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謎の《北緯34度32分》太陽の道 ~序章~ 【兵庫県 淡路島】 [謎の《北緯34度32分》太陽の道]

それは昨年の11月『大地に描かれた五芒星の旅』で淡路島を訪れたときのこと・・・

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淡路島の観光ポータルサイトで、淡路島なのに「伊勢」の名のついた神社を見つけました。

『伊勢久留麻神社』 → 詳しくはコチラ



このときの『大地に描かれた五芒星の旅』の目的地は『伊弉諾神宮』(いざなぎじんぐう)だったのですが、伊勢の名のついた神社に魅かれて、『伊勢久留麻神社』に寄り道してみることにしました。^^

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【伊勢久留麻神社】



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ガオ~ッ ^^



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伊勢の国の旅人が淡路の『伊勢久留麻神社』で旅の安全を祈願しました~。^^



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【本殿】




で、伊勢久留麻神社の御由緒を見てみると・・・

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なるほど、ここ淡路の『伊勢久留麻神社』は、第三十代敏達天皇(527~585年)の頃、伊勢の『久留真神社』を勧請した神社なのですか~。 だから伊勢の名がついているのですね。^^

御祭神は大日孁貴尊(おおひるめのむちのかみ)。 いわゆる天照大神ですね。

延喜式によると淡路の一宮は『伊弉諾神宮』で、ここ『伊勢久留麻神社』は三宮になるのですね。


と、つらつら読んでいくと興味深い記述がありました。


『昭和55年2月11日建国の日にNHKテレビが特別番組として「知られざる古代~謎の北緯34度32分を行く」で西のお伊勢さんとして紹介した・・・』


ん、「知られざる古代~謎の北緯34度32分を行く」ってなんだろう???

なので、帰ってからちょいと調べてみました。。。


【NHK特集 知られざる古代 謎の北緯34度32分をゆく】

~大和の三輪山のふもと、箸墓を通る北緯34度32分の線上に、太陽崇拝に関係のある古墳、神社、寺が並ぶ。それは一体何を意味するのか。神島から淡路島まで約200Kを取材。淡路島の石上神社の謎の巨石、伊勢久留麻神社、伊勢斎宮跡など、また、この東西線を古代人がどうして引くことが出来たか?国土地理院の協力で推理し復元する。~

昭和55年といえば西暦1980年ですね。今から32年前にこんな興味深い番組が放映されたのですね。
ぜひ見てみたいですこの番組! もう一度放映してくれないかな・・・ やっぱり無理でしょうね・・・ ^^


この番組の中でここ『伊勢久留麻神社』は西のお伊勢さんとして紹介されたそうです。なんでも、奈良の箸墓古墳を中心に伊勢神宮と東西対称に位置するそうです。




淡路島にはもう一つ【NHK特集 知られざる古代 謎の北緯34度32分をゆく】で紹介されたところがあるようで、『石上神社の謎の巨石』を見に行くことにしました。


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Aの『伊勢久留麻神社』からBの『石上神社』まで6kmぐらいです。



淡路島の気持ちいい内陸の道にはコスモスがいっぱい咲いていました。。。

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で、謎の巨石がある『石上神社』にやってまいりました。

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【石上神社】 (いわがみじんじゃ) → 詳しくはコチラ



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確かに《北緯34度32分》の線上には太陽崇拝に関係のある神社、寺院、霊峰が並んでいるようです。
そしてここ『石上神社』もそのひとつ・・・

それになんと、未だに『女人禁制』の風習が残っているようです。

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太陽信仰の地では「日を迎える座」は男性が祭事をつかさどり、「日を追う座」は女性が祭事をつかさどっていた・・・ 「女人禁制」の本来の意味は、男性が祭事をつかさどっていたから「女人禁制」だったのですね。



それでは、石上神社へいってみましょう。

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巨石が見えてまいりました。^^



これは・・・

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神社というよりは日本人の信仰の原点である自然崇拝に近い形なのでは・・・ しかも「女人禁制」の風習が未だに守られているなんて・・・ こんな場所が残っていたとは、驚きです。^^



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このあたりには巨石がゴロゴロしているようです。

淡路島は「国生み神話」の地。 思わず淡路島が生まれた遥か昔の時代へと思いを馳せてしまいます。^^





思いもよらず、『大地に描かれた五芒星の旅』の淡路島で出会った『謎の北緯34度32分』・・・

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昨年は、『大地に描かれた五芒星の旅』で各地を巡りました。

今年はその旅で出会った『謎の《北緯34度32分》太陽の道』をゆっくりと巡ってみたいと思います。



さて、どんな出会いが待っているのでしょうか。^^



軍師 竹中半兵衛ゆかりの地へ・・・ 竹中氏陣屋跡 【岐阜県垂井町】 [日記]

春の訪れを感じさせる暖かい日差しに誘われて、やって来ました・・・

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久々のバイクツーリング・・・ この日は3/3(土)でした~。 ひな祭りデスネ・・・。^^



さて、ここは何処?この武将は誰でしょう?

