「遥かなる五芒星の旅へ」のプロローグ [ふしぎ探検隊シリーズ]
三重県の鳥羽から志摩へと続く美しいリアス式海岸線を縫うように走るパールロード・・・
『海の博物館』はそのパールロードから少し入ったところにあります。
そう、今回は三重県鳥羽市にある『海の博物館』に来ています。
『海の博物館』は海と人間の関わりをテーマにした日本で唯一の博物館です。
建物の趣はとても素晴しいものがあります。
この『海の博物館』のテーマの中のひとつに「志摩の海女」というコーナーがあります。
この展示のなかで一際目立つ不思議なマーク・・・
それは・・・
【ドーマン・セーマン】(セーマン・ドーマン)
この不思議なマークって何かといいますと・・・
海女さんたちが身に付けている「魔除け」なのです。
実際こんな感じで身に付けています・・・
左の星型のマークが「セーマン」で、右の格子のマークが「ドーマン」です。
『安部晴明』・・・映画「陰陽師」で一躍有名になりました平安時代の陰陽家(おんみょうか)で天文博士ですね。
そうなのです、この不思議な魔除けの印こそが、これから始まる遥かなる旅のプロローグです。
せっかくパールロードに来ていますので鳥羽展望台に寄り道・・・
時刻はすでに夕刻・・・
いつもは多くの観光客やライダーたちで賑わっているのですが、この日は訪れている人もまばらでした。
さて「不思議な魔除けの印」を求めて遥かなる旅への出発です。
翌日、「不思議な魔除けの印」を探しに、まずは大阪市阿倍野へ・・・
ここは大阪市阿倍野区にある「安部晴明神社」です。
安部晴明公の生誕の地と伝えられています。
境内には安部晴明公の像があります。
安部晴明公は延喜21年(921年)にこの地で生まれました。
幼少のころより聡明で陰陽の道を極めて、長じてはその功績により当時の朝廷や貴族たちの信頼を得ていました。
安部晴明公は、当時最先端の学問(呪術・科学)であった「天文道」や占いなどを、体系としてまとめた思想としての陰陽道に関して、卓越した知識を持っていた陰陽師であり、その逸話は神秘化されて数多くの伝説を生んでいったそうです。
ここでも「不思議な魔除けの印」を見つけました。
この印は「晴明桔梗印」と呼ばれるものです。いわゆる「五芒星」ですね。
五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として伝えられており、天地五行(木・火・土・金・水)を表しているそうです。
安倍晴明公は天地五行の象徴として、五芒星の紋を用いていたそうです。
さてさて、次はさらなる「五芒星」を求めて、京都市上京区にある「晴明神社」へ・・・
ここは安部晴明公の京都の住居跡とされ、晴明公は都に侵入する鬼を防ぐ役割を果たしていたそうです。
道路に面した一の鳥居にはあの「五芒星」が掲げられていました。
正直、カッコいいです。(笑)
他の神社とは明らかに違うオーラが出ていました。これでは「魔」は近寄れないですね。^^
やっぱり安部晴明公は大人気です。たくさんの人たちが参拝に訪れています。^^
神紋はもちろん「晴明桔梗印」の五芒星です。
本殿の隣には安部晴明公の像がありました。
本殿横の顕彰板では、晴明公の数多い伝説の中から代表的な10の話を紹介しています。
神懸り的な伝説ばかりです。^^
おっと、境内に「ドーマン」発見!
このドーマンは「九字切り」と呼ばれ、芦屋道満が使っていたものだそうです。
晴明公とライバル関係にあった芦屋道満は晴明公に勝るとも劣らないほどの呪術力を持っていたとされていますが、多くの伝説や物語では悪役扱いですね。(笑)
数多くの伝説を残した稀代の陰陽師 安部晴明公は、寛弘2年(1005年)に85歳でこの世を去ったとされています。
現在、晴明公の墓所は京都市嵯峨の渡月橋の傍の長慶天皇嵯峨東陵の南側にあります。
ここにもありました「五芒星」。
墓所の周りは五芒星で囲まれています。
近くには美しい渡月橋があり・・・
美しい川の流れとともに緩やかに時も流れてるようです。
「遥かなる五芒星の旅へ」のプロローグ・・・ 旅はまだ始まったばかりです。
皆さんは「大地に描かれた五芒星」をご存知でしょうか。
神話の世界の神々が祀られている5個所の神域を結んだ大地に描かれた巨大な五芒星です。
自分は「五芒星」を調べていくうちにこの事実を知ることになりました。
正直、驚きというよりは、戦慄を覚えました。
測量技術や衛星を使ったナビゲーションシステムがある現代なら、大地にこのような「五芒星」を描くことは可能でしょう。
そんなテクノロジーのない神話の世界の時代に、何故このような正確な「五芒星」を描くことができたのでしょうか。
「偶然?」 「未知のテクノロジー?」 「神のなせる技?」・・・それはわかりません。
この大地に描かれた巨大な「五芒星」は自分にとって大いなるもののように感じます。
「遥かなる五芒星の旅」はまだまだ続きます。
これからふしぎ探検隊はこの5個所の神域を巡り、大地に巨大な「五芒星」を描こうと思います。
あせる必要はありません。暖かくなりましたら、のんびりと5個所の神域を訪れたあと、巨大な「五芒星」の中心である平城京へ行ってみようと思います。
