魅惑の丹後路ツーリングpart3 舞鶴の元伊勢へ・・・ 【京都府 舞鶴市 笶原神社】 [日記]
は~い、皆さまこんにちは!
今回も丹後の元伊勢だったのではないかといわれている4つの神社を巡る旅の続きです。
天橋立の近くにある『籠神社』(このじんじゃ)から舞鶴の『笶原神社』(やはらじんじゃ)へ・・・
由良の海岸ですね。^^
ここに「森鴎外文学碑」があります。
森鴎外の小説「山椒太夫」で知られた「安寿と厨子王」の物語は、由良がその舞台となっています。
なので、ここに寄り道~。
【安寿と厨子王】
とても悲しい物語です・・・。 ここに来るのは久しぶりですね。
以前訪れたときは、「安寿と厨子王」の物語なんて遠い記憶の彼方にあるぐらいで、「安寿と厨子王」って誰~っていう感じでした。(笑)
でも、なんだかこの像が好きになっちゃって・・・
厨子王さま、本当の元伊勢ってどこなのでしょうか・・・
あっ、あっちですか・・・ ^^
というわけで、西舞鶴の『笶原神社』(やはらじんじゃ)に到着~。^^
現在の笶原神社はちょっぴり小さな神社ですが、以前は山上に本殿がありここは拝殿だったそうです。
『かつては魚居社(まないのやしろ)とも呼ばれ・・・』
魚居・・・真名井・・・マナイ・・・ おおっ、きましたね~。^^
そして笶原神社の鳥居には、古い大きな神額がかかっています。
【総社笶原魚居匏宮】 (そうじゃ やはらまないよさのみや)
この神額の文字は清仁親王の書ではないかと伝えられています。
元々真名井原の地に豊受大神が祀られていて、そこは吉佐宮(よさのみや)と呼ばれていました。そして崇神天皇の時代に天照大神が大和笠縫邑から吉佐宮に移って来たと伝えられています。これが丹波国の元伊勢ですね。
そしてこの神額に書かれている「魚居匏宮」(まないよさのみや)とは、古に天照大神が移って来たとされる「真名井吉佐宮」(まないよさのみや)なのではないかと言われています。笶原神社が元伊勢ではないかといわれている所以ですね。^^
西舞鶴駅前に「真名井の清水」があります。^^
この「真名井の清水」の写真は以前舞鶴を訪れたときに撮ったものですが、その説明によると「真名井の清水」の源流は笠水神社近くの霊泉から湧き出しているみたいですね。
細川幽斎公も「真名井の名水」で茶の湯を楽しんでいたのですか~。^^
笶原神社には、慶長5年(1600年)に細川忠興が田辺城篭城戦において父幽斎公が無事だったことに感謝して社殿を再建した際の棟札(建築・修築の記録)が残っていたそうです。加佐郡誌にその棟札の全文が書かれていて、その中で「笶原神宮は眞名井原與佐宮(真名井吉佐宮)といわれている三社のうちの一社」とはっきりと書かれています。
なるほど~、細川忠興の時代でも元伊勢は謎だったみたいですね。^^
現在でも細川忠興によるこの棟札は残っているのでしょうか・・・。自分の中では重要文化財級なのですが・・・。
古くから由緒ある大社の古跡として、人々の崇敬を受けてきた笶原神社ですが、細川家が豊前国へ移されるとその社勢は段々と衰えていきました・・・。
笶原神社を後にした自分は近くにある西舞鶴の商店街へ・・・
舞鶴の水路の風景って大好きです・・・。
商店街では土曜夜の市が行なわれていました。
舞鶴の商店街ではいつも素敵な音楽と出会ってる気がします。^^
そんな素敵な商店街の名前は・・・
【サンモール マナイ】
そうです、笶原神社がかつて「魚居社」(まないのやしろ)と呼ばれていたことにちなんだ名前だそうです。
商店街の方たちは、元伊勢だったとも伝えられている由緒正しい社の名を忘れずに、誇りをもって商店街の名としたのですね。なんだか嬉しくなってきました。^^
なので、サンモール マナイ商店街の入り口にあるここへ・・・
『こうちゃん』
やっぱり美味しい~。 このラーメンの美味しさは豊受大神も大絶賛ですね~。^^
自分はラーメンも大好きですが、チャーハンも大好きです。いつもラーメン&チャーハンのセットメニューを頼みます。^^
というわけで、東舞鶴にスゴク美味しいチャーハンがあるというので行ってみることにしました。
ソニックマイヅルさま、メチャウマ情報ありがとうございました~。^^
では、どうぞ~^^
東舞鶴 【ラーメン専門店 麺楽】 チャーハン(スープ付)
このお店はラーメン屋さんなのですが、チャーハンがとても美味しいとの評判です。
自分は暗くなってから行ったのですが、いっぱいのお客様で賑わっていました。
先ほど西舞鶴の「こうちゃん」でラーメンを食べたので、自分はチャーハンの単品メニューでしたが、他のお客様はみなさんセットメニューを注文されていました~。^^
それでは、いただきま~す。^^
美味し~い。 あっという間に完食~。^^
『東西舞鶴 ラーメン&チャーハン 究極のセットメニュー』 堪能いたしました~。
ちなみに、【ラーメン専門店 麺楽】さんはこんな感じのお店です。
夜のお店は失敗写真だったので、翌日撮りました。(笑)
舞鶴の夜の海へ・・・
小樽行きのフェリーですね。いいなぁ、いつかバイクで北海道を走ってみたいです。^^
翌朝・・・
ホテルからのオーシャンビューです。 もう、最高ですね。^^
この日は、赤れんが倉庫や赤れんが博物館を見て・・・
さ~て、前回舞鶴を訪れたときに乗れなかった「海軍ゆかりの港めぐり遊覧船」に乗りますよ~。
こんな感じで舞鶴東港をぐるっと一周します。
では、発進!
