敦賀の晴明神社に行ってきたよ・・・ 【福井県 敦賀市】 [ふしぎ探検隊シリーズ]
ちょっと遅くなりましたけど、福井県敦賀市にある「晴明神社」に行ってきました。^^
前回2/19(土)に敦賀の金ヶ崎城跡へ行ったんですが、帰ってから撮った写真を整理していると、市内に「晴明神社」があるのを見つけました。
どうしても気になっていたので、3/5(土)に敦賀の「晴明神社」へ・・・
やっぱり安倍晴明公ゆかりの神社でした。^^
敦賀の街の中にある本当に小さな神社です。
なぜ、ここに「晴明神社」あるのかというと・・・
「晴明神社」のご由緒によれば、安倍晴明公は正暦年間(990年~994年)に敦賀に住んで、天文・地文の研究をしていたみたいですね。
晴明公は延喜21年(921年)生まれということなので、敦賀に住んでいたころは70歳ぐらいのときですか・・・。
当時の年齢とすれば、かなりの高齢だと思いますが、そこまでしてこの地で何の研究していたのかとても興味深いところですね。^^
それでは中へ・・・
「写真撮ってもらってもかまいませんよ」ってお声をかけていただきましたので、ありがたく写真を撮らさせていただきました。^^
祭壇の下に小窓がありました。
この中には晴明公が、天文地文の研究に使ったとされる『祈念石』がありました。
神社の方の説明によると、この「祈念石」は晴明公自らお彫りになったものだと伝えられているそうです。
でも、何故敦賀なんだろう・・・
案内看板の説明を見てみると、 当時の敦賀は日本海に面し都にも近いことから、大陸との交易の玄関口として栄えた港町でした。当然ながら中国からの情報もひんぱんに届きます。陰陽道が古代中国の「陰陽五行説」を基礎にした学問であることをふまえると、敦賀は彼の研究に都合のいい場所だった……というのが有力な説なんだそうです。
でも・・・
最初に自分が晴明公ゆかりの神社を訪れたのは、晴明公生誕の地と伝えられている大阪 阿倍野の「安倍晴明神社」でした。
次に訪れたのは、京都 一条戻橋の「晴明神社」でしたね。
そして敦賀の「晴明神社」・・・
大阪・京都・敦賀・・・ もしかしたら・・・
あ、やっぱり・・・ ほぼ、一直線だ・・・ ^^
なんだろう、この直線は・・・ 偶然なのでしょうか・・・
でも、偶然にしてはちょっと出来過ぎてますので、晴明公ゆかりの神社が他にないか探してみました。
ありました・・・
岡山県浅口市鴨方町にある「安倍神社」・・・安倍晴明公がかつて居住し、その屋敷跡があったとされる地にあり、安倍晴明公を祀っています。
静岡県掛川市にある「水神宮(すいじんぐう)」・・・寛和元年(985年)、安倍晴明公が勧請したといういい伝えがある神社です。
この2つの神社を地図に当てはめてみると・・・
ああ、またまたびっくり・・・ ^^
先程の直線と大阪の「安倍晴明神社」の所で交わっています。実に不思議だ~。
この直線が意味するのはいったい何でしょうかね~。ワカリマセン・・・
晴明公は天文博士だったので、もしかするとこの直線は星の道なのではないでしょうか。
星を観察するに最適な場所に居を構え、移動していくうちに出来た星の道・・・
なんて、後世の自分が都合のいい解釈をしていますが・・・(笑)
謎、ですね。^^
【京都 晴明神社 安倍晴明公像】
晴明公・・・あなたは1000年後の未来人でさえ謎に包んでしまうのですね・・・。
では、また。
前回2/19(土)に敦賀の金ヶ崎城跡へ行ったんですが、帰ってから撮った写真を整理していると、市内に「晴明神社」があるのを見つけました。
どうしても気になっていたので、3/5(土)に敦賀の「晴明神社」へ・・・
やっぱり安倍晴明公ゆかりの神社でした。^^
敦賀の街の中にある本当に小さな神社です。
なぜ、ここに「晴明神社」あるのかというと・・・
「晴明神社」のご由緒によれば、安倍晴明公は正暦年間(990年~994年)に敦賀に住んで、天文・地文の研究をしていたみたいですね。
晴明公は延喜21年(921年)生まれということなので、敦賀に住んでいたころは70歳ぐらいのときですか・・・。
当時の年齢とすれば、かなりの高齢だと思いますが、そこまでしてこの地で何の研究していたのかとても興味深いところですね。^^
それでは中へ・・・
「写真撮ってもらってもかまいませんよ」ってお声をかけていただきましたので、ありがたく写真を撮らさせていただきました。^^
祭壇の下に小窓がありました。
この中には晴明公が、天文地文の研究に使ったとされる『祈念石』がありました。
神社の方の説明によると、この「祈念石」は晴明公自らお彫りになったものだと伝えられているそうです。
でも、何故敦賀なんだろう・・・
案内看板の説明を見てみると、 当時の敦賀は日本海に面し都にも近いことから、大陸との交易の玄関口として栄えた港町でした。当然ながら中国からの情報もひんぱんに届きます。陰陽道が古代中国の「陰陽五行説」を基礎にした学問であることをふまえると、敦賀は彼の研究に都合のいい場所だった……というのが有力な説なんだそうです。
でも・・・
最初に自分が晴明公ゆかりの神社を訪れたのは、晴明公生誕の地と伝えられている大阪 阿倍野の「安倍晴明神社」でした。
次に訪れたのは、京都 一条戻橋の「晴明神社」でしたね。
そして敦賀の「晴明神社」・・・
大阪・京都・敦賀・・・ もしかしたら・・・
あ、やっぱり・・・ ほぼ、一直線だ・・・ ^^
なんだろう、この直線は・・・ 偶然なのでしょうか・・・
でも、偶然にしてはちょっと出来過ぎてますので、晴明公ゆかりの神社が他にないか探してみました。
ありました・・・
岡山県浅口市鴨方町にある「安倍神社」・・・安倍晴明公がかつて居住し、その屋敷跡があったとされる地にあり、安倍晴明公を祀っています。
静岡県掛川市にある「水神宮(すいじんぐう)」・・・寛和元年(985年)、安倍晴明公が勧請したといういい伝えがある神社です。
この2つの神社を地図に当てはめてみると・・・
ああ、またまたびっくり・・・ ^^
先程の直線と大阪の「安倍晴明神社」の所で交わっています。実に不思議だ~。
この直線が意味するのはいったい何でしょうかね~。ワカリマセン・・・
晴明公は天文博士だったので、もしかするとこの直線は星の道なのではないでしょうか。
星を観察するに最適な場所に居を構え、移動していくうちに出来た星の道・・・
なんて、後世の自分が都合のいい解釈をしていますが・・・(笑)
謎、ですね。^^
【京都 晴明神社 安倍晴明公像】
晴明公・・・あなたは1000年後の未来人でさえ謎に包んでしまうのですね・・・。
では、また。