掛川城 【静岡県 掛川市 掛川城】 [日記]
やってまいりました『掛川城』!^^
前回、掛川市にある安倍晴明ゆかりの水神宮と晴明塚に行きましたが、せっかく掛川市へ来てるのだからと『掛川城』に寄ってみました。^^
ちょっと雲行きが怪しくなって参りましたが・・・(笑)
本丸に入ると・・・
「あっ、掛川城にもおもてなし武将隊がいるんだ~」なんて思っていましたが、実はこのお方、My甲冑を着て掛川城を観光している一般の方だったのです。
素晴しい~ ^^
この甲冑は森 蘭丸モデルの赤バージョンでしょうか・・・
陣羽織もきまっています。^^
実に楽しそうです。お城や甲冑が大好きなのでしょうね。
なんだが嬉しくなってきました。^^
それでは天守閣へ・・・
この天守閣は平成6年(1994年)に再建されたものですが、なんと木造です。^^
で、最初に掛川城の天守閣を作った人はあの『功名が辻』の山内一豊さんです。
掛川城はもともと今川方のお城で、後に徳川方となり、家康が関東に転封されたときに、近江の長浜から山内一豊が移ってきました。
一豊は城下の整備を行なうとともに、それまで無かった天守閣を作りました。^^
ここ掛川城で何より素晴しいのは、二の丸御殿が現存御殿であるということ・・・
顔出しパネルはもちろん「一豊&千代」ですね。^^
ここがベストアングルのようです。
御殿の中は落ち着いた雰囲気で素晴しい~。^^
お殿様も天守閣を眺めながら政務に励んでいたことでしょう。^^
安政の大地震(1854年)で、天守閣も二の丸御殿も倒壊してしまいました。
現在の二の丸御殿は、安政の大地震後に再建された御殿です。
そろそろ閉門時間となりましたので、下城します。
掛川城近くを流れる逆川(さかがわ)の土手には、百合の花が咲き乱れていました。
こんなにたくさんの百合の花って初めてかも・・・。 綺麗だなぁ。^^
では、また。
前回、掛川市にある安倍晴明ゆかりの水神宮と晴明塚に行きましたが、せっかく掛川市へ来てるのだからと『掛川城』に寄ってみました。^^
ちょっと雲行きが怪しくなって参りましたが・・・(笑)
本丸に入ると・・・
「あっ、掛川城にもおもてなし武将隊がいるんだ~」なんて思っていましたが、実はこのお方、My甲冑を着て掛川城を観光している一般の方だったのです。
素晴しい~ ^^
この甲冑は森 蘭丸モデルの赤バージョンでしょうか・・・
陣羽織もきまっています。^^
実に楽しそうです。お城や甲冑が大好きなのでしょうね。
なんだが嬉しくなってきました。^^
それでは天守閣へ・・・
この天守閣は平成6年(1994年)に再建されたものですが、なんと木造です。^^
で、最初に掛川城の天守閣を作った人はあの『功名が辻』の山内一豊さんです。
掛川城はもともと今川方のお城で、後に徳川方となり、家康が関東に転封されたときに、近江の長浜から山内一豊が移ってきました。
一豊は城下の整備を行なうとともに、それまで無かった天守閣を作りました。^^
ここ掛川城で何より素晴しいのは、二の丸御殿が現存御殿であるということ・・・
顔出しパネルはもちろん「一豊&千代」ですね。^^
ここがベストアングルのようです。
御殿の中は落ち着いた雰囲気で素晴しい~。^^
お殿様も天守閣を眺めながら政務に励んでいたことでしょう。^^
安政の大地震(1854年)で、天守閣も二の丸御殿も倒壊してしまいました。
現在の二の丸御殿は、安政の大地震後に再建された御殿です。
そろそろ閉門時間となりましたので、下城します。
掛川城近くを流れる逆川(さかがわ)の土手には、百合の花が咲き乱れていました。
こんなにたくさんの百合の花って初めてかも・・・。 綺麗だなぁ。^^
では、また。
遠州にある安倍晴明公ゆかりの地 ~祈り~ 【静岡県 掛川市 水神宮】 [ふしぎ探検隊シリーズ]
は~い、暑い暑い日々が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今回は掛川市にある「水神宮」への旅の続きです。^^
ワゴンRは天竜川を越えて、一路「水神宮」のある、静岡県掛川市横須賀へ・・・
磐田市、袋井市を通って、ようやく掛川市横須賀にやってまいりましたが・・・
地図を見ると、「水神宮」の境内社「月夜見神社」の近くに「横須賀城跡公園」があるのがわかると思います。
「水神宮」へ行く前に、まずは「横須賀城跡」に行ってみることにします。^^
【横須賀城跡】
