豊臣秀吉ゆかりの地めぐりツーリング3 【大阪城】 [歴史ロマンシリーズ]
先週の土曜日(2月13日)に大阪城へ行ってきました。
今回は久しぶりのバイクツーリングです。
豊臣秀吉ゆかりの地めぐりツーリング1【豊国神社・墨俣城・長浜城】はココ
豊臣秀吉ゆかりの地めぐりツーリング2 【賤ヶ岳古戦場】はココ
けっこう城好きな自分ですが、実はまだ大阪城へは行ったことがありませんでした。
「それじゃあ大阪城へ行ってみるか」ってことでNinja君でGo!
途中、三重県の亀山市にあるセルフスタンドで給油します。
この日の天気はそんなに悪くないのですが、気温が低めですので路面の凍結を考えて遅めの出発でした。
今回のルートですが、「行きは下道、帰りは高速で!」てな具合でザックリと。
後はGoogle地図のルート検索でポチッとな。
ジャ~ン。こんなルートが出ました。
大きな地図で見る
まあ、大まかに言うと三重県亀山市から国道25号線の名阪国道を伊賀上野まで行き、伊賀上野から国道163号線をひたすら走って大阪市内へという感じですね。
まあ、寄り道するかもしれないし、道を間違うかもしれませんので、途中ルート変更大いにありということで。(笑)
もちろん黒R三兄弟にはナビなどついてません!
いつもザックリとした地図しかのっていないツーリングマップルと勘が頼りです。
なので後で同じ道を行けといわれてもそれは無理です。(笑)
亀山から名阪国道にのり道の駅「伊賀」で早めの休憩です。
この日はメッチャ寒くて車はたくさんいましたが、バイクは自分だけでした。
そうそう、この道の駅「いが」でうまそうなものを見つけました。
ここは伊賀ですが、なぜだか「津ぎょうざ」が売ってました。(笑)
うわさには聞いていましたが実物を見るのは初めてです。
もちろん試してみました。
自分が買ったのはニラ2倍のスタミナ津ぎょうざです。
普通のぎょうざと比べるとデカイです。大きさ15cmぐらいですか。
揚げぎょうざなので、皮はパリパリで具はジューシー。
皮も最初から味が付いているのか、具がしみ込んでいるのかわかりませんが、パリパリの皮もおいしいです。
酢醤油とかにつけてたべるのではなく、そのままスナック感覚で食べます。
イメージ的にはぎょうざではなく新しいファーストフードのような感じですね。
ただ自分はほかの津ぎょうざを食べたことがないので、これが正しいインプレッションなのかどうかはわかりません。(笑)
なんでも津ではこの津ぎょうざが学校給食で出てくるらしいデス。とってもいい試みだと思います。
ウラヤマシイな。
ならば、松坂では松坂牛が、伊勢では伊勢えびが学校給食で出てくるとおもしろいんだけど。(笑)
あっそうそう、四日市はとんてきですね。(笑) まさに「うまし国」ですね。
それから、それから・・・
道の駅の情報コーナーでおもしろいポスターを発見!
