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豊臣秀吉の莫大な財宝を探せ! 『豊臣家埋蔵金』ツーリング 後編(坑道突入編) 【兵庫県 多田銀山跡】 [ふしぎ探検隊シリーズ]

さてさて、今回は前回の続き、いよいよ多田銀山の間歩(坑道)に突入しますよ~。^^

多田銀山資料館「悠久の館」にバイクを停め、歩いて銀山橋を越え、代官所跡へ向かいます。

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途中、オモシロ石灯籠を発見!^^

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あはは、すごく重そうです。(笑)

絢爛豪華な豊臣家を支えるために、下々の者はこんな感じだったのでしょうか。ツライわ~。TT



こんなところを通って代官所跡へ・・・

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この辺の岩肌って違うんですよ。

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どう見ても普通の岩石ではないですよね。これも鉱石なのでしょうか。




代官所跡に到着~。

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この代官所跡は先程の『悠久の館』の川を挟んだ真向いにあります。

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ちなみに、かつてはこんな感じだったそうです。^^

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江戸時代の代官所の復元模型です。ここでお代官さまが目を光らせていたわけですね。^^



代官所跡に石碑を発見!

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この石碑も鉱石っぽいですよね。^^




さてさて、代官所跡からメインストリートに戻って埋蔵金探索を続けます。

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メインストリートといっても車1台が通れるぐらいの幅しかありません!

が、かつて多田銀山の盛山期のこの辺りは、「銀山三千軒」と言われるほどの賑わいを見せたそうです。

古絵図を見てみると、銀山の谷筋に沿って、ビッシリと建物が画かれています。

今は、自然の中に埋もれて行ったかつての面影が残るだけです。



立派な門構えの家屋の前にやって来ました。

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「銀山代官所の門」だそうです。

先ほど見た代官所の中門だったの門をここに移築したとのこと。本来は馬に乗ったまま通れるくらいの高さだったそうですが、民家用に低くしたみたいです。^^




おっ、川沿いにかつての「平炉跡」を発見!

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野面積みの石垣が歴史を感じさせます。

ここで、鉱石から銀や銅が製錬されていたのですね。^^



さ~て、「平炉跡」の近くにある「金山彦神社」に寄り道しますよ~。^^

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この神社は平安時代の大同2年(807年)に建立されたと伝えられる歴史ある神社です。

古来より鉱山の神で、現在でも地元の人々からの篤い信仰をあつめています。

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おっと~、境内にはハイカーを装った多くのトレジャーハンター達が昼食をとっています!

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ここ多田銀山跡には観光客を装ったトレジャーハンター達や、ラブラブカッポーを装った男女のトレジャーハンターもいます。油断出来ません!

自分もこんなところでグズグズしてるヒマはありません! 先を越されてなるものか~。(笑)




さあ、間歩(坑道)へ行ってみましょう。

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おおっ、ついに青木間歩の坑道入り口を発見しました!^^

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こ、この奥に豊臣家の埋蔵金が眠っているのでしょうか~。



意を決して、坑道へ突入します。いざ~!

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坑内はこんな感じですが、写真はフラッシュ撮影していますので、実際はもっと薄暗いです。



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ねっ、薄暗いでしょ。坑内には照明も所々ありますが、ここは薄暗い沈黙の世界です。



現在ではライトによる照明がありますが、江戸時代の坑内はどうだったのでしょう。

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多田銀山資料館「悠久の館」でもらった資料の中に、江戸時代の採掘現場のあかりについての説明が載っていました。

それによると、サザエの貝殻に油を入れて火を灯していたそうです。それでも暗過ぎますよね~。



豊臣家の埋蔵金を求めて、奥へ奥へと突き進みます。

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坑内の温度は7℃ぐらいです。ひんやりとしています。



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鋭く削り取った鉱脈の跡が生々しいです。



おおっと、こんな注意書きがありました!

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ヒィー((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル



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これは鉱石っぽいですよね。^^



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説明案内によるとこの鉱脈は白亜紀後期の6400万年前に生成されたものだそうです。

凄いですね~。今、自分は6400万年前の地層の中にいます。^^

それにしても、鉱石1トンに対して銀が600g弱しか採れないんですね。銅は20kgぐらいは採れるみたいですけど。




さらに奥へズンズン進むと・・・

おっと。これはいったい何だ~。

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あ~っ、行き止まりだ~。

残念~、これ以上進めません!


う~ん、ここには豊臣家の埋蔵金はなかったか~。TT



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ここ青木間歩は、多田銀山跡で唯一坑道内を体感出来るので、観光客を装ったトレジャーハンター達に人気です。

午前9時から夕方5時まで自由に見学出来ます。^^




さて、多田銀山の間歩(坑道)はここだけではありませんので、次の間歩へと向かいます。

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【瓢箪間歩大露頭(露出岩部分)】

凄いですね~。鉱脈が地表に大規模に露出している部分です。


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ここは、穴を掘らなくても地表から採掘出来たんですね。ノミやタガネの跡が迫力ありますね~。


なので、この辺は鉱石らしき欠片がゴロゴロしています。

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そして、やって来ました『台所間歩』

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大坂城の台所(財政)を潤すほどの大量の銀・銅の産出量を誇ったことから、『台所間歩』っていう名称がついたといわれています。解りやすいけど、えげつな~いネーミング~。^^

いくら、武力で天下を統一したとはいえ、潤沢な財政の裏付けがなければ、豪華絢爛な豊臣政権は維持出来なかったでしょうね。

ちなみに江戸時代のこの辺りはこんな感じになっています。

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沢山の間歩(坑道)があったみたいです。^^



さて、台所間歩に突入・・・。えっ!