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ここは、岐阜県の垂井町、羽柴秀吉の軍師 竹中半兵衛ゆかりの地に来ています。




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自分が住んでいる所から45kmぐらいの距離です。関ヶ原の決戦地からは近くて約6kmぐらいの距離にあります。^^



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【竹中氏陣屋跡】


そして櫓門の前に堂々とと腰を下ろしているお方こそ・・・

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【竹中半兵衛重治公之像】



陣中で堂々と戦況を見つめる竹中半兵衛重治公・・・ → 詳しくはコチラ 

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カッコイイです。^^



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美濃の国主 斉藤家に仕えていた半兵衛の父 重元は、ここの近くの菩提山に城を築きました。竹中半兵衛重治は菩提山城を本拠に秀吉の名軍師としてその名を馳せました。この「竹中家陣屋跡」は半兵衛の子 重門が関ヶ原合戦後に居城である「菩提山城」から下りて陣屋を構えたのが、その始まりだそうです。

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現存する木造白壁塗りの櫓門や石垣、濠などが当時の面影を留めていますね。^^



でもまあ、残っているのはそれだけなのですが・・・ (笑)

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櫓門の向こうは幼稚園です。^^



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歴史を感じさせる門扉ですね。



櫓門を裏から見た・・・

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櫓門の横から石垣の上に上れるみたいなので上ってみます。



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半兵衛の子 重門は関が原の戦いでは東軍に属し、その後は六千石の旗本として徳川家に使えました。

残っている堀はこれだけですが、当時の陣屋の雰囲気は伝わってきますね。





石垣の上から、半兵衛の居城があった菩提山城方面を見てみた。

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どうやら送電線の鉄塔の向こうが菩提山城跡みたいです・・・




ぐるっと裏手にまわって幼稚園のお隣の小学校から櫓門を見てみました。

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この辺の小学校も陣屋の敷地だったのかな・・・



おっ、こんなもの発見!

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これは逆上がり練習機では・・・。自分が小学生の頃はこんな便利なものはなかったな・・・。^^




竹中氏陣屋跡近くには「菁莪記念館」っていう資料館があるのですが・・・

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この日は土曜日で14時からしか開いてなかったので、残念ながら入ることは出来ませんでした。



ちなみに、資料館の中にはこんな感じの竹中氏陣屋の復元模型があるらしいです。

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見てみたかったな・・・。^^



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ん~いい感じだ~。^^




それでは竹中氏陣屋跡を後にして、竹中氏の菩提寺の「禅幢寺」へ行ってみましょう。

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竹中氏陣屋跡から北へ500mの距離にあります。



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写真をクリックすると大きくなるよ



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禅幢寺の本堂です。

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禅幢寺には町指定文化財の半兵衛の肖像画があるみたいです。



ちなみにこんな感じの竹中半兵衛重治公の肖像画です。

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Wikipediaより
これはきっと竹中氏陣屋の前の半兵衛の像のモデルとなった肖像画ですよね~。^^




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竹中半兵衛の本拠があった菩提山城跡へ行く登山口まで行ってみた。

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標高400mの菩提山城まで45分・・・ 簡単にはお城まで行かせてはくれませんね。 熊も出そうだし・・・ (笑)

他に行きたいところもあったので、菩提山城跡へは次回訪れたときのお楽しみということで・・・。^^





垂井町の町中にある『タルイピアセンター』へ・・・

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『タルイピアセンター』の中には図書館や歴史民族資料館があります。




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歴史民族資料館の一角には「竹中氏と垂井」のコーナーがありました。

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秀吉公、御自ら半兵衛の活躍をナビゲートしてくれます。^^

わずか18名で稲葉山城を奪取した話や黒田官兵衛の嫡男・松寿丸(後の黒田長政)を匿って助けた話など、おなじみのエピソードで楽しめました~。



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36歳の生涯ですか・・・。 竹中半兵衛がもっと生きていたなら、織田信雄・徳川家康連合軍と戦った小牧・長久手の戦いもまた違っていた展開になっていたかも・・・。

自らの功を誇らず、常に謙虚で恩賞など顧みることなどなかった竹中半兵衛は、戦国の世において稀有な存在ですね。
正に軍師中の軍師です。^^




垂井の歴史民族資料館がある「タルイピアセンター」の中には図書館もあるのですが、館内でこんなもの見つけました~。

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図書館でいらなくなった本をタダでいただけるコーナー。 なんと、お一人様何冊でもOKみたいです。^^



それでは・・・

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自分はおみやげにこの本をGet!

太閤秀吉亡き後の秀頼と慶長年間の大坂を舞台に、結城虎之助という青年剣士の物語が展開していく・・・

面白そうな本ですね~。 これは帰ってからのお楽しみだ~。^^




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