「平安遷都1300年祭」のポスターですが、よく見るとあのせんとくんがいきいきとした表情でさわやかな奈良をアピールしています。
なんだか笑えます。^^
奈良公園で自分をど突きまわしたシカくんもいい味出しています。
道の駅「いが」でのんびり楽しんでいたら出発するのが遅くなりました。(笑)
ということで、大阪城をめざしてビュ~ッと走ります。
なんとか、大阪城公園に到着しました。
(向こうに見えるは一番櫓です。)
やっぱり天下の大阪城ですね。ものすごく広いです。
そしてみごとな石垣です。写真ではわかりづらいかもしれませんが、一つ一つの石がデカイです。
本丸へ通じる重要文化財である桜門付近の堀は水のない空堀です。
豊臣時代から空堀だったそうで、何故空堀なのか謎みたいです。
桜門を通ってずんずん中へ進むとそこは本丸御殿跡です。
豊臣時代の本丸御殿は大阪の陣で焼失し、徳川時代の本丸御殿は明治維新の動乱により焼失したそうです。
奥に見えるは、大阪城天守閣ですね。
現在の本丸御殿跡は公園広場となっており、多くの観光客で賑わっています。
お城の中でも、大阪城といえばメジャー中のメジャーなので、外国人の方もけっこういます。
天守閣の方に行ってみます。
初めて訪れる大阪城の天守閣ですが、その大きさと迫力に圧倒されます。
観光気分最高潮です。(笑)
現在の天守閣は豊臣時代や徳川時代の天守閣についで3代目なんですね。
驚いたことに1931年(昭和6年)に再興されたということから、なんと80年近く経っているんですね。
とても80年経っているとは思えません。(驚)
内部はエレベーターなんかもありとても綺麗です。また展示物も充実しており流石は天下の大阪城だけあります。
大阪城天守閣の内部はこんな感じになっています。←ココをクリック
徳川時代の天守閣は豊臣時代の天守閣をはるかに凌いでいたそうですが、展示物を見てみると豊臣関係のもののほうが多いです。(笑)
天守閣の内部の3階4階などは写真撮影禁止になっていましたが、その他の階の撮影可能な範囲で写真撮ってきましたのでどうぞ!
最上階の展望室からの眺めです。
やっぱ、大阪城からの眺めは最高です! 来てよかった!
大阪城天守閣前の広場では、パフォーマーが大道芸を披露してました。
技あり笑いありのとってもステキなパフォーマンスでした。
歴史的な天守閣の前で拍手したり笑ったりして、思い思いにみんな楽しんでる姿を見て、すごく幸せな気分になりました。
そう。せっかく大阪まで来たのだから、たこ焼きを食べずに帰ることはできません!(笑)
シンプルですが、外はパリッとしていて中はトロトロあつあつ、タコは大粒でメッチャうまかったです。
帰りは高速でバビューンと帰りました。
滋賀県の大津サービスエリアで休憩していたら、日が落ちてきましたので大津の夜景をパチリ。
琵琶湖の夜景もとっても綺麗です。
では、また。
今回は久しぶりのバイクツーリングです。
豊臣秀吉ゆかりの地めぐりツーリング1【豊国神社・墨俣城・長浜城】はココ
豊臣秀吉ゆかりの地めぐりツーリング2 【賤ヶ岳古戦場】はココ
けっこう城好きな自分ですが、実はまだ大阪城へは行ったことがありませんでした。
「それじゃあ大阪城へ行ってみるか」ってことでNinja君でGo!
途中、三重県の亀山市にあるセルフスタンドで給油します。
この日の天気はそんなに悪くないのですが、気温が低めですので路面の凍結を考えて遅めの出発でした。
今回のルートですが、「行きは下道、帰りは高速で!」てな具合でザックリと。
後はGoogle地図のルート検索でポチッとな。
ジャ~ン。こんなルートが出ました。
大きな地図で見る
まあ、大まかに言うと三重県亀山市から国道25号線の名阪国道を伊賀上野まで行き、伊賀上野から国道163号線をひたすら走って大阪市内へという感じですね。
まあ、寄り道するかもしれないし、道を間違うかもしれませんので、途中ルート変更大いにありということで。(笑)
もちろん黒R三兄弟にはナビなどついてません!
いつもザックリとした地図しかのっていないツーリングマップルと勘が頼りです。
なので後で同じ道を行けといわれてもそれは無理です。(笑)
亀山から名阪国道にのり道の駅「伊賀」で早めの休憩です。
この日はメッチャ寒くて車はたくさんいましたが、バイクは自分だけでした。
そうそう、この道の駅「いが」でうまそうなものを見つけました。
ここは伊賀ですが、なぜだか「津ぎょうざ」が売ってました。(笑)
うわさには聞いていましたが実物を見るのは初めてです。
もちろん試してみました。
自分が買ったのはニラ2倍のスタミナ津ぎょうざです。
普通のぎょうざと比べるとデカイです。大きさ15cmぐらいですか。
揚げぎょうざなので、皮はパリパリで具はジューシー。
皮も最初から味が付いているのか、具がしみ込んでいるのかわかりませんが、パリパリの皮もおいしいです。
酢醤油とかにつけてたべるのではなく、そのままスナック感覚で食べます。
イメージ的にはぎょうざではなく新しいファーストフードのような感じですね。
ただ自分はほかの津ぎょうざを食べたことがないので、これが正しいインプレッションなのかどうかはわかりません。(笑)
なんでも津ではこの津ぎょうざが学校給食で出てくるらしいデス。とってもいい試みだと思います。
ウラヤマシイな。
ならば、松坂では松坂牛が、伊勢では伊勢えびが学校給食で出てくるとおもしろいんだけど。(笑)
あっそうそう、四日市はとんてきですね。(笑) まさに「うまし国」ですね。
それから、それから・・・
道の駅の情報コーナーでおもしろいポスターを発見!
