだけではなくてズッシリと重いんですよ~。
もちろん楊枝では食べれないので、お箸をもらって食べます。
本当に食べづらいです。(笑)
この日はちょっと冷え込んでいましたが、こんなオモシロたこ焼きを見つけると身も心も暖まりますね。^^
さてさてこの日の目的地は三重県鳥羽市の「海の博物館」なので、先を急ぎます。。。
「おおっ、青空だ~」
鳥羽のパールロードに入るとご覧のとおりの晴天でした。三重県北部は雪模様だったのに・・・。(笑)
いきなり南国気分です。降り注ぐ日差しが気持ちいい~。
ここは本当に同じ三重県なのでしょうか~。^^
ということで、「海の博物館」に到着です。
前回の記事でもご紹介しましたが、「海の博物館」は海と人間の関わりをテーマにした日本で唯一の博物館です。
日本の建築空間100選にも選ばれた、青空と建物と空間の調和がとても美しい博物館です。
この博物館が出来たのは平成4年(1992年)ですから、バブルの頃の建築物ですね。
でも、バブルの頃の建築物の派手さや奇抜さはまったくありません。
とても落ち着いた雰囲気が鳥羽の美しい海と青空に映えます。
シンプルだけど美しい瓦屋根・・・
かつて日本の建物にあったその美しさがここでは感じられる気がします。
さて、「海の博物館」は展示棟や収蔵庫などいくつかの建物に分かれており、その展示内容は4つの大きなテーマで構成されています。
前回はその中の「志摩の海女」のコーナーで、海女さんたちの不思議な魔除け「セーマン・ドーマン」をご紹介しましたが、自分の中でもうひとつ「海の博物館」で見たかったものがあります。
それは、この人のコーナーです・・・
【九鬼嘉隆】(くき よしたか)
『九鬼嘉隆』・・・ほとんどの人は知らないと思います。(笑)
知っている人は本当に歴史が大好きな人か、地元の人じゃないかな~。^^
志摩の九鬼水軍を率い、信長や秀吉の水軍大将として戦国の荒海を縦横無尽に駆け抜けた海の武将ですね。
自分にとって、とても興味のある武将の一人ですが、その知名度の低さからあまりお目にかかることのない武将でした。
自分は昨年からコツコツと九鬼嘉隆ゆかりの場所を訪ねたりしてましたが、九鬼嘉隆関連のまとまった展示しているところはあまりなく、とても寂しい思いをしていました。
でもね~、なんとここ「海の博物館」に九鬼嘉隆のコーナーがあるのですよ。^^
とても小さなコーナーですが、嬉しかったな~。
九鬼嘉隆の本拠地『鳥羽城』ですね・・・
写真の手前にあるのが、現在のミキモト真珠島ですね。
『鳥羽城』は水軍の城にふさわしく四方を海で囲まれていて、その大手門はなんと海側に設けられていた海城でした。
三層の天守閣で、魚を守るために海側は黒色、山側は白色で塗られていたそうです。
ただ、九鬼嘉隆の時代に天守閣があったかどうかはわかっていません。
はい、『日本丸』デス。
秀吉の朝鮮出兵のおり、嘉隆はこの船で水軍を指揮したのですね。
おおっ、九鬼嘉隆に関する面白い古文書がありましたよ~。^^
坂手島の釣り名人の藤九郎とお殿様が釣りをしていて、お殿様の竿にものすごい大ダコがかかったそうな。
藤九郎は懸命にお殿様が大ダコを釣り上げるのを手伝って、お殿様は見事に大ダコを釣り上げたそうな。
「大ダコじゃ~」 「大ダコじゃ~」 お殿様はたいそうお喜びなさったそうじゃ。
「それもこれも、そちがいてくれたおかげじゃ」
「そちの島の老(としより)に伝えい~」
「この辺りから向こうまでの海の魚は、全てそちたちの島の民のものだと」 「がっはっは~」
なんて会話が交わされたかどうかは知りませんが、嘉隆は広範囲の漁業権を坂手島の人たちに与え、それが九鬼家が鳥羽の地を離れた後も代々の領主に引き継がれ、それが明治時代まで続いていたというから驚きです。
今でも藤九郎の子孫に米が送られているなんて、とっても心温まる話ですね。^^
泣く子も黙る九鬼水軍の大将が、領民と釣り糸をたれていたなんて話を聞くと、海賊の親分として恐れられていたというよりは、本当に慕われていた感じがします。なんかね~気のいいおっちゃんみたいな感じ~。(笑)
「へ~タコか~」なんて思っていると・・・
いました・・・おすましタコ君!(笑)
ここは別の展示棟の水槽なのですが・・・。^^
いや~、今日はジャンボたこ焼き食べて、九鬼嘉隆の巨大なタコ釣りの話を聞いて、そしておすましタコ君を見る~!