海上自衛官OBによるマニアックな解説がその気にさせます。(笑)
その昔、舞鶴東港は帝国海軍の軍港で海軍工廠がありました。
現在では、民間企業のユニバーサル造船が自衛艦の改修やメンテナンスを行なっています。
艦番号がありませんのではっきりとはわかりませんが、定期点検中のイージス艦「みょうこう」でしょうか・・・
こちらは全面改装中の護衛艦「しらね」ですね。
それでは、海上自衛隊 北吸桟橋の方へ・・・
イージス艦「あたご」と護衛艦「あけぼの」ですね。
イージス艦「あたご」は第2世代のイージス艦でステルス性能にすぐれています。
やっぱり海から船を眺めるのはいいなあ・・・ 気持ちいい~。^^
それでは、赤れんが倉庫の市政記念館に戻って、海軍カレーを食べましょう~。^^
お皿の錨マークが海軍カレーの証かな・・・。(笑)
海軍カレーも食べたことだし、そろそろ帰るとしますか・・・
帰りは大好きな琵琶湖に寄り道~。^^
夏の琵琶湖も美しいです。^^
青い空と湖に浮かぶ竹生島・・・
暑かったけど心に残る丹後路の旅でした。^^
では、また。
今回も丹後の元伊勢だったのではないかといわれている4つの神社を巡る旅の続きです。
天橋立の近くにある『籠神社』(このじんじゃ)から舞鶴の『笶原神社』(やはらじんじゃ)へ・・・
由良の海岸ですね。^^
ここに「森鴎外文学碑」があります。
森鴎外の小説「山椒太夫」で知られた「安寿と厨子王」の物語は、由良がその舞台となっています。
なので、ここに寄り道~。
【安寿と厨子王】
とても悲しい物語です・・・。 ここに来るのは久しぶりですね。
以前訪れたときは、「安寿と厨子王」の物語なんて遠い記憶の彼方にあるぐらいで、「安寿と厨子王」って誰~っていう感じでした。(笑)
でも、なんだかこの像が好きになっちゃって・・・
厨子王さま、本当の元伊勢ってどこなのでしょうか・・・
あっ、あっちですか・・・ ^^
というわけで、西舞鶴の『笶原神社』(やはらじんじゃ)に到着~。^^
現在の笶原神社はちょっぴり小さな神社ですが、以前は山上に本殿がありここは拝殿だったそうです。
『かつては魚居社(まないのやしろ)とも呼ばれ・・・』
魚居・・・真名井・・・マナイ・・・ おおっ、きましたね~。^^
そして笶原神社の鳥居には、古い大きな神額がかかっています。
【総社笶原魚居匏宮】 (そうじゃ やはらまないよさのみや)
この神額の文字は清仁親王の書ではないかと伝えられています。
元々真名井原の地に豊受大神が祀られていて、そこは吉佐宮(よさのみや)と呼ばれていました。そして崇神天皇の時代に天照大神が大和笠縫邑から吉佐宮に移って来たと伝えられています。これが丹波国の元伊勢ですね。
そしてこの神額に書かれている「魚居匏宮」(まないよさのみや)とは、古に天照大神が移って来たとされる「真名井吉佐宮」(まないよさのみや)なのではないかと言われています。笶原神社が元伊勢ではないかといわれている所以ですね。^^
西舞鶴駅前に「真名井の清水」があります。^^
この「真名井の清水」の写真は以前舞鶴を訪れたときに撮ったものですが、その説明によると「真名井の清水」の源流は笠水神社近くの霊泉から湧き出しているみたいですね。