「平安遷都1300年祭」のポスターですが、よく見るとあのせんとくんがいきいきとした表情でさわやかな奈良をアピールしています。
なんだか笑えます。^^
奈良公園で自分をど突きまわしたシカくんもいい味出しています。
道の駅「いが」でのんびり楽しんでいたら出発するのが遅くなりました。(笑)
ということで、大阪城をめざしてビュ~ッと走ります。
なんとか、大阪城公園に到着しました。
(向こうに見えるは一番櫓です。)
やっぱり天下の大阪城ですね。ものすごく広いです。
そしてみごとな石垣です。写真ではわかりづらいかもしれませんが、一つ一つの石がデカイです。
本丸へ通じる重要文化財である桜門付近の堀は水のない空堀です。
豊臣時代から空堀だったそうで、何故空堀なのか謎みたいです。
桜門を通ってずんずん中へ進むとそこは本丸御殿跡です。
豊臣時代の本丸御殿は大阪の陣で焼失し、徳川時代の本丸御殿は明治維新の動乱により焼失したそうです。
奥に見えるは、大阪城天守閣ですね。
現在の本丸御殿跡は公園広場となっており、多くの観光客で賑わっています。
お城の中でも、大阪城といえばメジャー中のメジャーなので、外国人の方もけっこういます。
天守閣の方に行ってみます。
初めて訪れる大阪城の天守閣ですが、その大きさと迫力に圧倒されます。
観光気分最高潮です。(笑)
現在の天守閣は豊臣時代や徳川時代の天守閣についで3代目なんですね。
驚いたことに1931年(昭和6年)に再興されたということから、なんと80年近く経っているんですね。
とても80年経っているとは思えません。(驚)
内部はエレベーターなんかもありとても綺麗です。また展示物も充実しており流石は天下の大阪城だけあります。
大阪城天守閣の内部はこんな感じになっています。←ココをクリック
徳川時代の天守閣は豊臣時代の天守閣をはるかに凌いでいたそうですが、展示物を見てみると豊臣関係のもののほうが多いです。(笑)
天守閣の内部の3階4階などは写真撮影禁止になっていましたが、その他の階の撮影可能な範囲で写真撮ってきましたのでどうぞ!
最上階の展望室からの眺めです。
やっぱ、大阪城からの眺めは最高です! 来てよかった!
