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静かな時が流れる 【津城跡】 [歴史ロマンシリーズ]

昨日からの雨は朝には上がり、雲の切れ間から青空さえ見えてきました。

バイクでお出かけ気分120%。

で、天気予報をチェックすると北は雨予報で南は晴れ予報。

方角は決まったので、とりあえず、出発することにしました。

今日は、ここのところ出番がなく寂しそうだったKSR君でお出かけすることにします。


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途中、三重県の亀山のセルフスタンドで給油しました。

ついでに人間様にも給油。

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やっぱり、この季節は缶コーヒーのホットが最高ですね。

かじかんだ手を温めてくれるし、飲めば体も温めてくれる。ライダーには欠かせない飲み物です。





雨は降ってないけど、路面はウエット。

KSRのノーマルタイヤって濡れた路面では、とても滑りやすいです。注意して進みます。






今日はいつもすぐそばは通るけど、まだ行ったことの無いところに向かっています。

さあ、到着です。

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ここは、藤堂高虎のゆかりの城「津城跡」です。


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津城は織田信長の弟「信包」が築城し、慶長13年(1608年)に伊予今治から移ってきた藤堂高虎が大改修を行ったと書かれていますね。


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明治時代の初めごろまでは三重櫓とそれをつなぐ櫓が残っていたみたいです。


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これは昭和33年に再建された三重隅櫓です。



それでは、石垣の上の櫓跡を見てみましょう。

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石垣の上を歩いて渡れるって、なんか不思議な感じがします。




では、天守台があった場所へ行ってみます。

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織田信包によって五層の天守閣が建てられたようですが、関ヶ原の戦いに巻き込まれ被害を受けた天守閣は、その後再建されませんでした。


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見事な石垣ですね。「打ち込みはぎ」っていう積みかたでしょうか。



「津城跡」は三重隅櫓以外、石垣しか残っていませんが、その石垣がとても美しいです。

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本丸があった場所は、お城公園として整備されています。

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藤堂高虎公の像がありました。

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【藤堂高虎】

高虎は弘治2年(1556年)近江国(今の滋賀県)犬上郡藤堂村で生まれました。彼は若い頃各地を転戦しましたが、天正4年(1576年)豊臣秀吉の弟 秀長につかえ、紀伊国(今の和歌山県)粉川で1万石をもらい、はじめて大名になりました。その後秀吉の下で2度の朝鮮出兵に参加、秀吉の死後は徳川家康と親しくし、関ヶ原の戦いのときには家康に味方して勝利をおさめ、伊予今治20万石の大名となりました。
慶長13年高虎は津に移されましたが、これは、当時大阪城には豊臣秀吉の子 秀頼がいて、家康が天下を統一するにはどうしても大阪方と戦わなければならず、家康の信任の厚い高虎を伊勢・伊賀に置いて、いざ戦いのときにはまず高虎に当たらせようとしたからといわれています。



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高虎は我々に何を目指せといっているのでしょうか。





公園内にある日本庭園に行ってみます。

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そこには、もう見れないと思っていた紅葉がありました。

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石垣に紅葉の赤が映えます。






気がつけば、公園内には自分と野良猫しかいません。

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藤堂高虎にちなんで、勝手に野良猫たちに名前をつけてあげました。「タカ」と「トラ」です。




すると、写真を撮っているのに気付いたのでしょうか。

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「タカ」が歩いてきました。




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エサが欲しかったのでしょうが、人なつっこいネコです。






たまには心静かに散策もいいものですね。いつもは気付かずに通り過ぎていたところが、実は素晴らしいところだったと再発見できます。


では、また。








豊臣秀吉ゆかりの地めぐり2 【賤ヶ岳古戦場】 [歴史ロマンシリーズ]

滋賀県にある琵琶湖の北部に賤ヶ岳はあります。

400年以上も前に、この賤ヶ岳一帯では羽柴秀吉軍と柴田勝家軍が織田勢内の覇権を賭けて激突し、各地で死闘が繰り広げられました。

琵琶湖の北部は奥琵琶湖と言われ、自然豊な風景が広がり、野鳥をたくさん見ることができます。

そんな秀吉ゆかりの地である、奥琵琶湖の賤ヶ岳に行ってみようと思います。

 

豊臣秀吉ゆかりの地めぐり1はこちら

 

 

それでは、賤ヶ岳に向かってG0!

