「松平郷」 徳川家康公の祖先 松平氏発祥の地へ・・・ 【愛知県 豊田市 松平郷】 [日記]
は~い皆様、ご無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか。^^
今回はここに来ています。^^
【松平郷】
愛知県豊田市の市街地から東へ離れた山村に位置し、豊かな自然に包まれている『松平郷』。
ここは江戸時代を治めた徳川家 『徳川家康』 のルーツである松平家発祥の地として、当時の面影を今に伝えています。
前回、豊田市を訪れたときに、本当はここへも行きたかったのですが、時間がなくて今回また豊田市へ来てみました・・・。(笑)
豊田市の市街地から松平郷まで約10kmぐらいの距離なのですが、とても同じ豊田市とは思えないほど豊かな自然に囲まれています。(笑)
松平郷の史跡観光案内図で位置を確認。 フムフム、まずは「松平城址」へ行きますか・・・。^^
ここは松平城址への登り口です。
「松平城」は松平家の始祖 松平親氏(ちかうじ)公が室町時代前半に築城したと伝えられています。
略系図を見ると、松平親氏公は徳川家康公の8代前に当たるみたいですね。
まあ、普段は松平郷の居館に住んでいて、いざ戦いとなるとこのお城に立てこもって戦ったようですね。^^
それでは「松平城」へ登城しますか・・・。
山城をズンズン主郭へと登って行きます。
標高300mの山なのですが、登り口から180mぐらいなので、楽~。^^
やっぱり山城登るのは寒い季節がいいかもね・・・。
暑くないし~。草もボーボーぢゃないし~。熊も冬眠してるし~。(笑)
さて、山頂の主郭へ到着です。
まだ、前日の雪が残っていました。
まあ、こんな日に松平城の城址に登ってる人は、自分しかいませんね。(笑)
昔の縄張図をみるとこんな感じだったみたいです。
山腹には山を包むように約400mの空堀の跡が残っているそうです。
それでは、曲輪を巡りながら下りていきます。^^
松平氏の始祖である親氏公は、近隣7ヶ村を手中にし松平氏の勢力拡大のきっかけをつくった人です。
その後、代々の松平氏は安城・岡崎に勢力を広げ、その地を拠点として西三河の大半を手中にし、戦国時代の一大勢力となっていきました。
しかし、東の今川氏と西の織田氏に攻められるようになってからは、次第にその勢力は衰えていきました・・・。
それでは、『松平東照宮』へ行ってみます。^^
おやっ、祭りですか~。^^
松平郷を訪れた日は、2月12日(土)だったので、翌日に「天下祭」が行われたようです。
裸男たちの勇壮な「練り込み」と「玉競り」が見ものだそうです。^^
それにしても・・・
楽しそう~。(笑)
ヘイ、「松平東照宮」に到着しました。
「東照宮」ですね・・・ここは徳川家康公が祀られています。
立身出世の神や政治の守神というのはわかりますが、安産の神でもあるのですね。^^
徳川家康は子沢山だったからかな・・・。(笑)
このお堀や石垣は関ヶ原の合戦のあとに築かれたそうです。
では、社殿へ行ってみましょう。^^
派手さはありませんが、なかなかどうして趣きがありますね~。^^
それでは、家康公の産湯に使われたという「産湯の井戸」へ・・・
フムフム、「安産の神」は家康公の産湯に使われたところからきているわけですね・・・。
なので・・・
『ええぃ、頭が高~い』
ここの石灯籠には、「この紋処が目に入らぬか~」オーラが出ていました。(笑)
そんな恐れ多そうな『産湯の井戸』はこれです。^^
奥には「産八幡の宮」がありました。
まあ、「産湯の井戸」より、こっちの方が目立ってましたね~。^^
なぜなら・・・
金ピカな「葵の御紋」~。 (笑)
本殿にも
まさに、徳川家康公の祖先 松平氏 発祥の地ですね~。^^
そんな「松平東照宮」を後にして、「高月院」へ・・・
『高月院』 松平家の菩提寺
おっと~
なんだかグレムリンっぽい・・・。(笑)
本堂ですね・・・。^^
境内にありました~
元信君(徳川家康公)御手植の枝垂桜(シダレザクラ)
松平氏の菩提寺として、徳川家康公によって寺領100石が与えられ、明治維新まで時の将軍家から厚い保護を受けていました。
山門や本堂は、寛永18年(1641年)に三代将軍 徳川家光によって建てられたものと言われています。
春は近いのかな・・・。^^
高月院を後にして、ぶらりんしていたら、美味しそうなノボリを発見!