細川幽斎公も「真名井の名水」で茶の湯を楽しんでいたのですか~。^^
笶原神社には、慶長5年(1600年)に細川忠興が田辺城篭城戦において父幽斎公が無事だったことに感謝して社殿を再建した際の棟札(建築・修築の記録)が残っていたそうです。加佐郡誌にその棟札の全文が書かれていて、その中で「笶原神宮は眞名井原與佐宮(真名井吉佐宮)といわれている三社のうちの一社」とはっきりと書かれています。
なるほど~、細川忠興の時代でも元伊勢は謎だったみたいですね。^^
現在でも細川忠興によるこの棟札は残っているのでしょうか・・・。自分の中では重要文化財級なのですが・・・。
古くから由緒ある大社の古跡として、人々の崇敬を受けてきた笶原神社ですが、細川家が豊前国へ移されるとその社勢は段々と衰えていきました・・・。
笶原神社を後にした自分は近くにある西舞鶴の商店街へ・・・
舞鶴の水路の風景って大好きです・・・。
商店街では土曜夜の市が行なわれていました。
舞鶴の商店街ではいつも素敵な音楽と出会ってる気がします。^^
そんな素敵な商店街の名前は・・・
【サンモール マナイ】
そうです、笶原神社がかつて「魚居社」(まないのやしろ)と呼ばれていたことにちなんだ名前だそうです。
商店街の方たちは、元伊勢だったとも伝えられている由緒正しい社の名を忘れずに、誇りをもって商店街の名としたのですね。なんだか嬉しくなってきました。^^
なので、サンモール マナイ商店街の入り口にあるここへ・・・
『こうちゃん』
やっぱり美味しい~。 このラーメンの美味しさは豊受大神も大絶賛ですね~。^^
自分はラーメンも大好きですが、チャーハンも大好きです。いつもラーメン&チャーハンのセットメニューを頼みます。^^
というわけで、東舞鶴にスゴク美味しいチャーハンがあるというので行ってみることにしました。
ソニックマイヅルさま、メチャウマ情報ありがとうございました~。^^
では、どうぞ~^^
東舞鶴 【ラーメン専門店 麺楽】 チャーハン(スープ付)
このお店はラーメン屋さんなのですが、チャーハンがとても美味しいとの評判です。
自分は暗くなってから行ったのですが、いっぱいのお客様で賑わっていました。
先ほど西舞鶴の「こうちゃん」でラーメンを食べたので、自分はチャーハンの単品メニューでしたが、他のお客様はみなさんセットメニューを注文されていました~。^^
それでは、いただきま~す。^^
美味し~い。 あっという間に完食~。^^
『東西舞鶴 ラーメン&チャーハン 究極のセットメニュー』 堪能いたしました~。
ちなみに、【ラーメン専門店 麺楽】さんはこんな感じのお店です。
夜のお店は失敗写真だったので、翌日撮りました。(笑)
舞鶴の夜の海へ・・・
小樽行きのフェリーですね。いいなぁ、いつかバイクで北海道を走ってみたいです。^^
翌朝・・・
ホテルからのオーシャンビューです。 もう、最高ですね。^^
この日は、赤れんが倉庫や赤れんが博物館を見て・・・
さ~て、前回舞鶴を訪れたときに乗れなかった「海軍ゆかりの港めぐり遊覧船」に乗りますよ~。
こんな感じで舞鶴東港をぐるっと一周します。
では、発進!