なるほど・・・「横須賀城」は徳川家康が織田信長と同盟を結んでいたころ、武田軍に奪われていた「高天神城」を奪還するために、家康が家臣の大須賀康高に命じて築城させたお城だったのですね。^^
なんといっても、「横須賀城」の特徴といえば・・・
玉石垣~ ^^
これは珍しい「玉石垣」のお城です。初めてみました。^^
説明板に書かれていましたが、この玉石垣は平成6年~平成8年にかけて復元されたそうです。
本来の玉石垣は天竜川の石が使われていたみたいですが、復元された玉石垣の灰青色の石は大井川から採取された石を使っているそうです。
それでは、本丸の方へ・・・
そして、天守台跡です。^^
裏手にあたる北の丸から本丸・天守閣跡を眺めてみます。^^
あはは、見事な土塁ですね。玉石垣ではありません。^^
築城当時(1578年~1580年)は、砦のようなもので、天守はもちろん石垣等も築かれていない城だったようです。
横須賀城の城郭が形造られたのは、徳川家康の関東転封にともなって大須賀氏も関東へ移って、新たに城主となった渡瀬氏、または次の有馬氏の時代(1590年~1600年)の頃だといわれています。
江戸期には三層四階の天守閣があったそうです。
横須賀城図をよく見るとわかると思いますが、正面を向いた部分だけ玉石垣が積まれています。
丸っこくて不安定な河原の石を使っているところを見ると、この辺りでは石垣用の石材を調達することは難しかったようですね。
この図を見ると下の方に「入江」と書かれているのがわかると思います。
そうなのです、この横須賀城はかつて海に面していたお城だったのです。
説明文によれば宝永4年(1707年)の宝永大地震によって、地盤が隆起したとあります。
正直驚きました。だってここ横須賀城は海からかなりの距離がありますもん。
宝永の大地震でいったいどれだけ隆起したのでしょうか・・・・ 地図でみると海から2km位はありそうです。
宝永地震は東海・東南海地震と南海地震が同時に発生したM8.4 - 8.6の巨大地震で、今年の東北地方太平洋沖地震が起こるまでは、記録に残る日本最大級の地震だったそうです。死者2万人余、倒壊家屋6万戸余、土佐を中心に大津波が襲った・・・。そしてこの地震から49日後に富士山が大噴火して、江戸でも火山灰が降り積もったそうです。
宝永大地震が起きるまでは一帯が入江であり港町でもありました。港町時代は遠江航路の中継地でしたが、港が失われると陸上交通の中継地、宿場町へと変わっていったそうです。
当時の堀は埋められて、二の丸は宅地化され、現在では本丸周辺しか残っていません。
では、横須賀城の不開門が移築され現存しているという「撰要寺」に行ってみることにします。
ここ「撰要寺」は歴代の横須賀城主と関係が深い寺院みたいですね。
説明文によれば、宝永大地震だけではなく、嘉永7年(1854年)の安政東海地震でも土地が隆起したみたいですね。このときの津波による被害も甚大だったみたいです。
【不開門】(あかずの門) 横須賀城現存遺構
う~ん、やっぱり歴史を感じさせる古さですね。^^
そして、「撰要寺」の石垣も・・・
玉石垣でした~。^^
ただ、崩れやすい角だけは加工した石を使っての「算木積み」ですね。
玉石垣の古さから見て、かつての横須賀城もこんな感じだったのでしょうか。
さて、それでは、目的地の「水神宮」へ行くとしますか・・・
三の丸跡にワゴンRを停めて歩いていきます。「水神宮」へは近いです、三の丸跡から300m位です。
「水神宮」に到着~ ^^
やっぱり、ここも玉石垣ですね。
でも、階段がすごく急なんです。
仰角60度ぐらいあります。
手すりも無いし、落ちないように気をつけないと・・・
【水神宮】
水神宮は寛和元年(985年)、安倍晴明が勧請したといういい伝えがある小さな神社です。
主祭神は「水波能売命」で水神様です。
水神宮の横に、大正8年(1919年)にここに合祀された「月夜見神社」がありますね。
地図には「月夜見神社」しかのっていませんけど・・・(笑)
ここへ来る前には、海の近くにない「水神宮」に違和感を覚えたのですが、横須賀城に行ったときに、宝永・安政の大地震の土地隆起で海から離れてしまった事実を知って納得したのでした。
でも高名な陰陽師の安倍晴明がこの地へ来て、水神様を勧請したのには何か理由があったのでしょうか。
その謎を解くために、さらに5km位離れた掛川市の大渕地区にある晴明塚へ行ってみます。
晴明塚へGo!