見事なタコの三段活用じゃないですか~。^^
しっかりと話のツボ・・・いや、タコツボを押さえた展開ですね。(笑)
生タコってそんなにマジマジって見たことはないのですが、目が黄色なんですね。この種だけかも知れませんが。^^
面白いことに水槽に近づくとタコハウスから出てきます。それにしてもおすまし君だな~。^^
「海の博物館」・・・自分的にはとっても楽しめました~。時間を忘れるくらいでしたね~。^^
本日の早口言葉・・・
『食べタコ 聞きタコ 見タコ タコ 合わせてタコ タコ 見タコ タコ 』 (笑)
そろそろいい時間となりましたので、帰ることにします。
せっかくパールロードに来ていますので、鳥羽展望台に行ってみることしました。
おお~っ、やっぱり鳥羽展望台最高~!^^
夕刻なので影が面白いことになってました。^^
なので、遊んでみました~
足がビロ~~ン。(笑)
あはは~、普段は有名な観光地なので人やバイクがいっぱいで、さながらビッグバイクの展示会のようですが、この日は平日の夕刻とあってほとんど人がいませんでした。寂しい~。^^
さて、今回は新春にふさわしいタコ(多幸)な話題満載の記事でしたが、ちょっと長くなっちゃいましたので、この辺で・・・。^^
次回は、もうひとつの「遥かなる五芒星の旅」ツーリングの後編 ~ 大阪・京都編をしたいなあと思います。
首を長くしてお待ちください。(笑) ←更新が遅くてゴメンナサイ。^^
では、また。
「遥かなる五芒星の旅へ」のプロローグ [ふしぎ探検隊シリーズ]
三重県の鳥羽から志摩へと続く美しいリアス式海岸線を縫うように走るパールロード・・・
『海の博物館』はそのパールロードから少し入ったところにあります。
そう、今回は三重県鳥羽市にある『海の博物館』に来ています。
『海の博物館』は海と人間の関わりをテーマにした日本で唯一の博物館です。
建物の趣はとても素晴しいものがあります。
この『海の博物館』のテーマの中のひとつに「志摩の海女」というコーナーがあります。
この展示のなかで一際目立つ不思議なマーク・・・
それは・・・
【ドーマン・セーマン】(セーマン・ドーマン)
この不思議なマークって何かといいますと・・・
海女さんたちが身に付けている「魔除け」なのです。
実際こんな感じで身に付けています・・・
左の星型のマークが「セーマン」で、右の格子のマークが「ドーマン」です。
『安部晴明』・・・映画「陰陽師」で一躍有名になりました平安時代の陰陽家(おんみょうか)で天文博士ですね。
そうなのです、この不思議な魔除けの印こそが、これから始まる遥かなる旅のプロローグです。
せっかくパールロードに来ていますので鳥羽展望台に寄り道・・・
時刻はすでに夕刻・・・
いつもは多くの観光客やライダーたちで賑わっているのですが、この日は訪れている人もまばらでした。
さて「不思議な魔除けの印」を求めて遥かなる旅への出発です。
翌日、「不思議な魔除けの印」を探しに、まずは大阪市阿倍野へ・・・
ここは大阪市阿倍野区にある「安部晴明神社」です。
安部晴明公の生誕の地と伝えられています。
境内には安部晴明公の像があります。
安部晴明公は延喜21年(921年)にこの地で生まれました。
幼少のころより聡明で陰陽の道を極めて、長じてはその功績により当時の朝廷や貴族たちの信頼を得ていました。