大阪城天守閣前の広場では、パフォーマーが大道芸を披露してました。
技あり笑いありのとってもステキなパフォーマンスでした。
歴史的な天守閣の前で拍手したり笑ったりして、思い思いにみんな楽しんでる姿を見て、すごく幸せな気分になりました。
そう。せっかく大阪まで来たのだから、たこ焼きを食べずに帰ることはできません!(笑)
シンプルですが、外はパリッとしていて中はトロトロあつあつ、タコは大粒でメッチャうまかったです。
帰りは高速でバビューンと帰りました。
滋賀県の大津サービスエリアで休憩していたら、日が落ちてきましたので大津の夜景をパチリ。
琵琶湖の夜景もとっても綺麗です。
では、また。
悲運の豊臣秀次が築城した『八幡山城址』 【滋賀県 近江八幡市】 [歴史ロマンシリーズ]
1月10日(日)に滋賀県の近江八幡市を訪れた際に八幡山城址へ行ってきました。(前回の続きですね)
八幡山へは登山道もあるのですが、今回もロープウェーで登ります。
このゴンドラで山頂まで約4分です。
朝一の出発だったため、貸切でした。(笑)
ロープウエーとかリフトとか乗るの大好きです。あのフワフワ・ユラユラ感がいいんですね。周りの景色も最高だし。
近江八幡市が一望できます。
もうすぐ山頂に到着です。
八幡山山頂はこんな風になっています。
本丸のあったところをぐるっと回れます。
では、少し散策してみましょう。
今は季節が冬なので、木々の葉が落ちて少し寂しい感じですが、春の桜や秋の紅葉の季節はとても綺麗です。
西の丸址です。
ここから琵琶湖を望むことができますが、遠くに雪で彩られた琵琶湖の山々を見ることができ、最高の景色です。
この日は、少し雲がかかっていて最高の景色とまではいかなかったのですが、それでも雄大な琵琶湖は圧巻でした。
ぐるっと回るかたちになりますが、本丸址にいってみます。
石垣もしっかり残っているようです。
【八幡山城】
八幡山城は天正13年(1585年) 羽柴秀次(後の関白 豊臣秀次)によって築城されました。
秀次は豊臣秀吉の姉・日秀の子で、天正13年(1585年)の紀伊雑賀攻め、四国征伐では軍功を挙げ、近江国に43万石を与えられました。
安土城下の民を近江八幡に移し城下町を開き楽市楽座をつくりました。八幡堀と琵琶湖をつなぎ、往来する船を寄港させるなど、商いのまちとしての繁栄の基盤を築きました。
天正18年(1590)小田原征伐の軍功により、秀次は尾張・伊勢を与えられ、100万石の太守として尾張清洲城に移り、代わって京極高次が2万8千石で八幡城主となりました。
秀次は秀吉の養子として関白の地位にまで昇進し、秀吉の後継者とみられていましたが、晩年の秀吉に秀頼という実子が生まれたために運命は大きく狂っていきます。秀次は聚楽第で暴挙に及び、世に「殺生関白」と呼ばれたそうですが、この史実の程は明らかでないようです。ただ、折に触れて秀吉と衝突したことは確かで、1595年(文禄4年)最期は高野山で切腹させられ、28歳の短い生涯を閉じました。さらに、妻子など40人余が京都三条河原で処刑されました。
八幡山城の城主であった京極高次が大津城に移ると八幡城は廃城となりました。
八幡山城が築城されて廃城となるまで10年だったのですが、奇しくも、秀次が高野山で自刃したのと、八幡城が廃城になったのは、同じ年でありました。
秀次が高野山で自刃してから3年後に秀吉が伏見城で亡くなっていますが、もしも秀吉に秀頼が生まれずに、もう少し早くに秀吉が亡くなっていたなら、秀次が豊臣政権を継いでいたでしょう。不運としかいいようがありません。
近江八幡の水運を利用した八幡堀や楽市楽座などの町づくりの手腕をみてみると、後に続くしっかりとした豊臣政権ができていたかもしれません。
松平健の「暴れん坊将軍」も「暴れん坊関白」となっていたかも。(笑)
そんな八幡山城址には村雲御所瑞龍寺があります。
(朝早かったのでまだ掃除されてますが・・・)
瑞龍寺は、1596年(文禄5年)、秀次の生母(秀吉の姉)日秀尼公により、秀次の菩提を弔うため、後陽成天皇から寺号と京都村雲の地を賜り創建されたものです。1961年(昭和36年)に京都より八幡山へ主要建物が移築されました。