と、その前に・・・
清水邸庭園で一服~ ^^
今日は表千家の先生のお茶が楽しめるようです。^^
千利休を祖をする千家流茶道は3代目の宗旦の次代のときに分派し、表千家・裏千家・武者小路千家の「三千家」となりました。
現在では裏千家が茶道諸流派中最大の流派です。
今日は本家の表千家の先生が点てたお茶をいただきます。^^
梅の御菓子も美味しゅうございました。^^
三千家の点前作法はそれぞれに少し違いがありますが、お茶に関していえば、裏千家のお茶はよく泡立てますが、表千家・綾小路千家ではそんなには泡立てません。
今日のお茶は表千家のお茶なのでそんなには泡立ってないですね。^^
表千家では茶杓に抹茶を一杯半ですが、裏千家では二杯入れますので、抹茶の量の違いもあるようです。
茶室の雰囲気も表千家の先生の所作や会話も素晴しく、けっこうなお手前でした。^^
それでは、晴明塚へ・・・
やってまいりました「晴明塚」。
あずき色の石が積まれている不思議な場所です。
うん、やっぱり安倍晴明は津波を防ぐためにこの地へ来たのですね。
過去より幾度となく繰り返されてきた悲劇を防ぐためにこの地で祈った・・・。
歴史を振り返れば、安倍晴明が生きているうちはこの地で大地震は起らなかったみたいです。
安倍晴明が千年前に祈ったこの地は、海の近くだったのでしょうが、今の海は遠くにあります。
ワゴンRで海へ・・・
海鳴りが怖いぐらいです。
今までたくさんの涙を流してきたけれど・・・
今の自分は祈ることぐらいしかできないけれど・・・
きっといつか乗り越えることが出来るよ。
では、また。
今回は掛川市にある「水神宮」への旅の続きです。^^
ワゴンRは天竜川を越えて、一路「水神宮」のある、静岡県掛川市横須賀へ・・・
磐田市、袋井市を通って、ようやく掛川市横須賀にやってまいりましたが・・・
地図を見ると、「水神宮」の境内社「月夜見神社」の近くに「横須賀城跡公園」があるのがわかると思います。
「水神宮」へ行く前に、まずは「横須賀城跡」に行ってみることにします。^^
【横須賀城跡】
なるほど・・・「横須賀城」は徳川家康が織田信長と同盟を結んでいたころ、武田軍に奪われていた「高天神城」を奪還するために、家康が家臣の大須賀康高に命じて築城させたお城だったのですね。^^
なんといっても、「横須賀城」の特徴といえば・・・
玉石垣~ ^^
これは珍しい「玉石垣」のお城です。初めてみました。^^
説明板に書かれていましたが、この玉石垣は平成6年~平成8年にかけて復元されたそうです。
本来の玉石垣は天竜川の石が使われていたみたいですが、復元された玉石垣の灰青色の石は大井川から採取された石を使っているそうです。
それでは、本丸の方へ・・・
そして、天守台跡です。^^
裏手にあたる北の丸から本丸・天守閣跡を眺めてみます。^^
あはは、見事な土塁ですね。玉石垣ではありません。^^
築城当時(1578年~1580年)は、砦のようなもので、天守はもちろん石垣等も築かれていない城だったようです。
横須賀城の城郭が形造られたのは、徳川家康の関東転封にともなって大須賀氏も関東へ移って、新たに城主となった渡瀬氏、または次の有馬氏の時代(1590年~1600年)の頃だといわれています。