安部晴明公は、当時最先端の学問(呪術・科学)であった「天文道」や占いなどを、体系としてまとめた思想としての陰陽道に関して、卓越した知識を持っていた陰陽師であり、その逸話は神秘化されて数多くの伝説を生んでいったそうです。
ここでも「不思議な魔除けの印」を見つけました。
この印は「晴明桔梗印」と呼ばれるものです。いわゆる「五芒星」ですね。
五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として伝えられており、天地五行(木・火・土・金・水)を表しているそうです。
安倍晴明公は天地五行の象徴として、五芒星の紋を用いていたそうです。
さてさて、次はさらなる「五芒星」を求めて、京都市上京区にある「晴明神社」へ・・・
ここは安部晴明公の京都の住居跡とされ、晴明公は都に侵入する鬼を防ぐ役割を果たしていたそうです。
道路に面した一の鳥居にはあの「五芒星」が掲げられていました。
正直、カッコいいです。(笑)
他の神社とは明らかに違うオーラが出ていました。これでは「魔」は近寄れないですね。^^
やっぱり安部晴明公は大人気です。たくさんの人たちが参拝に訪れています。^^
神紋はもちろん「晴明桔梗印」の五芒星です。
本殿の隣には安部晴明公の像がありました。
本殿横の顕彰板では、晴明公の数多い伝説の中から代表的な10の話を紹介しています。
神懸り的な伝説ばかりです。^^
おっと、境内に「ドーマン」発見!
このドーマンは「九字切り」と呼ばれ、芦屋道満が使っていたものだそうです。
晴明公とライバル関係にあった芦屋道満は晴明公に勝るとも劣らないほどの呪術力を持っていたとされていますが、多くの伝説や物語では悪役扱いですね。(笑)
数多くの伝説を残した稀代の陰陽師 安部晴明公は、寛弘2年(1005年)に85歳でこの世を去ったとされています。
現在、晴明公の墓所は京都市嵯峨の渡月橋の傍の長慶天皇嵯峨東陵の南側にあります。
ここにもありました「五芒星」。
墓所の周りは五芒星で囲まれています。
近くには美しい渡月橋があり・・・
美しい川の流れとともに緩やかに時も流れてるようです。
「遥かなる五芒星の旅へ」のプロローグ・・・ 旅はまだ始まったばかりです。
皆さんは「大地に描かれた五芒星」をご存知でしょうか。
神話の世界の神々が祀られている5個所の神域を結んだ大地に描かれた巨大な五芒星です。
自分は「五芒星」を調べていくうちにこの事実を知ることになりました。
正直、驚きというよりは、戦慄を覚えました。
測量技術や衛星を使ったナビゲーションシステムがある現代なら、大地にこのような「五芒星」を描くことは可能でしょう。
そんなテクノロジーのない神話の世界の時代に、何故このような正確な「五芒星」を描くことができたのでしょうか。
「偶然?」 「未知のテクノロジー?」 「神のなせる技?」・・・それはわかりません。
この大地に描かれた巨大な「五芒星」は自分にとって大いなるもののように感じます。
「遥かなる五芒星の旅」はまだまだ続きます。
これからふしぎ探検隊はこの5個所の神域を巡り、大地に巨大な「五芒星」を描こうと思います。
あせる必要はありません。暖かくなりましたら、のんびりと5個所の神域を訪れたあと、巨大な「五芒星」の中心である平城京へ行ってみようと思います。
