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もうひとつの「遥かなる五芒星の旅」ツーリング ~ 前編 【三重県 鳥羽市 海の博物館】 [日記]

前回は「五芒星」を求めて、三重県の鳥羽から大阪・京都への旅でした。

まあ、今回の記事は、そのときの寄り道ツーリング記事なのですけど・・・。(笑)

同じとこ行って、目線が違うだけでどんな内容になるのか、ちょっと楽しみ~。^^


この日は1月7日(金)で、あまり天気が良くない感じのドンヨリ曇の朝でした。

まあ、ギリギリまで車で行くか、バイクで行くか悩みましたけど、ど~してもバイクに乗りたい気持ちが勝ってNinjaで行くことにしました。

午前9時ぐらいの遅めの出発で、三重県の鳥羽まで山岳ルートでの南下でしたが、途中雪がひどくなり急遽海沿いのルートに変更しました。

まあ、大きく回り道でしたが国道23号線を三重県津市まで走って、高速道路の津インターチェンジから伊勢自動車道に乗りました。

なぜ津インターからなのかといいますと、津インターから南は高速道無料化実験中でタダなのです、タダ・・・。(笑)

途中、嬉野パーキングエリアで休憩です。

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あはは、こんなもの発見!

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《”日本一”食べづらい たこ焼き》

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直径8cmで超特大サイズのたこ焼き~。^^

タコやエビはもちろん丸ごと玉子1個入ってます。(笑) ナニコレ珍百景で紹介されたそうですよ~。

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このどデカサイズのたこ焼きホールで30分かけて焼き上げます。(笑)

もちろん2個入りを注文しました~。

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うおっデカッ!

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どれぐらいの大きさか比較するためにコーヒーのビッグカップを並べてみました。^^

このジャンボたこ焼き大きいだけではなくてズッシリと重いんですよ~。

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もちろん楊枝では食べれないので、お箸をもらって食べます。

本当に食べづらいです。(笑)

この日はちょっと冷え込んでいましたが、こんなオモシロたこ焼きを見つけると身も心も暖まりますね。^^




さてさてこの日の目的地は三重県鳥羽市の「海の博物館」なので、先を急ぎます。。。

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「おおっ、青空だ~」

鳥羽のパールロードに入るとご覧のとおりの晴天でした。三重県北部は雪模様だったのに・・・。(笑)

いきなり南国気分です。降り注ぐ日差しが気持ちいい~。

ここは本当に同じ三重県なのでしょうか~。^^




ということで、「海の博物館」に到着です。

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前回の記事でもご紹介しましたが、「海の博物館」は海と人間の関わりをテーマにした日本で唯一の博物館です。

日本の建築空間100選にも選ばれた、青空と建物と空間の調和がとても美しい博物館です。

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この博物館が出来たのは平成4年(1992年)ですから、バブルの頃の建築物ですね。

でも、バブルの頃の建築物の派手さや奇抜さはまったくありません。

とても落ち着いた雰囲気が鳥羽の美しい海と青空に映えます。

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シンプルだけど美しい瓦屋根・・・

かつて日本の建物にあったその美しさがここでは感じられる気がします。




さて、「海の博物館」は展示棟や収蔵庫などいくつかの建物に分かれており、その展示内容は4つの大きなテーマで構成されています。

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前回はその中の「志摩の海女」のコーナーで、海女さんたちの不思議な魔除け「セーマン・ドーマン」をご紹介しましたが、自分の中でもうひとつ「海の博物館」で見たかったものがあります。



それは、この人のコーナーです・・・

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【九鬼嘉隆】(くき よしたか)

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『九鬼嘉隆』・・・ほとんどの人は知らないと思います。(笑)