「天下もち」に「麦飯とろろ」ですか~。美味しそう~。^^
それでは、遅めの昼食にしますか~。^^
「麦飯とろろ」^^
とろっとろの「とろろ」を・・・
あつあつの「麦飯」にぶっかけて・・・
いただきま~す。^^
「旨い~」
こりゃ、最高ですね・・・。^^
最後は徳川家康公ゆかりの地「松平郷」にふさわしく「天下もち」をいただきます。^^
座りしままに 食うは 家康・・・
歌も餅もうまいなあ・・・(笑)
では、また
今回はここに来ています。^^
【松平郷】
愛知県豊田市の市街地から東へ離れた山村に位置し、豊かな自然に包まれている『松平郷』。
ここは江戸時代を治めた徳川家 『徳川家康』 のルーツである松平家発祥の地として、当時の面影を今に伝えています。
前回、豊田市を訪れたときに、本当はここへも行きたかったのですが、時間がなくて今回また豊田市へ来てみました・・・。(笑)
豊田市の市街地から松平郷まで約10kmぐらいの距離なのですが、とても同じ豊田市とは思えないほど豊かな自然に囲まれています。(笑)
松平郷の史跡観光案内図で位置を確認。 フムフム、まずは「松平城址」へ行きますか・・・。^^
ここは松平城址への登り口です。
「松平城」は松平家の始祖 松平親氏(ちかうじ)公が室町時代前半に築城したと伝えられています。
略系図を見ると、松平親氏公は徳川家康公の8代前に当たるみたいですね。
まあ、普段は松平郷の居館に住んでいて、いざ戦いとなるとこのお城に立てこもって戦ったようですね。^^
それでは「松平城」へ登城しますか・・・。
山城をズンズン主郭へと登って行きます。
標高300mの山なのですが、登り口から180mぐらいなので、楽~。^^
やっぱり山城登るのは寒い季節がいいかもね・・・。
暑くないし~。草もボーボーぢゃないし~。熊も冬眠してるし~。(笑)
さて、山頂の主郭へ到着です。
まだ、前日の雪が残っていました。
まあ、こんな日に松平城の城址に登ってる人は、自分しかいませんね。(笑)
昔の縄張図をみるとこんな感じだったみたいです。
山腹には山を包むように約400mの空堀の跡が残っているそうです。
それでは、曲輪を巡りながら下りていきます。^^
松平氏の始祖である親氏公は、近隣7ヶ村を手中にし松平氏の勢力拡大のきっかけをつくった人です。
その後、代々の松平氏は安城・岡崎に勢力を広げ、その地を拠点として西三河の大半を手中にし、戦国時代の一大勢力となっていきました。
しかし、東の今川氏と西の織田氏に攻められるようになってからは、次第にその勢力は衰えていきました・・・。
それでは、『松平東照宮』へ行ってみます。^^
おやっ、祭りですか~。^^
松平郷を訪れた日は、2月12日(土)だったので、翌日に「天下祭」が行われたようです。
裸男たちの勇壮な「練り込み」と「玉競り」が見ものだそうです。^^
それにしても・・・
楽しそう~。(笑)
ヘイ、「松平東照宮」に到着しました。
「東照宮」ですね・・・ここは徳川家康公が祀られています。
立身出世の神や政治の守神というのはわかりますが、安産の神でもあるのですね。^^
徳川家康は子沢山だったからかな・・・。(笑)
このお堀や石垣は関ヶ原の合戦のあとに築かれたそうです。
では、社殿へ行ってみましょう。^^
派手さはありませんが、なかなかどうして趣きがありますね~。^^
それでは、家康公の産湯に使われたという「産湯の井戸」へ・・・
フムフム、「安産の神」は家康公の産湯に使われたところからきているわけですね・・・。
なので・・・
『ええぃ、頭が高~い』
ここの石灯籠には、「この紋処が目に入らぬか~」オーラが出ていました。(笑)
そんな恐れ多そうな『産湯の井戸』はこれです。^^
奥には「産八幡の宮」がありました。
まあ、「産湯の井戸」より、こっちの方が目立ってましたね~。^^
なぜなら・・・
金ピカな「葵の御紋」~。 (笑)
本殿にも
まさに、徳川家康公の祖先 松平氏 発祥の地ですね~。^^
そんな「松平東照宮」を後にして、「高月院」へ・・・
『高月院』 松平家の菩提寺
おっと~
なんだかグレムリンっぽい・・・。(笑)
本堂ですね・・・。^^
境内にありました~
元信君(徳川家康公)御手植の枝垂桜(シダレザクラ)
松平氏の菩提寺として、徳川家康公によって寺領100石が与えられ、明治維新まで時の将軍家から厚い保護を受けていました。
山門や本堂は、寛永18年(1641年)に三代将軍 徳川家光によって建てられたものと言われています。
春は近いのかな・・・。^^
高月院を後にして、ぶらりんしていたら、美味しそうなノボリを発見!
「天下もち」に「麦飯とろろ」ですか~。美味しそう~。^^
それでは、遅めの昼食にしますか~。^^
「麦飯とろろ」^^
とろっとろの「とろろ」を・・・
あつあつの「麦飯」にぶっかけて・・・
いただきま~す。^^
「旨い~」
こりゃ、最高ですね・・・。^^
最後は徳川家康公ゆかりの地「松平郷」にふさわしく「天下もち」をいただきます。^^
座りしままに 食うは 家康・・・
歌も餅もうまいなあ・・・(笑)
では、また