そこに何が待っているかはわかりませんけど・・・。
では、また。
『海の博物館』はそのパールロードから少し入ったところにあります。
そう、今回は三重県鳥羽市にある『海の博物館』に来ています。
『海の博物館』は海と人間の関わりをテーマにした日本で唯一の博物館です。
建物の趣はとても素晴しいものがあります。
この『海の博物館』のテーマの中のひとつに「志摩の海女」というコーナーがあります。
この展示のなかで一際目立つ不思議なマーク・・・
それは・・・
【ドーマン・セーマン】(セーマン・ドーマン)
この不思議なマークって何かといいますと・・・
海女さんたちが身に付けている「魔除け」なのです。
実際こんな感じで身に付けています・・・
左の星型のマークが「セーマン」で、右の格子のマークが「ドーマン」です。
『安部晴明』・・・映画「陰陽師」で一躍有名になりました平安時代の陰陽家(おんみょうか)で天文博士ですね。
そうなのです、この不思議な魔除けの印こそが、これから始まる遥かなる旅のプロローグです。
せっかくパールロードに来ていますので鳥羽展望台に寄り道・・・
時刻はすでに夕刻・・・
いつもは多くの観光客やライダーたちで賑わっているのですが、この日は訪れている人もまばらでした。
さて「不思議な魔除けの印」を求めて遥かなる旅への出発です。
翌日、「不思議な魔除けの印」を探しに、まずは大阪市阿倍野へ・・・
ここは大阪市阿倍野区にある「安部晴明神社」です。
安部晴明公の生誕の地と伝えられています。
境内には安部晴明公の像があります。
安部晴明公は延喜21年(921年)にこの地で生まれました。
幼少のころより聡明で陰陽の道を極めて、長じてはその功績により当時の朝廷や貴族たちの信頼を得ていました。
安部晴明公は、当時最先端の学問(呪術・科学)であった「天文道」や占いなどを、体系としてまとめた思想としての陰陽道に関して、卓越した知識を持っていた陰陽師であり、その逸話は神秘化されて数多くの伝説を生んでいったそうです。
ここでも「不思議な魔除けの印」を見つけました。
この印は「晴明桔梗印」と呼ばれるものです。いわゆる「五芒星」ですね。
五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として伝えられており、天地五行(木・火・土・金・水)を表しているそうです。
安倍晴明公は天地五行の象徴として、五芒星の紋を用いていたそうです。
さてさて、次はさらなる「五芒星」を求めて、京都市上京区にある「晴明神社」へ・・・
ここは安部晴明公の京都の住居跡とされ、晴明公は都に侵入する鬼を防ぐ役割を果たしていたそうです。
道路に面した一の鳥居にはあの「五芒星」が掲げられていました。
正直、カッコいいです。(笑)
他の神社とは明らかに違うオーラが出ていました。これでは「魔」は近寄れないですね。^^
やっぱり安部晴明公は大人気です。たくさんの人たちが参拝に訪れています。^^
神紋はもちろん「晴明桔梗印」の五芒星です。
本殿の隣には安部晴明公の像がありました。
本殿横の顕彰板では、晴明公の数多い伝説の中から代表的な10の話を紹介しています。
神懸り的な伝説ばかりです。^^
おっと、境内に「ドーマン」発見!