江戸期には三層四階の天守閣があったそうです。
横須賀城図をよく見るとわかると思いますが、正面を向いた部分だけ玉石垣が積まれています。
丸っこくて不安定な河原の石を使っているところを見ると、この辺りでは石垣用の石材を調達することは難しかったようですね。
この図を見ると下の方に「入江」と書かれているのがわかると思います。
そうなのです、この横須賀城はかつて海に面していたお城だったのです。
説明文によれば宝永4年(1707年)の宝永大地震によって、地盤が隆起したとあります。
正直驚きました。だってここ横須賀城は海からかなりの距離がありますもん。
宝永の大地震でいったいどれだけ隆起したのでしょうか・・・・ 地図でみると海から2km位はありそうです。
宝永地震は東海・東南海地震と南海地震が同時に発生したM8.4 - 8.6の巨大地震で、今年の東北地方太平洋沖地震が起こるまでは、記録に残る日本最大級の地震だったそうです。死者2万人余、倒壊家屋6万戸余、土佐を中心に大津波が襲った・・・。そしてこの地震から49日後に富士山が大噴火して、江戸でも火山灰が降り積もったそうです。
宝永大地震が起きるまでは一帯が入江であり港町でもありました。港町時代は遠江航路の中継地でしたが、港が失われると陸上交通の中継地、宿場町へと変わっていったそうです。
当時の堀は埋められて、二の丸は宅地化され、現在では本丸周辺しか残っていません。
では、横須賀城の不開門が移築され現存しているという「撰要寺」に行ってみることにします。
ここ「撰要寺」は歴代の横須賀城主と関係が深い寺院みたいですね。
説明文によれば、宝永大地震だけではなく、嘉永7年(1854年)の安政東海地震でも土地が隆起したみたいですね。このときの津波による被害も甚大だったみたいです。
【不開門】(あかずの門) 横須賀城現存遺構
う~ん、やっぱり歴史を感じさせる古さですね。^^
そして、「撰要寺」の石垣も・・・
玉石垣でした~。^^
ただ、崩れやすい角だけは加工した石を使っての「算木積み」ですね。
玉石垣の古さから見て、かつての横須賀城もこんな感じだったのでしょうか。
さて、それでは、目的地の「水神宮」へ行くとしますか・・・
三の丸跡にワゴンRを停めて歩いていきます。「水神宮」へは近いです、三の丸跡から300m位です。
「水神宮」に到着~ ^^
やっぱり、ここも玉石垣ですね。
でも、階段がすごく急なんです。
仰角60度ぐらいあります。
手すりも無いし、落ちないように気をつけないと・・・
【水神宮】
水神宮は寛和元年(985年)、安倍晴明が勧請したといういい伝えがある小さな神社です。
主祭神は「水波能売命」で水神様です。
水神宮の横に、大正8年(1919年)にここに合祀された「月夜見神社」がありますね。
地図には「月夜見神社」しかのっていませんけど・・・(笑)
ここへ来る前には、海の近くにない「水神宮」に違和感を覚えたのですが、横須賀城に行ったときに、宝永・安政の大地震の土地隆起で海から離れてしまった事実を知って納得したのでした。
でも高名な陰陽師の安倍晴明がこの地へ来て、水神様を勧請したのには何か理由があったのでしょうか。
その謎を解くために、さらに5km位離れた掛川市の大渕地区にある晴明塚へ行ってみます。
晴明塚へGo!