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琵琶湖の東岸に到着です。

琵琶湖はいいなぁ。

いつ来ても「やっぱ琵琶湖でかっ」って思いますもん。

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初めて琵琶湖を訪れたとき、「うそだろ~。こりゃ絶対海だよ~。」って感動しました。

 

 

 

湖周道路を北上し奥琵琶湖を目指します。

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賤ヶ岳に行く前に、奥琵琶湖パークウェイに寄ってみます。

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奥琵琶湖パークウェイは全長約18kmのドライブウェイで、木々の切れ間から見える琵琶湖の青と、岬の緑とのコントラストが美しいところです。

各所に展望台がありますが、今日は一番大きな展望台で休憩です。

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それでは展望台からの風景をどうぞ。

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「いいね~。」琵琶湖は四季折々のいろんな表情を見せてくれます。 

 

展望台からの風景を十分楽しんだところで、賤ヶ岳へ向かいます。

 

はい。もう到着。(笑)

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賤ヶ岳は奥琵琶湖パークウェイを下ったところから近くにあります。

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賤ヶ岳は標高421mあり、登山口から歩いて登ることもできますが、自分は迷わずリフトを選びました。(笑)

 

リフト乗り場です。

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リフト料金はおとな片道400円(往復760円)で、所要時間は片道6分ぐらいですね。

 

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ぐんぐん上って行きますが、地面との距離はそんなに高くなく、全然怖くないです。

途中登山道と何ヶ所か交錯しますが、登山者の頭を蹴っ飛ばしそうなぐらいの高さを通っていきます。(笑)

 

さあ、山頂リフト乗り場に到着です。

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ここからは、賤ヶ岳山頂まで300m程歩いて登って行きます。

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ようやく賤ヶ岳山頂に到着しました。

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賤ヶ岳の西方には琵琶湖が広がっています。

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そして、南方には伊吹山を見ることが出来ます。

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さらに、賤ヶ岳の北の麓には余呉湖が広がっています。

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今から400年以上前、この賤ヶ岳と余呉湖周辺において賤ヶ岳の戦いは行われました。

 

【賤ヶ岳の戦い】

賤ヶ岳の戦いは、1583年(天正11年)、近江国伊香郡(現:滋賀県伊香郡)の賤ヶ岳附近で行われた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と柴田勝家との戦いである。
織田勢力を二分する激しい戦いとなり、秀吉はこの戦いに勝利することによって、織田信長の作り上げた権力と体制の継承者となることを決定づけた。 (Wikipediaより)

 

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案内文を読んでみると、賤ヶ岳山頂より北側の中腹及び余呉湖湖畔で、激しい戦闘が行われたようで、余呉の湖が真っ赤に染まったと書かれています。

この賤ヶ岳の合戦に敗北した柴田勝家は越前の北ノ庄城まで落ち延びたものの、やがてお市の方と共に自害して果てます。

秀吉はこの合戦に勝利したのち、名実ともに織田勢の第一人者として天下を統一していきます。

 

 

賤ヶ岳山頂付近には、名も無き武将の像があります。

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【戦のあと】

「戦が終わって、さしもの武将も崩れるように腰を下した。」と書かれています。

賤ヶ岳から見渡せる琵琶湖や余呉湖の美しい風景を見るにつけ、400年以上も前に起きた激しい戦いの史実が、まるで幻だったかのように感じられます。

 

 