そこに何が待っているかはわかりませんけど・・・。
では、また。
『海の博物館』はそのパールロードから少し入ったところにあります。
そう、今回は三重県鳥羽市にある『海の博物館』に来ています。
『海の博物館』は海と人間の関わりをテーマにした日本で唯一の博物館です。
建物の趣はとても素晴しいものがあります。
この『海の博物館』のテーマの中のひとつに「志摩の海女」というコーナーがあります。
この展示のなかで一際目立つ不思議なマーク・・・
それは・・・
【ドーマン・セーマン】(セーマン・ドーマン)
この不思議なマークって何かといいますと・・・
海女さんたちが身に付けている「魔除け」なのです。
実際こんな感じで身に付けています・・・
左の星型のマークが「セーマン」で、右の格子のマークが「ドーマン」です。
『安部晴明』・・・映画「陰陽師」で一躍有名になりました平安時代の陰陽家(おんみょうか)で天文博士ですね。
そうなのです、この不思議な魔除けの印こそが、これから始まる遥かなる旅のプロローグです。
せっかくパールロードに来ていますので鳥羽展望台に寄り道・・・
時刻はすでに夕刻・・・
いつもは多くの観光客やライダーたちで賑わっているのですが、この日は訪れている人もまばらでした。
さて「不思議な魔除けの印」を求めて遥かなる旅への出発です。
翌日、「不思議な魔除けの印」を探しに、まずは大阪市阿倍野へ・・・
ここは大阪市阿倍野区にある「安部晴明神社」です。
安部晴明公の生誕の地と伝えられています。
境内には安部晴明公の像があります。
安部晴明公は延喜21年(921年)にこの地で生まれました。
幼少のころより聡明で陰陽の道を極めて、長じてはその功績により当時の朝廷や貴族たちの信頼を得ていました。
安部晴明公は、当時最先端の学問(呪術・科学)であった「天文道」や占いなどを、体系としてまとめた思想としての陰陽道に関して、卓越した知識を持っていた陰陽師であり、その逸話は神秘化されて数多くの伝説を生んでいったそうです。
ここでも「不思議な魔除けの印」を見つけました。
この印は「晴明桔梗印」と呼ばれるものです。いわゆる「五芒星」ですね。
五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として伝えられており、天地五行(木・火・土・金・水)を表しているそうです。
安倍晴明公は天地五行の象徴として、五芒星の紋を用いていたそうです。
さてさて、次はさらなる「五芒星」を求めて、京都市上京区にある「晴明神社」へ・・・
ここは安部晴明公の京都の住居跡とされ、晴明公は都に侵入する鬼を防ぐ役割を果たしていたそうです。
道路に面した一の鳥居にはあの「五芒星」が掲げられていました。
正直、カッコいいです。(笑)
他の神社とは明らかに違うオーラが出ていました。これでは「魔」は近寄れないですね。^^
やっぱり安部晴明公は大人気です。たくさんの人たちが参拝に訪れています。^^
神紋はもちろん「晴明桔梗印」の五芒星です。
本殿の隣には安部晴明公の像がありました。
本殿横の顕彰板では、晴明公の数多い伝説の中から代表的な10の話を紹介しています。
神懸り的な伝説ばかりです。^^
おっと、境内に「ドーマン」発見!
このドーマンは「九字切り」と呼ばれ、芦屋道満が使っていたものだそうです。
晴明公とライバル関係にあった芦屋道満は晴明公に勝るとも劣らないほどの呪術力を持っていたとされていますが、多くの伝説や物語では悪役扱いですね。(笑)
数多くの伝説を残した稀代の陰陽師 安部晴明公は、寛弘2年(1005年)に85歳でこの世を去ったとされています。
現在、晴明公の墓所は京都市嵯峨の渡月橋の傍の長慶天皇嵯峨東陵の南側にあります。
ここにもありました「五芒星」。
墓所の周りは五芒星で囲まれています。
近くには美しい渡月橋があり・・・
美しい川の流れとともに緩やかに時も流れてるようです。
「遥かなる五芒星の旅へ」のプロローグ・・・ 旅はまだ始まったばかりです。
皆さんは「大地に描かれた五芒星」をご存知でしょうか。
神話の世界の神々が祀られている5個所の神域を結んだ大地に描かれた巨大な五芒星です。
自分は「五芒星」を調べていくうちにこの事実を知ることになりました。
正直、驚きというよりは、戦慄を覚えました。
測量技術や衛星を使ったナビゲーションシステムがある現代なら、大地にこのような「五芒星」を描くことは可能でしょう。
そんなテクノロジーのない神話の世界の時代に、何故このような正確な「五芒星」を描くことができたのでしょうか。
「偶然?」 「未知のテクノロジー?」 「神のなせる技?」・・・それはわかりません。
この大地に描かれた巨大な「五芒星」は自分にとって大いなるもののように感じます。
「遥かなる五芒星の旅」はまだまだ続きます。
これからふしぎ探検隊はこの5個所の神域を巡り、大地に巨大な「五芒星」を描こうと思います。
あせる必要はありません。暖かくなりましたら、のんびりと5個所の神域を訪れたあと、巨大な「五芒星」の中心である平城京へ行ってみようと思います。
そこに何が待っているかはわかりませんけど・・・。
では、また。