海上自衛官OBによるマニアックな解説がその気にさせます。(笑)
その昔、舞鶴東港は帝国海軍の軍港で海軍工廠がありました。
現在では、民間企業のユニバーサル造船が自衛艦の改修やメンテナンスを行なっています。
艦番号がありませんのではっきりとはわかりませんが、定期点検中のイージス艦「みょうこう」でしょうか・・・
こちらは全面改装中の護衛艦「しらね」ですね。
それでは、海上自衛隊 北吸桟橋の方へ・・・
イージス艦「あたご」と護衛艦「あけぼの」ですね。
イージス艦「あたご」は第2世代のイージス艦でステルス性能にすぐれています。
やっぱり海から船を眺めるのはいいなあ・・・ 気持ちいい~。^^
それでは、赤れんが倉庫の市政記念館に戻って、海軍カレーを食べましょう~。^^
お皿の錨マークが海軍カレーの証かな・・・。(笑)
海軍カレーも食べたことだし、そろそろ帰るとしますか・・・
帰りは大好きな琵琶湖に寄り道~。^^
夏の琵琶湖も美しいです。^^
青い空と湖に浮かぶ竹生島・・・
暑かったけど心に残る丹後路の旅でした。^^
では、また。
魅惑の丹後路ツーリング 【京都府京丹後市『竹野神社』~宮津市『元伊勢 籠神社』】 [日記]
さてさて、今回は前回の「元伊勢内宮 皇大神社」の続きです。^^
「元伊勢内宮 皇大神社」のある京都府福知山市大江町は、その昔丹波の大江山に住んでいたといわれている「酒呑童子(しゅてんどうじ)」の里なのです。
「酒呑童子」は日本最強の鬼といわれていて、かなりの酒好きだそうです。(笑)
なのでここの鬼たちは昼間から酒をかっくらっています。
あ~っ自分もキンキンに冷えたビール飲みたいです。 暑~っ。(笑)
前回の記事でも書きましたが、Wikiによれば丹後には元伊勢ではないかといわれている神社が4ケ所程あるそうです。
まあ、はるばる丹後まで来てますので、残り3ヶ所の元伊勢神社へも行ってみようかなってことで、こんな感じで巡ってみることにしました。^^
次の目的地は丹後半島の北西にある「竹野神社」です。
「元伊勢内宮 皇大神社」からクネクネ山道を通り抜け、京丹後市街を経て「竹野神社」へ・・・
それにしても凄く暑い・・・ 道端の気温表示は37℃になっていました。
体温より暑いという・・・
ヘロヘロになりながら「竹野神社」に到着~。^^
でも、あまりに暑いので、竹野神社の真向かいにあった「古代の里資料館」に緊急ピットインすることにしました。
いやぁ、冷房効いてて涼しい~。^^
このご時勢なので、冷房の設定温度は高めなのでしょうが、外の外気温と比べたら、そりゃあもう天国です~。
夏の季節の博物館や美術館そして資料館は最高ですね~。
偶然に飛び込んだ「古代の里資料館」ですが、おかげさまで、この辺りは遥か昔から人が住んでいて、近くには巨大古墳などいくつかあるのがわかりました。
資料館の外の芝生広場には古墳時代の竪穴住居などが復元されていました。
それにしても・・・
竪穴住居の屋根の木組みは、現在の神社の屋根の上部に見られる千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)の原型なのでしょうか・・・。
そんな感じで見ていくと・・・
高床式倉庫も元伊勢の内宮や外宮で見た神明造など古い神社建築様式の社殿に似てる感じがします。^^
さてさて、体のクールダウンもばっちりで、そろそろ「竹野神社」へ向かいます。
御祭神は天照大神で、創建は不明ですが「古事記」や「日本書紀」にも記されているほど古いみたいです。
中門はちょっと変わった感じの唐風ですね。^^
竹野神社本殿と末社の齋宮神社ですね。
とても古い感じがしましたが、中門も本殿も江戸時代に造られたものみたいです。
竹野神社は「古事記」や「日本書紀」にも記されているほど古い神社だということはわかりましたが、元伊勢と関係がありそうなものは御祭神が天照大神だということぐらいで、他に見つけることは出来ませんでした・・・。
それでは、竹野神社をあとにします・・・。
一路、京都府の宮津市にある「籠神社」へ・・・
「籠神社(このじんじゃ)」は、あの日本三景の一つ「天橋立」のすぐ近くにあります。
なので、「天橋立股のぞき」で有名な傘松公園に寄り道しま~す。^^
歴史のある天橋立ケーブルカーで股のぞきしに行きます。^^
ところで、単線二両交走式(つるべ式)ケーブルカーって上りと下りのケーブルカーがすれ違うとき、うまい具合に左右に分かれてすれ違いますよね。
普通の電車のように可動式のポイント切り替え機も無いのに不思議だと思いません?
そんな不思議なケーブルカーの仕組みをもっと詳しく知りたい方はこちら・・・
なるほど~、実はケーブルカーってカッチリとレールにはまっているのは外側の車輪だけで、内側の車輪はレールの上に乗っかっているだけなのか~。
だからうまい事左右に分かれてすれ違うことが出来るのですね。^^
ここはリフトでも上って行けます。^^
自分はちょっとレトロなケーブルカーに乗って傘松公園へ・・・
おおっ~。素晴しい~。^^
ケーブル駅からちょっと上ったところは股のぞき発祥の地らしいです。
それでは、せっかくなので自分も股のぞきしてみます。
こんな感じで~。^^
せ~の!
はいっ!