このドーマンは「九字切り」と呼ばれ、芦屋道満が使っていたものだそうです。
晴明公とライバル関係にあった芦屋道満は晴明公に勝るとも劣らないほどの呪術力を持っていたとされていますが、多くの伝説や物語では悪役扱いですね。(笑)
数多くの伝説を残した稀代の陰陽師 安部晴明公は、寛弘2年(1005年)に85歳でこの世を去ったとされています。
現在、晴明公の墓所は京都市嵯峨の渡月橋の傍の長慶天皇嵯峨東陵の南側にあります。
ここにもありました「五芒星」。
墓所の周りは五芒星で囲まれています。
近くには美しい渡月橋があり・・・
美しい川の流れとともに緩やかに時も流れてるようです。
「遥かなる五芒星の旅へ」のプロローグ・・・ 旅はまだ始まったばかりです。
皆さんは「大地に描かれた五芒星」をご存知でしょうか。
神話の世界の神々が祀られている5個所の神域を結んだ大地に描かれた巨大な五芒星です。
自分は「五芒星」を調べていくうちにこの事実を知ることになりました。
正直、驚きというよりは、戦慄を覚えました。
測量技術や衛星を使ったナビゲーションシステムがある現代なら、大地にこのような「五芒星」を描くことは可能でしょう。
そんなテクノロジーのない神話の世界の時代に、何故このような正確な「五芒星」を描くことができたのでしょうか。
「偶然?」 「未知のテクノロジー?」 「神のなせる技?」・・・それはわかりません。
この大地に描かれた巨大な「五芒星」は自分にとって大いなるもののように感じます。
「遥かなる五芒星の旅」はまだまだ続きます。
これからふしぎ探検隊はこの5個所の神域を巡り、大地に巨大な「五芒星」を描こうと思います。
あせる必要はありません。暖かくなりましたら、のんびりと5個所の神域を訪れたあと、巨大な「五芒星」の中心である平城京へ行ってみようと思います。
そこに何が待っているかはわかりませんけど・・・。
では、また。
元日登山 厳冬の御在所岳へ・・・ 【三重県 菰野町 御在所岳】 [日記]
御在所岳(ございしょだけ)は、三重県菰野町と滋賀県東近江市の境にある標高1,212mの山で、鈴鹿国定公園の中に位置し、鈴鹿山脈の山々の中では三番目に高い高峰です。
そうです、御在所岳は自分の住んでいるところにある地元の山なのです。^^
【御在所岳】 (ございしょだけ)
はいっ。この山です。^^
ちょっとあまり天候はよろしくないようで・・・。それに寒そう~。(笑)
今日はこの季節ならではの御在所岳の氷瀑(ひょうばく)を見に行こうと思っています。
それでは、行きますか・・・。
ワゴンRで・・・。(笑)
大晦日からの雪で山道には雪が残っていました。
というわけで恒例の・・・
雪ダルマ~。^^
除雪車大活躍デス。
いざっ、御在所登山へ~。^^
はいっ。徒歩で登るわけではありません。自分はもちろんロープウエイです。(笑)
1200m級の山ということもあり、シーズンには多くの登山者で賑わっている御在所岳ですが、この山は花崗岩の岩山で、その登山ルートには岩場の急峻な箇所が幾つかあり、冬場は自分のような素人は歩いて御在所岳に登るのはやめといた方がよさそうです。
ほいっ、この赤いゴンドラで山上まで行きます。
ちなみにこのゴンドラはスイス製で一台高級外車並みのお値段がするそうです。アルミボディーなんだとか。
うむ、やっぱり山岳観光といえばスイスですかね~。^^
御在所ロープウエイの支柱っていいでしょ。
なんていいますか、レトロな感じがする造形美がたまりません。^^
『ゴンドラの車窓から~』 ^^
この写真を見るとゴンドラが不自然にナナメっているのがわかりますよね。
そうです、今日は天候がチョットご機嫌ナナメで、時おり突風が吹いて横揺れするんです。怖い~。TT