と、その前に・・・
清水邸庭園で一服~ ^^
今日は表千家の先生のお茶が楽しめるようです。^^
千利休を祖をする千家流茶道は3代目の宗旦の次代のときに分派し、表千家・裏千家・武者小路千家の「三千家」となりました。
現在では裏千家が茶道諸流派中最大の流派です。
今日は本家の表千家の先生が点てたお茶をいただきます。^^
梅の御菓子も美味しゅうございました。^^
三千家の点前作法はそれぞれに少し違いがありますが、お茶に関していえば、裏千家のお茶はよく泡立てますが、表千家・綾小路千家ではそんなには泡立てません。
今日のお茶は表千家のお茶なのでそんなには泡立ってないですね。^^
表千家では茶杓に抹茶を一杯半ですが、裏千家では二杯入れますので、抹茶の量の違いもあるようです。
茶室の雰囲気も表千家の先生の所作や会話も素晴しく、けっこうなお手前でした。^^
それでは、晴明塚へ・・・
やってまいりました「晴明塚」。
あずき色の石が積まれている不思議な場所です。
うん、やっぱり安倍晴明は津波を防ぐためにこの地へ来たのですね。
過去より幾度となく繰り返されてきた悲劇を防ぐためにこの地で祈った・・・。
歴史を振り返れば、安倍晴明が生きているうちはこの地で大地震は起らなかったみたいです。
安倍晴明が千年前に祈ったこの地は、海の近くだったのでしょうが、今の海は遠くにあります。
ワゴンRで海へ・・・
海鳴りが怖いぐらいです。
今までたくさんの涙を流してきたけれど・・・
今の自分は祈ることぐらいしかできないけれど・・・
きっといつか乗り越えることが出来るよ。
では、また。
ワゴンRで行く~SUZUKIの聖地~スズキ歴史館 【静岡県 浜松市 スズキ歴史館】 [日記]
6月の梅雨の合間の休日・・・午後から雨予報・・・
そんな日はバイクではなくてワゴンRでお出かけ~。^^
高速道路ETC割引休日上限1000円も終わることだし、東にある安倍晴明公ゆかりの地へ行ってみることにしました。
【水神宮】 静岡県掛川市
それでは、高速の伊勢湾岸道から東名高速に乗って三重県から東へ・・・
今回はSUZUKIのワゴンRで来てますので、浜松でチョコット寄り道~ ^^
【スズキ歴史館】 静岡県浜松市スズキ本社前 (駐車場の駐車可能台数に限りがありますので、見学するためには予約がいります。)
おっと~、『スズキ歴史館』の駐車場にさりげなくSUZUKIのEV車がありました。^^
【スイフト レンジ・エクステンダー】
『スイフト レンジ・エクステンダー』は、発電用エンジンを搭載したEV車(電気自動車)です。プラグインハイブリッドの実証実験車で市販はしてません。^^
なんせ発電用エンジンを搭載してますので、バッテリー残量を気にすることなく走れます。バッテリーが少なくなってきたら勝手に発電用エンジンが起動します。走行はすべてモーターで走りますので、トヨタやホンダのハイブリッド車とはちょっと違うようです。
ちょっと到着が早すぎたかな・・・。^^
『スズキ歴史館』のオープンまで少し時間がありましたので、スズキ本社前をブラリン~。^^
【スズキ株式会社 本社】
おっと~、先ほど『スズキ歴史館』の駐車場で見た、「スイフト レンジ・エクステンダー」号が本社駐車場にもありました。^^
こんな感じでプラグ・イン~。
フェンス越しに盗撮してますが、別に怪しい者ではありません。(笑)
んで、「スイフト レンジ・エクステンダー」号の近くには・・・
左から、日産「リーフ」、三菱「アイ・ミーブ」、スズキ「レンジ・エクステンダー」・・・
ウホ~、ここはスズキ本社の中・・・、ライバル車を比較研究してますね~。
こうして見ると、ライバルはEV車であり、ハイブリッド車ではないみたいですね。^^
このままじっと見ていたいけど、守衛さんに怪しまれる前に退散します。(笑)
さてさて、そうこうしてるうちにオープンの時間となりましたので、『スズキ歴史館』へ・・・
『スズキ歴史館』の1階はカーディーラーのショールームみたいな感じですね。^^
SUZUKIのフラッグシップモデル『Kizashi』(キザシ)が展示されてました~
初めて見ましたが、カッコイイです。^^