ほえ~っ、頭に血がのぼって、よくわかりません~。(笑)
ど~ですか~、天に架かる浮き橋のように見えますか~。^^
ひとしきり傘松公園で天橋立を楽しんだあとは、元伊勢 籠神社へ向かいます。^^
天橋立観光船~ ^^
「元伊勢 籠神社」に到着~
手水舎~ ^^
近づくと・・・
うおっ、いきなり水が出ました。^^
上を見上げると・・・
そこにはセンサーが・・・
ハイテク手水舎でした~ ^^
う~ん、ここも古いですね。御由緒によれば、もともと神代の昔から奥宮の「真名井原」に豊受大神が祀られていてたと書かれています。
伊勢神宮外宮の豊受大神宮に祀られている豊受大神は、ここから御移りになられたとのこと・・・
豊受大神は、神々にたてまつる食物を司る神であることから、衣食住、そして産業の守護神としてあがめられています。 豊受大神・・・ そして真名井・・・
憶えていますか、前回の元伊勢内宮 皇大神社に「真名井(マナイ)の池」があったのを・・・
真名井(マナイ)・・・ どうやら『真名井(マナイ)』という言葉は元伊勢であることのキーワードのようです。
巫女さまが舞っていらっしゃいます。 おじさま釘付け~。^^
境内でこんなもの発見!
あはは~、大亀に小亀が乗ってる~ (笑)
そして・・・
【真名井稲荷神社】
ふ~ん、「奥宮 真名井神社」ってこれですか~なんて思っていましたが・・・
これは大きな大間違いでした。
帰ってから写真見て気づきました。
「奥宮 真名井神社」は別の場所にあるんだってことを・・・(笑)
調べてみると、「奥宮 真名井神社」は「元伊勢 籠神社」から北東に約500m離れたところにあるみたいです。
【元伊勢 籠神社HPより】
境内に「天の真名井の御神水」があるみたいですね。
「元伊勢内宮 皇大神社」の真名井の池も湧水でしたので、真名井(マナイ)は御神水と関係がありそうです。
ま、やっちゃったのはしかたないので、「真名井神社」は今度丹後に行ったときのお楽しみですね。^^
では、また。
「元伊勢内宮 皇大神社」のある京都府福知山市大江町は、その昔丹波の大江山に住んでいたといわれている「酒呑童子(しゅてんどうじ)」の里なのです。
「酒呑童子」は日本最強の鬼といわれていて、かなりの酒好きだそうです。(笑)
なのでここの鬼たちは昼間から酒をかっくらっています。
あ~っ自分もキンキンに冷えたビール飲みたいです。 暑~っ。(笑)
前回の記事でも書きましたが、Wikiによれば丹後には元伊勢ではないかといわれている神社が4ケ所程あるそうです。
まあ、はるばる丹後まで来てますので、残り3ヶ所の元伊勢神社へも行ってみようかなってことで、こんな感じで巡ってみることにしました。^^
次の目的地は丹後半島の北西にある「竹野神社」です。
「元伊勢内宮 皇大神社」からクネクネ山道を通り抜け、京丹後市街を経て「竹野神社」へ・・・
それにしても凄く暑い・・・ 道端の気温表示は37℃になっていました。
体温より暑いという・・・
ヘロヘロになりながら「竹野神社」に到着~。^^
でも、あまりに暑いので、竹野神社の真向かいにあった「古代の里資料館」に緊急ピットインすることにしました。
いやぁ、冷房効いてて涼しい~。^^
このご時勢なので、冷房の設定温度は高めなのでしょうが、外の外気温と比べたら、そりゃあもう天国です~。
夏の季節の博物館や美術館そして資料館は最高ですね~。
偶然に飛び込んだ「古代の里資料館」ですが、おかげさまで、この辺りは遥か昔から人が住んでいて、近くには巨大古墳などいくつかあるのがわかりました。
資料館の外の芝生広場には古墳時代の竪穴住居などが復元されていました。
それにしても・・・
竪穴住居の屋根の木組みは、現在の神社の屋根の上部に見られる千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)の原型なのでしょうか・・・。
そんな感じで見ていくと・・・
高床式倉庫も元伊勢の内宮や外宮で見た神明造など古い神社建築様式の社殿に似てる感じがします。^^
さてさて、体のクールダウンもばっちりで、そろそろ「竹野神社」へ向かいます。
御祭神は天照大神で、創建は不明ですが「古事記」や「日本書紀」にも記されているほど古いみたいです。
中門はちょっと変わった感じの唐風ですね。^^
竹野神社本殿と末社の齋宮神社ですね。
とても古い感じがしましたが、中門も本殿も江戸時代に造られたものみたいです。
竹野神社は「古事記」や「日本書紀」にも記されているほど古い神社だということはわかりましたが、元伊勢と関係がありそうなものは御祭神が天照大神だということぐらいで、他に見つけることは出来ませんでした・・・。
それでは、竹野神社をあとにします・・・。
一路、京都府の宮津市にある「籠神社」へ・・・
「籠神社(このじんじゃ)」は、あの日本三景の一つ「天橋立」のすぐ近くにあります。
なので、「天橋立股のぞき」で有名な傘松公園に寄り道しま~す。^^
歴史のある天橋立ケーブルカーで股のぞきしに行きます。^^
ところで、単線二両交走式(つるべ式)ケーブルカーって上りと下りのケーブルカーがすれ違うとき、うまい具合に左右に分かれてすれ違いますよね。
普通の電車のように可動式のポイント切り替え機も無いのに不思議だと思いません?