それでもゴンドラはズンズン登っていきます。
おっ、中間索碇所(ちゅうかんさくていしょ)が見えてきました。
御在所ロープウエイの全体図はこんな感じデス。
ロープウエイのワイヤーロープはレールの役割を果たしている太いロープの支索(しさく)とゴンドラを動かすための細い曳索(えいさく)の2本のロープで構成されています。
御在所ロープウエイはその全長が2161mと長く、これを太い方のロープの支索(しさく)で片道全部つないでしまうと、約44トンの超重量になるためここ中間索碇所(ちゅうかんさくていしょ)で2分割されています。
細い方の曳索(えいさく)は一周グルッとつながっていて、約22トンの重量があるそうです。
いや~スゴイです。約70トンもの巨大なコンクリートキューブがぶら下がっています。^^
この他を圧倒するド迫力、素晴しいデス。(^^)/
おおっ、白鉄塔(6号支柱)が見えてきました。^^
昭和34年(1959年)に完成したこの白鉄塔(6号支柱)は、高さ61mもあり、当時も今もロープウエイ用の鉄塔としては、世界一の高さを誇ります。^^
御在所岳の急な斜面に建てられたこの白鉄塔の建設工事は、前例のない工事だっただけに困難を極めたそうです。男たちは厳しい真冬の寒さに耐えながら闘い続けた・・・ プロジェクトX~。^^
そんな大変な苦労があった白鉄塔ですが、こうして見ると、急な斜面に片足出して踏ん張ってる姿はとても愛らしく感じます。^^
このあたりは地上からの高さが一番高いところです。約150mあるそうです。
「すげ~な、白鉄塔」って思っていたら、ゴンドラが大きく揺れ、その瞬間ピタッとゴンドラが動かなくなりました。TT
「えっ・・・」 「もしかしたらオレって中吊り・・・」
どうやら強風のため運転を停止させたようです。相変わらず揺れています。TT
地上150mで揺れるゴンドラに閉じ込められたオレ・・・。マジ怖いです。
「正月早々どうなるんだオレ~」って思っていたら、ほどなくしてゴンドラが動き始めました。
風が弱まったようです。
ホエ~ッ、ある意味絶叫マシンより怖いアトラクションです。動かない恐怖・・・。^^
ゴンドラは何事も無かったように登っていきます。
岩肌の雪が凄く綺麗ですね。
なんていう樹氷の美しさなんでしょうか・・・。神秘の世界ですね・・・。
ほどなくして、山上公園駅に到着しました~。^^
麓から12分の、スリルとサスペンスと感動ありの素敵な旅でした。
で、本日の気温はというと・・・
マ、マイナス7.5℃ですか~。TT
風速は・・・・
14mもあるんですか~。これじゃあロープウエイも止まるはずです。TT
駅の外の朝陽台広場はというと・・・
白銀の世界ですね。別世界です。
新雪に足を突っ込むとこんな感じ~
ユニクロのヒートテックで守られているとはいえ、バイク用の防寒オーバーパンツ履いてくればよかった・・・。
マイナス7.5℃は寒すぎデス。ここは本当に三重県なのか~。TT
本当は、ここから先は山頂までリフトで行けるのですが・・・
強風のためリフトは動いていません。
しょうがないので、歩いて氷瀑(ひょうばく)を見に行きます。
氷瀑(ひょうばく)は左の方ですね。
それにしてもマイナス7.5℃は寒すぎです。顔がイタイ・・・。TT
それでは皆さん! 風速14mがどんなものか動画でどうぞ~。^^
寒風吹き荒ぶ中、スキー場の方へトボトボと・・・
リフトも止まっているし、誰もいません。まだオープンしていないのかな・・・。
でも、子供たちは元気です。
それではお目当ての氷瀑(ひょうばく)へ・・・
おおっ凄い。^^
この氷瀑(ひょうばく)はミスト状の水を吹き付けた人工の氷瀑(ひょうばく)ですが、素晴しいです。