二の丸址には売店や資料館があります。
さあ、帰りもロープウェーで降りていきます。
せっかくですから、八幡山の城下町を少しうろうろと・・・
「八幡堀」は遊歩道として整備されていて、堀の横を散策することができます。
とっても風情があっていいですね。
新町通りには古い町並みも残っています。
カメラのおじさんもしっかり写っています(笑)
さあ、城下町を散策したあとは、八幡堀を眺めながらコーヒーですね。
では、また。
八幡山へは登山道もあるのですが、今回もロープウェーで登ります。
このゴンドラで山頂まで約4分です。
朝一の出発だったため、貸切でした。(笑)
ロープウエーとかリフトとか乗るの大好きです。あのフワフワ・ユラユラ感がいいんですね。周りの景色も最高だし。
近江八幡市が一望できます。
もうすぐ山頂に到着です。
八幡山山頂はこんな風になっています。
本丸のあったところをぐるっと回れます。
では、少し散策してみましょう。
今は季節が冬なので、木々の葉が落ちて少し寂しい感じですが、春の桜や秋の紅葉の季節はとても綺麗です。
西の丸址です。
ここから琵琶湖を望むことができますが、遠くに雪で彩られた琵琶湖の山々を見ることができ、最高の景色です。
この日は、少し雲がかかっていて最高の景色とまではいかなかったのですが、それでも雄大な琵琶湖は圧巻でした。
ぐるっと回るかたちになりますが、本丸址にいってみます。
石垣もしっかり残っているようです。
【八幡山城】
八幡山城は天正13年(1585年) 羽柴秀次(後の関白 豊臣秀次)によって築城されました。
秀次は豊臣秀吉の姉・日秀の子で、天正13年(1585年)の紀伊雑賀攻め、四国征伐では軍功を挙げ、近江国に43万石を与えられました。
安土城下の民を近江八幡に移し城下町を開き楽市楽座をつくりました。八幡堀と琵琶湖をつなぎ、往来する船を寄港させるなど、商いのまちとしての繁栄の基盤を築きました。
天正18年(1590)小田原征伐の軍功により、秀次は尾張・伊勢を与えられ、100万石の太守として尾張清洲城に移り、代わって京極高次が2万8千石で八幡城主となりました。
秀次は秀吉の養子として関白の地位にまで昇進し、秀吉の後継者とみられていましたが、晩年の秀吉に秀頼という実子が生まれたために運命は大きく狂っていきます。秀次は聚楽第で暴挙に及び、世に「殺生関白」と呼ばれたそうですが、この史実の程は明らかでないようです。ただ、折に触れて秀吉と衝突したことは確かで、1595年(文禄4年)最期は高野山で切腹させられ、28歳の短い生涯を閉じました。さらに、妻子など40人余が京都三条河原で処刑されました。
八幡山城の城主であった京極高次が大津城に移ると八幡城は廃城となりました。
八幡山城が築城されて廃城となるまで10年だったのですが、奇しくも、秀次が高野山で自刃したのと、八幡城が廃城になったのは、同じ年でありました。
秀次が高野山で自刃してから3年後に秀吉が伏見城で亡くなっていますが、もしも秀吉に秀頼が生まれずに、もう少し早くに秀吉が亡くなっていたなら、秀次が豊臣政権を継いでいたでしょう。不運としかいいようがありません。
近江八幡の水運を利用した八幡堀や楽市楽座などの町づくりの手腕をみてみると、後に続くしっかりとした豊臣政権ができていたかもしれません。
松平健の「暴れん坊将軍」も「暴れん坊関白」となっていたかも。(笑)
そんな八幡山城址には村雲御所瑞龍寺があります。
(朝早かったのでまだ掃除されてますが・・・)
瑞龍寺は、1596年(文禄5年)、秀次の生母(秀吉の姉)日秀尼公により、秀次の菩提を弔うため、後陽成天皇から寺号と京都村雲の地を賜り創建されたものです。1961年(昭和36年)に京都より八幡山へ主要建物が移築されました。
二の丸址には売店や資料館があります。
さあ、帰りもロープウェーで降りていきます。
せっかくですから、八幡山の城下町を少しうろうろと・・・
「八幡堀」は遊歩道として整備されていて、堀の横を散策することができます。
とっても風情があっていいですね。
新町通りには古い町並みも残っています。
カメラのおじさんもしっかり写っています(笑)