そんな不思議なケーブルカーの仕組みをもっと詳しく知りたい方はこちら・・・
なるほど~、実はケーブルカーってカッチリとレールにはまっているのは外側の車輪だけで、内側の車輪はレールの上に乗っかっているだけなのか~。
だからうまい事左右に分かれてすれ違うことが出来るのですね。^^
ここはリフトでも上って行けます。^^
自分はちょっとレトロなケーブルカーに乗って傘松公園へ・・・
おおっ~。素晴しい~。^^
ケーブル駅からちょっと上ったところは股のぞき発祥の地らしいです。
それでは、せっかくなので自分も股のぞきしてみます。
こんな感じで~。^^
せ~の!
はいっ!
ほえ~っ、頭に血がのぼって、よくわかりません~。(笑)
ど~ですか~、天に架かる浮き橋のように見えますか~。^^
ひとしきり傘松公園で天橋立を楽しんだあとは、元伊勢 籠神社へ向かいます。^^
天橋立観光船~ ^^
「元伊勢 籠神社」に到着~
手水舎~ ^^
近づくと・・・
うおっ、いきなり水が出ました。^^
上を見上げると・・・
そこにはセンサーが・・・
ハイテク手水舎でした~ ^^
う~ん、ここも古いですね。御由緒によれば、もともと神代の昔から奥宮の「真名井原」に豊受大神が祀られていてたと書かれています。
伊勢神宮外宮の豊受大神宮に祀られている豊受大神は、ここから御移りになられたとのこと・・・
豊受大神は、神々にたてまつる食物を司る神であることから、衣食住、そして産業の守護神としてあがめられています。 豊受大神・・・ そして真名井・・・
憶えていますか、前回の元伊勢内宮 皇大神社に「真名井(マナイ)の池」があったのを・・・
真名井(マナイ)・・・ どうやら『真名井(マナイ)』という言葉は元伊勢であることのキーワードのようです。
巫女さまが舞っていらっしゃいます。 おじさま釘付け~。^^
境内でこんなもの発見!
あはは~、大亀に小亀が乗ってる~ (笑)
そして・・・
【真名井稲荷神社】
ふ~ん、「奥宮 真名井神社」ってこれですか~なんて思っていましたが・・・
これは大きな大間違いでした。
帰ってから写真見て気づきました。
「奥宮 真名井神社」は別の場所にあるんだってことを・・・(笑)
調べてみると、「奥宮 真名井神社」は「元伊勢 籠神社」から北東に約500m離れたところにあるみたいです。
【元伊勢 籠神社HPより】
境内に「天の真名井の御神水」があるみたいですね。
「元伊勢内宮 皇大神社」の真名井の池も湧水でしたので、真名井(マナイ)は御神水と関係がありそうです。
ま、やっちゃったのはしかたないので、「真名井神社」は今度丹後に行ったときのお楽しみですね。^^
では、また。
丹後の元伊勢へ・・・ ~大地に描かれた五芒星の旅2~ 【京都府福知山市 元伊勢神宮 皇大神社】 [ふしぎ探検隊シリーズ]
は~い、皆さまこんにちは!