氷の芸術ですね。冬シーズンが進むにつれ、氷瀑(ひょうばく)はまだまだ成長します。
でも、今日はもう少し天気が良かったら氷の芸術が青空に映えていたのでしょうけど・・・。
チョット残念ですね~。
さあ、氷瀑(ひょうばく)も見たし、帰ることにします。寒いし~。(笑)
弱々しい太陽・・・。 でも、幻想的です。^^
帰りは白銀の想い出とこの絶景を楽しみながら降りてゆきました。止まることなくね~。(笑)
ワゴンRで山を下って地元の小さな神社へ寄り道・・・。 初詣です。^^
地元の小さな神社『廣幡神社』 今年の初詣はここにしました・・・。
伊勢神宮のような沢山の人が訪れる大きな神社もいいのですが、地元の神社で初詣もいいものです。
お参りすると、縁起物の干支の飴と切り餅をくれます。
で、餅はその場で焼いて今年一年の幸福を願いつつ美味しくいただきます。^^
なんといいますか風情ありますよね~。
うまかったな~。^^
ウマといえば御神馬さま・・・
今年はすべてのことがウマくいきますように・・・
あはっ。ウマくいくといいよね~。(笑)
では、また。
そうです、御在所岳は自分の住んでいるところにある地元の山なのです。^^
【御在所岳】 (ございしょだけ)
はいっ。この山です。^^
ちょっとあまり天候はよろしくないようで・・・。それに寒そう~。(笑)
今日はこの季節ならではの御在所岳の氷瀑(ひょうばく)を見に行こうと思っています。
それでは、行きますか・・・。
ワゴンRで・・・。(笑)
大晦日からの雪で山道には雪が残っていました。
というわけで恒例の・・・
雪ダルマ~。^^
除雪車大活躍デス。
いざっ、御在所登山へ~。^^
はいっ。徒歩で登るわけではありません。自分はもちろんロープウエイです。(笑)
1200m級の山ということもあり、シーズンには多くの登山者で賑わっている御在所岳ですが、この山は花崗岩の岩山で、その登山ルートには岩場の急峻な箇所が幾つかあり、冬場は自分のような素人は歩いて御在所岳に登るのはやめといた方がよさそうです。
ほいっ、この赤いゴンドラで山上まで行きます。
ちなみにこのゴンドラはスイス製で一台高級外車並みのお値段がするそうです。アルミボディーなんだとか。
うむ、やっぱり山岳観光といえばスイスですかね~。^^
御在所ロープウエイの支柱っていいでしょ。
なんていいますか、レトロな感じがする造形美がたまりません。^^
『ゴンドラの車窓から~』 ^^
この写真を見るとゴンドラが不自然にナナメっているのがわかりますよね。
そうです、今日は天候がチョットご機嫌ナナメで、時おり突風が吹いて横揺れするんです。怖い~。TT
それでもゴンドラはズンズン登っていきます。
おっ、中間索碇所(ちゅうかんさくていしょ)が見えてきました。
御在所ロープウエイの全体図はこんな感じデス。
ロープウエイのワイヤーロープはレールの役割を果たしている太いロープの支索(しさく)とゴンドラを動かすための細い曳索(えいさく)の2本のロープで構成されています。
御在所ロープウエイはその全長が2161mと長く、これを太い方のロープの支索(しさく)で片道全部つないでしまうと、約44トンの超重量になるためここ中間索碇所(ちゅうかんさくていしょ)で2分割されています。
細い方の曳索(えいさく)は一周グルッとつながっていて、約22トンの重量があるそうです。
いや~スゴイです。約70トンもの巨大なコンクリートキューブがぶら下がっています。^^
この他を圧倒するド迫力、素晴しいデス。(^^)/
おおっ、白鉄塔(6号支柱)が見えてきました。^^
昭和34年(1959年)に完成したこの白鉄塔(6号支柱)は、高さ61mもあり、当時も今もロープウエイ用の鉄塔としては、世界一の高さを誇ります。^^