知っている人は本当に歴史が大好きな人か、地元の人じゃないかな~。^^

志摩の九鬼水軍を率い、信長や秀吉の水軍大将として戦国の荒海を縦横無尽に駆け抜けた海の武将ですね。

自分にとって、とても興味のある武将の一人ですが、その知名度の低さからあまりお目にかかることのない武将でした。

自分は昨年からコツコツと九鬼嘉隆ゆかりの場所を訪ねたりしてましたが、九鬼嘉隆関連のまとまった展示しているところはあまりなく、とても寂しい思いをしていました。

でもね~、なんとここ「海の博物館」に九鬼嘉隆のコーナーがあるのですよ。^^

とても小さなコーナーですが、嬉しかったな~。



九鬼嘉隆の本拠地『鳥羽城』ですね・・・

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写真の手前にあるのが、現在のミキモト真珠島ですね。


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『鳥羽城』は水軍の城にふさわしく四方を海で囲まれていて、その大手門はなんと海側に設けられていた海城でした。


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三層の天守閣で、魚を守るために海側は黒色、山側は白色で塗られていたそうです。

ただ、九鬼嘉隆の時代に天守閣があったかどうかはわかっていません。



はい、『日本丸』デス。

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秀吉の朝鮮出兵のおり、嘉隆はこの船で水軍を指揮したのですね。



おおっ、九鬼嘉隆に関する面白い古文書がありましたよ~。^^

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坂手島の釣り名人の藤九郎とお殿様が釣りをしていて、お殿様の竿にものすごい大ダコがかかったそうな。
藤九郎は懸命にお殿様が大ダコを釣り上げるのを手伝って、お殿様は見事に大ダコを釣り上げたそうな。
「大ダコじゃ~」 「大ダコじゃ~」 お殿様はたいそうお喜びなさったそうじゃ。
「それもこれも、そちがいてくれたおかげじゃ」
「そちの島の老(としより)に伝えい~」 
「この辺りから向こうまでの海の魚は、全てそちたちの島の民のものだと」 「がっはっは~」


なんて会話が交わされたかどうかは知りませんが、嘉隆は広範囲の漁業権を坂手島の人たちに与え、それが九鬼家が鳥羽の地を離れた後も代々の領主に引き継がれ、それが明治時代まで続いていたというから驚きです。

今でも藤九郎の子孫に米が送られているなんて、とっても心温まる話ですね。^^

泣く子も黙る九鬼水軍の大将が、領民と釣り糸をたれていたなんて話を聞くと、海賊の親分として恐れられていたというよりは、本当に慕われていた感じがします。なんかね~気のいいおっちゃんみたいな感じ~。(笑)



「へ~タコか~」なんて思っていると・・・

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いました・・・おすましタコ君!(笑)

ここは別の展示棟の水槽なのですが・・・。^^

いや~、今日はジャンボたこ焼き食べて、九鬼嘉隆の巨大なタコ釣りの話を聞いて、そしておすましタコ君を見る~!

見事なタコの三段活用じゃないですか~。^^

しっかりと話のツボ・・・いや、タコツボを押さえた展開ですね。(笑)


生タコってそんなにマジマジって見たことはないのですが、目が黄色なんですね。この種だけかも知れませんが。^^

面白いことに水槽に近づくとタコハウスから出てきます。それにしてもおすまし君だな~。^^




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「海の博物館」・・・自分的にはとっても楽しめました~。時間を忘れるくらいでしたね~。^^


本日の早口言葉・・・

『食べタコ 聞きタコ 見タコ タコ 合わせてタコ タコ 見タコ タコ 』 (笑)

そろそろいい時間となりましたので、帰ることにします。


せっかくパールロードに来ていますので、鳥羽展望台に行ってみることしました。

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おお~っ、やっぱり鳥羽展望台最高~!^^


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夕刻なので影が面白いことになってました。^^


なので、遊んでみました~

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足がビロ~~ン。(笑)


あはは~、普段は有名な観光地なので人やバイクがいっぱいで、さながらビッグバイクの展示会のようですが、この日は平日の夕刻とあってほとんど人がいませんでした。寂しい~。^^

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さて、今回は新春にふさわしいタコ(多幸)な話題満載の記事でしたが、ちょっと長くなっちゃいましたので、この辺で・・・。^^

次回は、もうひとつの「遥かなる五芒星の旅」ツーリングの後編 ~ 大阪・京都編をしたいなあと思います。

首を長くしてお待ちください。(笑) ←更新が遅くてゴメンナサイ。^^







では、また。


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