今回は、「大地に描かれた五芒星の旅」の2番目の場所、「元伊勢内宮 皇大神社」に来ています
ここは京都府福知山市大江町・・・
「元伊勢神宮」・・・元伊勢という文字を見て、あの三重県伊勢市にある「伊勢神宮」と何か関係のある神社ではないかな~って思われる方もいらっしゃると思いますが、実はそうなのです。^^
【元伊勢神宮】 wikiより~
元伊勢神宮(もといせじんぐう)とは、伊勢神宮が伊勢の現在地に着座するまでに遷座した時に各地に分祀して残された元伊勢と云われる神社群であるが、特に丹波国(後に丹後国、現京都府福知山市大江町)に着座した皇大神社と豊受大神社はそれぞれ元内宮と元外宮と伝わり、これらが近接してあるので、大江町の二社を総称して元伊勢神宮ということがある。また、同地内の岩戸山という異称を持つ日室ヶ嶽の麓には天岩戸神社があって、これらで元伊勢三社ともいう。
簡単にいうと、現在の「伊勢神宮」の御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)ですが、元々は天皇の皇居に祀られていました。しかしながら、遥か遥か昔に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、長い月日をかけて現在地に鎮座したと伝えられています。
そうなのです、ここ「元伊勢内宮 皇大神社」は、天照大御神が現在地の伊勢神宮へ遷る以前に一時的に祀られたのではないかといわれている神社なのです。
現在の伊勢神宮に行ったことのある方はご存知だと思いますが、伊勢神宮は天照大御神が祀られている「内宮」と、少し離れたところに「外宮」の豊受大神宮があります。
ここ「元伊勢」にも外宮の「元伊勢外宮 豊受大神社」があります。
まあ、神宮参拝の順路は、まず外宮から内宮へというのが古来からのならわしなので、自分も「元伊勢内宮 皇大神社」に来る前に「元伊勢外宮 豊受大神社」から参拝してきました。 ^^
【元伊勢外宮 豊受大神社】
御祭神は豊受大御神(とようけおおみかみ)で、衣食住をはじめすべての産業の守り神としてあがめられています。
おもしろいことに左右後と三方を境内末社に囲まれています。
もちろん「元伊勢外宮」ばかりでなく、元伊勢内宮への道すがら「五十鈴川」も見つけました。^^
さてさて、お話は「元伊勢内宮」に戻りまして・・・
いざ、元伊勢内宮へ参拝です。^^
ずんずん登っていきます。
は~は~ぜ~ぜ~・・・ 暑い・・・
途中「真名井の池」がありました。
湧水のようです。
そして、この「真名井(マナイ)」という言葉をよく覚えておいてください・・・
ようやく到着~。^^
ここの鳥居は「黒木の鳥居」と呼ばれる鳥居で、皮付きの杉の木が使われていて、最も古い形式の鳥居だといわれているそうです。「元伊勢外宮 豊受大神社」の鳥居も「黒木の鳥居」でしたが、元伊勢以外では見られないみたいです。
社殿はさすがに「元伊勢」だけあって「神明造」です。
ここも境内末社がずらり囲んでいるため、「神明造」の社殿を裏から見ることが出来ます。
伊勢神宮の社殿は一般には見ることが出来ませんが、ここでは「神明造」の社殿を思う存分見ることができます。^^
御由緒によれば、元伊勢内宮が創建されたのは、今から2千年以上前の紀元前に創建されたとのこと。
凄いな~。^^
う~ん、実に興味深い事実がわかりました。
元伊勢内宮と伊勢神宮とを結ぶラインは、冬至の日に太陽が昇るラインと一致するようです。(驚)
やっぱり「大地に描かれた五芒星」には、何か大いなる秘密が隠されているようですね~。^^
では、元伊勢内宮からさらに渓谷を上ったところにある「天岩戸神社」へ行ってみます。
一旦戻って、バイクで行くことにします。^^
神話の世界のお話ですね~。 ロマンだ~。^^
恐る恐る渓谷に下りて行きます。
見上げるとそこには・・・
お~っ、「天岩戸神社」が・・・ (驚)
もしかして参拝するためにはこの鎖を使って上って行くのでは・・・
「無理無理~ 絶対無理~」 TT
物凄いところに「天岩戸神社」があります。ちょっと危険なので自分は下の岩場で参拝しました。
それでは、神話の世界から現世へ戻ります・・・
さて、天照大御神がこの丹後の地で祀られたのが2千年以上前の紀元前のこと。
しかも祀られていたのが4年ぐらいの間だったので、実際に祀られていた場所が何処だったかはっきりとはわかっていません。
wikiによれば丹後には「元伊勢内宮 皇大神社」を含めて「元伊勢」ではないかといわれている神社が4ケ所ほどあるそうです。
【皇大神社】・・・京都府福知山市大江町内宮
【竹野神社】・・・京都府京丹後市丹後町宮
【真名井神社(籠神社摂社)】・・・京都府宮津市江尻
【笶原神社】・・・京都府舞鶴市紺屋
本当の元伊勢の地はどこなのでしょうか・・・
さてさて、この元伊勢の旅はまだまだ続きますよ~。^^
では、また。