御在所岳の急な斜面に建てられたこの白鉄塔の建設工事は、前例のない工事だっただけに困難を極めたそうです。男たちは厳しい真冬の寒さに耐えながら闘い続けた・・・ プロジェクトX~。^^
そんな大変な苦労があった白鉄塔ですが、こうして見ると、急な斜面に片足出して踏ん張ってる姿はとても愛らしく感じます。^^
このあたりは地上からの高さが一番高いところです。約150mあるそうです。
「すげ~な、白鉄塔」って思っていたら、ゴンドラが大きく揺れ、その瞬間ピタッとゴンドラが動かなくなりました。TT
「えっ・・・」 「もしかしたらオレって中吊り・・・」
どうやら強風のため運転を停止させたようです。相変わらず揺れています。TT
地上150mで揺れるゴンドラに閉じ込められたオレ・・・。マジ怖いです。
「正月早々どうなるんだオレ~」って思っていたら、ほどなくしてゴンドラが動き始めました。
風が弱まったようです。
ホエ~ッ、ある意味絶叫マシンより怖いアトラクションです。動かない恐怖・・・。^^
ゴンドラは何事も無かったように登っていきます。
岩肌の雪が凄く綺麗ですね。
なんていう樹氷の美しさなんでしょうか・・・。神秘の世界ですね・・・。
ほどなくして、山上公園駅に到着しました~。^^
麓から12分の、スリルとサスペンスと感動ありの素敵な旅でした。
で、本日の気温はというと・・・
マ、マイナス7.5℃ですか~。TT
風速は・・・・
14mもあるんですか~。これじゃあロープウエイも止まるはずです。TT
駅の外の朝陽台広場はというと・・・
白銀の世界ですね。別世界です。
新雪に足を突っ込むとこんな感じ~
ユニクロのヒートテックで守られているとはいえ、バイク用の防寒オーバーパンツ履いてくればよかった・・・。
マイナス7.5℃は寒すぎデス。ここは本当に三重県なのか~。TT
本当は、ここから先は山頂までリフトで行けるのですが・・・
強風のためリフトは動いていません。
しょうがないので、歩いて氷瀑(ひょうばく)を見に行きます。
氷瀑(ひょうばく)は左の方ですね。
それにしてもマイナス7.5℃は寒すぎです。顔がイタイ・・・。TT
それでは皆さん! 風速14mがどんなものか動画でどうぞ~。^^
寒風吹き荒ぶ中、スキー場の方へトボトボと・・・
リフトも止まっているし、誰もいません。まだオープンしていないのかな・・・。
でも、子供たちは元気です。
それではお目当ての氷瀑(ひょうばく)へ・・・
おおっ凄い。^^
この氷瀑(ひょうばく)はミスト状の水を吹き付けた人工の氷瀑(ひょうばく)ですが、素晴しいです。
氷の芸術ですね。冬シーズンが進むにつれ、氷瀑(ひょうばく)はまだまだ成長します。
でも、今日はもう少し天気が良かったら氷の芸術が青空に映えていたのでしょうけど・・・。
チョット残念ですね~。
さあ、氷瀑(ひょうばく)も見たし、帰ることにします。寒いし~。(笑)
弱々しい太陽・・・。 でも、幻想的です。^^
帰りは白銀の想い出とこの絶景を楽しみながら降りてゆきました。止まることなくね~。(笑)
ワゴンRで山を下って地元の小さな神社へ寄り道・・・。 初詣です。^^
地元の小さな神社『廣幡神社』 今年の初詣はここにしました・・・。
伊勢神宮のような沢山の人が訪れる大きな神社もいいのですが、地元の神社で初詣もいいものです。
お参りすると、縁起物の干支の飴と切り餅をくれます。
で、餅はその場で焼いて今年一年の幸福を願いつつ美味しくいただきます。^^
なんといいますか風情ありますよね~。
うまかったな~。^^
ウマといえば御神馬さま・・・
今年はすべてのことがウマくいきますように・・・
あはっ。ウマくいくといいよね~。(笑)
では、また。