おっと~、こっちにはヨシムラの鈴鹿8耐優勝マシンが展示されてました~。^^
今年はチームシンスケが参戦するそうですが、果たしてどのチームが優勝するのでしょうか~。^^
それでは2Fへ・・・
ここは、スズキのものづくりを紹介しているフロアーですね。^^
まずは、開発から~。^^
モックアップモデル~ ^^
もちろんバイクのエンジンのモックアップモデルもありました~
スイフトのカットモデル~
お次はスイフトの生産ライン~
ここの2Fの展示室には遠州のものづくりの歴史や特産品などの紹介コーナーがあったりして・・・
ここで思いがけず「ドーマン」発見!^^
【浜名湖ドーマン】
浜名湖で獲れるカニみたいです。(笑)
幻の蟹と言われていて、その濃厚な味わいは食通をうならせるらしい・・・。^^
安倍晴明公ゆかりの地への旅の途中で、ちょっと違うけど「ドーマン」に出逢えるとは嬉しいですね。^^
遠州 浜松には、SUZUKIの本社があるばかりでなく、YAMAHAの本社もあります。そして、HONDAの創業の地でもあるのです。
そう、ここ浜松は二輪の聖地なのです~。^^
ちなみにKawasakiは神戸ですが何か・・・。(笑)
スズキ創業者 【鈴木道雄】 さん
ヤマハ創業者 【山葉寅楠】 さん
そして、ホンダ創業者 【本田宗一郎】 さん
ついでに、世界のトヨタグループの創始者 【豊田佐吉】 さんも遠州出身なのですね。^^
そして3Fへ・・・ スズキの歴史に迫ります・・・。^^
生涯で100以上の実用的な発明をした、スズキの創業者 【鈴木道雄】さんの自動織機は「スズキのものづくり」の原点なのだそうです。
「ものづくりは文化だ」 そんなスズキの「ものづくりの精神」に触れてみましょう。^^
創意の人 鈴木道雄 裸一貫 独立独歩の旅、始まる・・・ ^^
1909 年に創業した「鈴木式織機製作所」は、1920 年には「鈴木式織機株式会社」へと法人設立するまでに成長し、日本はもとより東南アジアにもその名を知られるようになっていったそうです。
1930 年代半ば、創業者の鈴木道雄さんは織機業界の先行きに疑問を抱いて、新しい分野への進出として小型自動車の生産を考えたそうです。そして、1939 年夏には念願の試作車も造られ、小型自動車の開発が順調に進むかに見えましたが・・・。
日本は戦争へと突き進んでしまったのです。浜松は空襲と艦砲射撃による被害で街が瓦礫と化してしまいました。スズキの工場も相当な被害を受けたそうです。
戦後の混乱期、スズキは手持ちの資材で織機製造の準備を進め、再スタートを切りました。
そして1952年「パワーフリー号」が発売されました。
【パワーフリー号】
記念すべきスズキ初のバイクモーター
現在のスズキはここから始まったのですね。パワーフリー号の成功がなければ今のスズキは無いわけですが、自動織機製造で培った技術が無ければまた、今のスズキは無いわけですね。^^
新しい分野へ果敢にチャレンジしたスズキの経営者と技術陣に脱帽です。^^
それでは、スズキの車とバイクを楽しむぞ~ オ~! (^^)/
【スズライト】
日本で最初の軽四輪乗用車(1955年)
【コレダ250TB】
【スズライト キャリイ】
スズキ初のトラックで「キャリイ」の初期型モデルです。(1961年)
う~ん、味わいのあるスタイルだな~。^^
【フロンテ360】
スズライトはFF方式でしたが、フロンテ360はRR方式(後エンジン・後輪駆動)を採用
おっと~、こちらのバイクは・・・
【GT750】
750cc 水冷2サイクル 3気筒エンジン
2ストエンジンって今では絶滅してしまいましたが、「ウォーターバッファロー」・・・
日本バイク史上に残る名車ですね。^^
【キャリイ バン】
万博電気自動車
この形おもしろ~い。^^
【フロンテ クーペ】
そして初めて見ましたロータリーバイク・・・
【RE-5】
シングルローター式ヴァンケル・ロータリーエンジン搭載
ジウジアーロ氏の手による斬新なデザイン ^^
斬新といえば、バイク史上に燦然と光り輝くこの名車・・・
【GSX-1100S KATANA】
ハンス・ムート氏デザイン
今見てもカッコイイですよね。^^
【ジムニー】
スズキといえばこの車も忘れてはならないですね。^^