今回は、「大地に描かれた五芒星の旅」の2番目の場所、「元伊勢内宮 皇大神社」に来ています
ここは京都府福知山市大江町・・・
「元伊勢神宮」・・・元伊勢という文字を見て、あの三重県伊勢市にある「伊勢神宮」と何か関係のある神社ではないかな~って思われる方もいらっしゃると思いますが、実はそうなのです。^^
【元伊勢神宮】 wikiより~
元伊勢神宮(もといせじんぐう)とは、伊勢神宮が伊勢の現在地に着座するまでに遷座した時に各地に分祀して残された元伊勢と云われる神社群であるが、特に丹波国(後に丹後国、現京都府福知山市大江町)に着座した皇大神社と豊受大神社はそれぞれ元内宮と元外宮と伝わり、これらが近接してあるので、大江町の二社を総称して元伊勢神宮ということがある。また、同地内の岩戸山という異称を持つ日室ヶ嶽の麓には天岩戸神社があって、これらで元伊勢三社ともいう。
簡単にいうと、現在の「伊勢神宮」の御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)ですが、元々は天皇の皇居に祀られていました。しかしながら、遥か遥か昔に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、長い月日をかけて現在地に鎮座したと伝えられています。
そうなのです、ここ「元伊勢内宮 皇大神社」は、天照大御神が現在地の伊勢神宮へ遷る以前に一時的に祀られたのではないかといわれている神社なのです。
現在の伊勢神宮に行ったことのある方はご存知だと思いますが、伊勢神宮は天照大御神が祀られている「内宮」と、少し離れたところに「外宮」の豊受大神宮があります。
ここ「元伊勢」にも外宮の「元伊勢外宮 豊受大神社」があります。
まあ、神宮参拝の順路は、まず外宮から内宮へというのが古来からのならわしなので、自分も「元伊勢内宮 皇大神社」に来る前に「元伊勢外宮 豊受大神社」から参拝してきました。 ^^
【元伊勢外宮 豊受大神社】
御祭神は豊受大御神(とようけおおみかみ)で、衣食住をはじめすべての産業の守り神としてあがめられています。
おもしろいことに左右後と三方を境内末社に囲まれています。
もちろん「元伊勢外宮」ばかりでなく、元伊勢内宮への道すがら「五十鈴川」も見つけました。^^
さてさて、お話は「元伊勢内宮」に戻りまして・・・
いざ、元伊勢内宮へ参拝です。^^
ずんずん登っていきます。
は~は~ぜ~ぜ~・・・ 暑い・・・
途中「真名井の池」がありました。
湧水のようです。
そして、この「真名井(マナイ)」という言葉をよく覚えておいてください・・・
ようやく到着~。^^
ここの鳥居は「黒木の鳥居」と呼ばれる鳥居で、皮付きの杉の木が使われていて、最も古い形式の鳥居だといわれているそうです。「元伊勢外宮 豊受大神社」の鳥居も「黒木の鳥居」でしたが、元伊勢以外では見られないみたいです。
社殿はさすがに「元伊勢」だけあって「神明造」です。
ここも境内末社がずらり囲んでいるため、「神明造」の社殿を裏から見ることが出来ます。
伊勢神宮の社殿は一般には見ることが出来ませんが、ここでは「神明造」の社殿を思う存分見ることができます。^^
御由緒によれば、元伊勢内宮が創建されたのは、今から2千年以上前の紀元前に創建されたとのこと。
凄いな~。^^
う~ん、実に興味深い事実がわかりました。
元伊勢内宮と伊勢神宮とを結ぶラインは、冬至の日に太陽が昇るラインと一致するようです。(驚)
やっぱり「大地に描かれた五芒星」には、何か大いなる秘密が隠されているようですね~。^^
では、元伊勢内宮からさらに渓谷を上ったところにある「天岩戸神社」へ行ってみます。
一旦戻って、バイクで行くことにします。^^
神話の世界のお話ですね~。 ロマンだ~。^^
恐る恐る渓谷に下りて行きます。
見上げるとそこには・・・
お~っ、「天岩戸神社」が・・・ (驚)
もしかして参拝するためにはこの鎖を使って上って行くのでは・・・
「無理無理~ 絶対無理~」 TT
物凄いところに「天岩戸神社」があります。ちょっと危険なので自分は下の岩場で参拝しました。
それでは、神話の世界から現世へ戻ります・・・
さて、天照大御神がこの丹後の地で祀られたのが2千年以上前の紀元前のこと。
しかも祀られていたのが4年ぐらいの間だったので、実際に祀られていた場所が何処だったかはっきりとはわかっていません。
wikiによれば丹後には「元伊勢内宮 皇大神社」を含めて「元伊勢」ではないかといわれている神社が4ケ所ほどあるそうです。
【皇大神社】・・・京都府福知山市大江町内宮
【竹野神社】・・・京都府京丹後市丹後町宮
【真名井神社(籠神社摂社)】・・・京都府宮津市江尻
【笶原神社】・・・京都府舞鶴市紺屋
本当の元伊勢の地はどこなのでしょうか・・・
さてさて、この元伊勢の旅はまだまだ続きますよ~。^^
では、また。