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はっ、入れない~。TT


奥を覗くと、どうやら崩れているみたいです。

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奥に、妖しげに光っているのは、銀鉱脈でしょうか。それにしても残念だ~。




まあ、豊臣関係の間歩(坑道)はここだけではありませんので、『瓢箪間歩』へ向かいます。

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ついにやって来ました『瓢箪間歩』



しか~し・・・

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こちらも入れませ~ん。TT

代官所のお役人さまが見張っています。


それでも、お役人さまの目を盗んで、カメラを突っ込んで中の様子を撮ってみます。

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う~ん、厳重に入り口は閉じられていますね~。これは怪しいぞ~。この奥にはもしかすると豊臣家の埋蔵金が・・・。




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この『瓢箪間歩』は豊臣秀吉が自身の馬印である「千成瓢箪」を掲げることを許したと伝えられるほど、銀・銅の産出量が多かったといわれている間歩(坑道)です。他の間歩に比べて坑道の入り口がデカイですね~。秀吉が馬にまたがったまま入坑したというエピソードが残されています。



結局、多田銀山跡で豊臣家の埋蔵金を発見することは出来ませんでした。

そうですよね、ここは昔から多くのトレジャーハンター達が豊臣家の埋蔵金伝説に魅かれて宝探しをした場所です。なかにはこの地に居ついて埋蔵金探しに人生を捧げちゃった人もいるぐらいですから、そう簡単には見つかるわけはありません・・・。

夢は永遠に夢なのか・・・。

今は静かな多田銀銅山跡ですが、かつての繁栄ぶりに想いを馳せながらこの地を後にしました。





しか~し、この埋蔵金探しはまだ続きがあります。

「豊臣家の埋蔵金」といえば、天正長大判4億5千万両と金塊3万貫(112.5トン)と言われていますが、実際のところ、天正長大判ってどんな大判なのか見てみたいですよね~。^^

フフフ・・・、実は天正長大判って『とある場所』にあるんです。

後日、日を改めまして、その『とある場所』へ天正長大判を見に行ってきました。^^



それはココ・・・

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【造幣局】 大阪市北区

造幣局は、大阪市に本局、東京都及び広島市に支局をもつ独立行政法人です。春には「桜の通り抜け」で有名なところですね~。^^

ここの造幣局の構内に『造幣博物館』があります。

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造幣博物館は、明治44年(1911年)に火力発電所として建てられた建物で、造幣局構内に残る唯一の明治時代のレンガ造りの西洋風建物です。

昭和44年(1969年)に建物の保存を図り、当局が保管していた貴重な貨幣などを一般公開し、造幣事業を紹介するため当時の外観をそのままに改装し、「造幣博物館」として開館しました。

ここに、秀吉の天正長大判があるんです。


では、どうぞ~。

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豊臣家の埋蔵金ついに発見いたしました~。^^


【天正長大判】
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《表面》

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《裏面》


【天正菱大判】
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《表面》

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《裏面》


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説明文によれば、『天正長大判』は秀吉が造らせた長さ17.5cm 幅10.2cmもある世界最大級の金貨で、当時この大判一枚で30年分の米が買えたそうです。

『天正菱大判』は現存する枚数が極めて少ないため、評価不能とのこと。一説によればこの一枚が一億円以上するといわれています。

『天正長大判』も『天正菱大判』もすべて本物です。

て、いうか大判・小判に限らず造幣博物館に展示してある貨幣はすべて本物だそうです。係の人が自信ありげにそう言ってました。さすが造幣局の博物館です。本物の大判、小判のド迫力が味わえます。^^

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宝の山ですよ~。大判、小判がザックザク状態です。ここにある貨幣の全ての鑑定額を合計したらいったいいくらになるんでしょうか~。^^

あ~っ、もう秀吉の埋蔵金の本物が見れただけでも幸せです。はたして多田銀山の坑道奥深くに、この大判が4億5千万両も眠っているのでしょうか~。永遠の謎ですね。^^





さあ、ふしぎ探検隊は大坂城へ・・・

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現在の大坂城は「大阪城公園」として、たくさんの人で賑わっていますが、天守閣の北側にひっそりとした一角があります。

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慶長3年(1598年)夏、豊臣秀吉が死の床についたとき、後継ぎの秀頼はまだ6歳。自分の死後の秀頼の身を案じた秀吉は、勘定奉行の幡野三郎光照に命じて莫大な黄金を埋蔵させた・・・。

これが「豊臣家の埋蔵金」伝説の始まりでした。


それから17年後の慶長20年の大阪夏の陣において、大坂城は落城し、豊臣秀頼と淀君がこの地で自刃して果てました。

豊臣家の滅亡とともに、「豊臣家の埋蔵金」も深い謎に包まれてしまいました。

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何思う太閤秀吉公・・・。


なにわのことは夢のまた夢・・・なのですね。



では、また。


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