【マメタン】
このバイクとてもカワイイです。欲しい~。^^
【RG400Γ】&【RG250Γ】
【GSX-R1100】&【GSX-R750】
【RGV500Γ】
1988年日本グランプリで優勝したケビン・シュワンツのマシン
最後に自分にとって忘れられない車が・・・
【初代ワゴンR】
今、自分は3代目ワゴンR(MH21S)に乗っていますが、その前には初代ワゴンRに乗っていました。
中古でちょっとくたびれてはいましたが、この車であちこち行きましたね~。^^
なんといっても、そのキュートなルックスがいいんですよね。
今でも街でこの車を見かけると、嬉しくなってしまいます。^^
さてと・・・たっぷりスズキワールドを楽しんだ後は、掛川の「水神宮」へ向かいます。
ワゴンRは天竜川を越えて・・・
お楽しみは次回ということで。^^
では、また。
そんな日はバイクではなくてワゴンRでお出かけ~。^^
高速道路ETC割引休日上限1000円も終わることだし、東にある安倍晴明公ゆかりの地へ行ってみることにしました。
【水神宮】 静岡県掛川市
それでは、高速の伊勢湾岸道から東名高速に乗って三重県から東へ・・・
今回はSUZUKIのワゴンRで来てますので、浜松でチョコット寄り道~ ^^
【スズキ歴史館】 静岡県浜松市スズキ本社前 (駐車場の駐車可能台数に限りがありますので、見学するためには予約がいります。)
おっと~、『スズキ歴史館』の駐車場にさりげなくSUZUKIのEV車がありました。^^
【スイフト レンジ・エクステンダー】
『スイフト レンジ・エクステンダー』は、発電用エンジンを搭載したEV車(電気自動車)です。プラグインハイブリッドの実証実験車で市販はしてません。^^
なんせ発電用エンジンを搭載してますので、バッテリー残量を気にすることなく走れます。バッテリーが少なくなってきたら勝手に発電用エンジンが起動します。走行はすべてモーターで走りますので、トヨタやホンダのハイブリッド車とはちょっと違うようです。
ちょっと到着が早すぎたかな・・・。^^
『スズキ歴史館』のオープンまで少し時間がありましたので、スズキ本社前をブラリン~。^^
【スズキ株式会社 本社】
おっと~、先ほど『スズキ歴史館』の駐車場で見た、「スイフト レンジ・エクステンダー」号が本社駐車場にもありました。^^
こんな感じでプラグ・イン~。
フェンス越しに盗撮してますが、別に怪しい者ではありません。(笑)
んで、「スイフト レンジ・エクステンダー」号の近くには・・・
左から、日産「リーフ」、三菱「アイ・ミーブ」、スズキ「レンジ・エクステンダー」・・・
ウホ~、ここはスズキ本社の中・・・、ライバル車を比較研究してますね~。
こうして見ると、ライバルはEV車であり、ハイブリッド車ではないみたいですね。^^
このままじっと見ていたいけど、守衛さんに怪しまれる前に退散します。(笑)
さてさて、そうこうしてるうちにオープンの時間となりましたので、『スズキ歴史館』へ・・・
『スズキ歴史館』の1階はカーディーラーのショールームみたいな感じですね。^^
SUZUKIのフラッグシップモデル『Kizashi』(キザシ)が展示されてました~
初めて見ましたが、カッコイイです。^^
おっと~、こっちにはヨシムラの鈴鹿8耐優勝マシンが展示されてました~。^^
今年はチームシンスケが参戦するそうですが、果たしてどのチームが優勝するのでしょうか~。^^
それでは2Fへ・・・
ここは、スズキのものづくりを紹介しているフロアーですね。^^
まずは、開発から~。^^
モックアップモデル~ ^^
もちろんバイクのエンジンのモックアップモデルもありました~
スイフトのカットモデル~
お次はスイフトの生産ライン~
ここの2Fの展示室には遠州のものづくりの歴史や特産品などの紹介コーナーがあったりして・・・
ここで思いがけず「ドーマン」発見!^^
【浜名湖ドーマン】
浜名湖で獲れるカニみたいです。(笑)
幻の蟹と言われていて、その濃厚な味わいは食通をうならせるらしい・・・。^^
安倍晴明公ゆかりの地への旅の途中で、ちょっと違うけど「ドーマン」に出逢えるとは嬉しいですね。^^