さあ、城下町を散策したあとは、八幡堀を眺めながらコーヒーですね。
では、また。
やっと初詣に行ってきました! 『日牟禮八幡宮』 【滋賀県 近江八幡市】 [歴史ロマンシリーズ]
先日、「南極体験ツーリング」で滋賀県を訪れましたが、その際、せっかくここまで来たのだからと、近江八幡市に寄り道してきました。
近江八幡といえば、まず「八幡山城址」が思い浮かびますが、今回最初に訪れたのは・・・
その八幡山の麓にある「日牟禮八幡宮」(ひむれはちまんぐう)です。
今年の正月は食べて飲んで食べて寝ての繰り返しであっという間に正月休みが終わり、初詣に行ってなかったので、これが自分にとっての初詣になりました。
御本殿は八幡大神をお祀りした建物で正暦二年(991年 平安時代)勅願により宇佐の神を勧請して創建されたものだそうです。
緑深い樹木の中に佇む拝殿や神殿は正月飾りもありとても華やかです。
八幡様にお参りして、いろんな願い事をお願いしてきました。(笑)
初詣といえばもちろん「おみくじ」でしょう。しっかり引いてきました。
で、結果はというと・・・
「小吉」でした。
今年一年を占うおみくじだったので、大吉を狙っていたのですが、まあこんなものでしょう。(笑)
そんなに悪くない普通の一年を送れそうです。
ま、「人生はそんなに甘くないよ」大吉は自分の手でつかみ取れという、神様からの思し召しでしょう。
なので、大きな幸せは自分の手でつかみ取ることにします。(笑)
さあ、初詣もすませ、お次は八幡山城址へ行きましたが、その記事は次回のお楽しみということで。
おまけ。
日牟禮八幡宮のすぐ近くにありますバームクーヘンで有名な
「近江八幡日牟禮ビレッジ クラブハリエ」
木漏れ日の中に建つ赤煉瓦のクラブハリエ日牟禮館。
建物へ一歩入ると、そこには甘い香りとともに洋の世界があたたかく広がります。
焼きたてのバームクーヘンをはじめ、季節のケーキやパンなど、とりどりの洋菓子が並ぶショーケースの向こうでは、パティシエたちが忙しく立ち回っています。
それはまるで、お菓子の夢館。
クラブハリエが大好きなあなたへ・・・
バームクーヘンをお届けすることはできませんが、せめてクラブハリエの建物の写真だけでもお楽しみ下さい。(笑)
では、また。
近江八幡といえば、まず「八幡山城址」が思い浮かびますが、今回最初に訪れたのは・・・
その八幡山の麓にある「日牟禮八幡宮」(ひむれはちまんぐう)です。
今年の正月は食べて飲んで食べて寝ての繰り返しであっという間に正月休みが終わり、初詣に行ってなかったので、これが自分にとっての初詣になりました。
御本殿は八幡大神をお祀りした建物で正暦二年(991年 平安時代)勅願により宇佐の神を勧請して創建されたものだそうです。
緑深い樹木の中に佇む拝殿や神殿は正月飾りもありとても華やかです。
八幡様にお参りして、いろんな願い事をお願いしてきました。(笑)
初詣といえばもちろん「おみくじ」でしょう。しっかり引いてきました。
で、結果はというと・・・
「小吉」でした。
今年一年を占うおみくじだったので、大吉を狙っていたのですが、まあこんなものでしょう。(笑)
そんなに悪くない普通の一年を送れそうです。
ま、「人生はそんなに甘くないよ」大吉は自分の手でつかみ取れという、神様からの思し召しでしょう。
なので、大きな幸せは自分の手でつかみ取ることにします。(笑)
さあ、初詣もすませ、お次は八幡山城址へ行きましたが、その記事は次回のお楽しみということで。
おまけ。
日牟禮八幡宮のすぐ近くにありますバームクーヘンで有名な
「近江八幡日牟禮ビレッジ クラブハリエ」
木漏れ日の中に建つ赤煉瓦のクラブハリエ日牟禮館。
建物へ一歩入ると、そこには甘い香りとともに洋の世界があたたかく広がります。
焼きたてのバームクーヘンをはじめ、季節のケーキやパンなど、とりどりの洋菓子が並ぶショーケースの向こうでは、パティシエたちが忙しく立ち回っています。
それはまるで、お菓子の夢館。
クラブハリエが大好きなあなたへ・・・
バームクーヘンをお届けすることはできませんが、せめてクラブハリエの建物の写真だけでもお楽しみ下さい。(笑)
では、また。