遠州 浜松には、SUZUKIの本社があるばかりでなく、YAMAHAの本社もあります。そして、HONDAの創業の地でもあるのです。
そう、ここ浜松は二輪の聖地なのです~。^^
ちなみにKawasakiは神戸ですが何か・・・。(笑)
スズキ創業者 【鈴木道雄】 さん
ヤマハ創業者 【山葉寅楠】 さん
そして、ホンダ創業者 【本田宗一郎】 さん
ついでに、世界のトヨタグループの創始者 【豊田佐吉】 さんも遠州出身なのですね。^^
そして3Fへ・・・ スズキの歴史に迫ります・・・。^^
生涯で100以上の実用的な発明をした、スズキの創業者 【鈴木道雄】さんの自動織機は「スズキのものづくり」の原点なのだそうです。
「ものづくりは文化だ」 そんなスズキの「ものづくりの精神」に触れてみましょう。^^
創意の人 鈴木道雄 裸一貫 独立独歩の旅、始まる・・・ ^^
1909 年に創業した「鈴木式織機製作所」は、1920 年には「鈴木式織機株式会社」へと法人設立するまでに成長し、日本はもとより東南アジアにもその名を知られるようになっていったそうです。
1930 年代半ば、創業者の鈴木道雄さんは織機業界の先行きに疑問を抱いて、新しい分野への進出として小型自動車の生産を考えたそうです。そして、1939 年夏には念願の試作車も造られ、小型自動車の開発が順調に進むかに見えましたが・・・。
日本は戦争へと突き進んでしまったのです。浜松は空襲と艦砲射撃による被害で街が瓦礫と化してしまいました。スズキの工場も相当な被害を受けたそうです。
戦後の混乱期、スズキは手持ちの資材で織機製造の準備を進め、再スタートを切りました。
そして1952年「パワーフリー号」が発売されました。
【パワーフリー号】
記念すべきスズキ初のバイクモーター
現在のスズキはここから始まったのですね。パワーフリー号の成功がなければ今のスズキは無いわけですが、自動織機製造で培った技術が無ければまた、今のスズキは無いわけですね。^^
新しい分野へ果敢にチャレンジしたスズキの経営者と技術陣に脱帽です。^^
それでは、スズキの車とバイクを楽しむぞ~ オ~! (^^)/
【スズライト】
日本で最初の軽四輪乗用車(1955年)
【コレダ250TB】
【スズライト キャリイ】
スズキ初のトラックで「キャリイ」の初期型モデルです。(1961年)
う~ん、味わいのあるスタイルだな~。^^
【フロンテ360】
スズライトはFF方式でしたが、フロンテ360はRR方式(後エンジン・後輪駆動)を採用
おっと~、こちらのバイクは・・・
【GT750】
750cc 水冷2サイクル 3気筒エンジン
2ストエンジンって今では絶滅してしまいましたが、「ウォーターバッファロー」・・・
日本バイク史上に残る名車ですね。^^
【キャリイ バン】
万博電気自動車
この形おもしろ~い。^^
【フロンテ クーペ】
そして初めて見ましたロータリーバイク・・・
【RE-5】
シングルローター式ヴァンケル・ロータリーエンジン搭載
ジウジアーロ氏の手による斬新なデザイン ^^
斬新といえば、バイク史上に燦然と光り輝くこの名車・・・
【GSX-1100S KATANA】
ハンス・ムート氏デザイン
今見てもカッコイイですよね。^^
【ジムニー】
スズキといえばこの車も忘れてはならないですね。^^
【マメタン】
このバイクとてもカワイイです。欲しい~。^^
【RG400Γ】&【RG250Γ】
【GSX-R1100】&【GSX-R750】
【RGV500Γ】
1988年日本グランプリで優勝したケビン・シュワンツのマシン
最後に自分にとって忘れられない車が・・・
【初代ワゴンR】
今、自分は3代目ワゴンR(MH21S)に乗っていますが、その前には初代ワゴンRに乗っていました。
中古でちょっとくたびれてはいましたが、この車であちこち行きましたね~。^^
なんといっても、そのキュートなルックスがいいんですよね。
今でも街でこの車を見かけると、嬉しくなってしまいます。^^
さてと・・・たっぷりスズキワールドを楽しんだ後は、掛川の「水神宮」へ向かいます。
ワゴンRは天竜川を越えて・・・
お楽しみは次回ということで。^^
では、また。