さあ、賤ヶ岳を後にしようと山頂から降りようとしたその時・・・

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目の前に幻想的な風景が広がっていました。

雲の切れ間から日の光が降り注ぎ、湖面の波に反射しキラキラ輝いています。

 

 

 

さあ、これで豊臣秀吉ゆかりの地めぐり2は終了です。

次はどこへいきますか。

 

 

 


「黄金に輝くジパングの王に拝謁せよ!」岐阜城攻略ツーリング [歴史ロマンシリーズ]

JR岐阜駅前に新しい織田信長像が建立されたとの噂を聞きつけ、

これは「黄金に輝くジパングの王」に拝謁せねばなるまいということで、

今回は【織田信長ゆかりの地2 岐阜城攻略ツーリング】として岐阜市へ向かうことにしました。

 

【織田信長ゆかりの地1 安土城攻略ツーリング】はこちら

 

 

いざ、岐阜県岐阜市へGo!

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岐阜県の長良川沿い県道23号線を北上。

信号があまりないので、いいペースで車が流れています。

とっても気持ちいいです。

 

 

 

 

国道21号線から岐阜市へ入り、JR岐阜駅前へ向かいます。

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JR岐阜駅前に到着!

 

 

 

北口駅前広場へ向かいます。

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おおっ。信長が黄金に輝いている!

まさに「黄金に輝くジパングの王」ですね。(笑)

真新しいので、まばゆいぐらいです。

 

 

 

さらに近づいてみます。

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マントを羽織り、右手には火縄銃、左手には西洋兜を持っています。

まるで、天下を見下ろしているかのようですね。

 

 

 

信長像の高さは3mぐらいですが、高い台座の上に乗っているので、すごく目立ちます。(笑)

信長像と台座を合わせた高さは15m弱ぐらいでしょうか。

地元経済人が発起人となって寄付を募り、三千万円で製作されたそうです。

 

 

 

それでは、別角度から・・・

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今度は反対側から・・・

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それでは、Ninja君と記念写真を一枚。

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最後に後ろから一枚。

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それにしても目立ちます。(笑)

 

 

 

それでは黄金に輝く信長公とのご対面を果たしたので、次へ向かいます。

次へ向かうは金華山の山頂にある岐阜城です。

 

 

 

 

さあ、金華山の麓の岐阜公園に到着しました。

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岐阜城へは登山道を登って行くことができますが、自分は迷わずロープウェーを選びました。(笑)

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こんな感じで登っていきます。

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ぐんぐん登っていきます。

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やっと、山頂駅に到着です。

 

 

 

 

さあ、ここから岐阜城へ登って行きます。

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この巨石がある所は・・・

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上格子門跡です。

 

 

 

さらに登ると・・・

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二の丸門跡です。

 

 

 

二の丸門跡を過ぎれば、もう少しで目指す岐阜城天守閣です。

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ようやく、天守閣が見えてきました。

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ここが入り口です。

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【岐阜城】

1567年(永禄10年)斎藤龍興と戦い、稲葉山城を攻略した織田信長は、「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めました。 1575年(天正3年)に岐阜城を息子信忠に譲るまでの間、「天下布武」の朱印を用いて天下統一の志をかかげ、城下町の復興に力を注ぎました。楽市楽座の保護など当時としては斬新な政策により岐阜城下は大変な賑わいでした。
 1600年(慶長5年)、関ヶ原合戦の前哨戦の際、信長の孫 秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末落城し、天守閣・櫓等は加納城に移されました。

 

 

この天守閣は1959年(昭和31年)に再興されたものを、1997年(平成9年)に大改修したものです。

こじんまりとした天守閣ですが、さすがに戦国時代の山城ですね。金華山の山頂にあるため登りがきつく、攻め落とすのは容易ではなかったでしょうね。 

 

 

 

それでは、中に入ってみましょう。

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一階は、刀や槍、火縄銃などの武器が展示されています。

 

 

 

 

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二階は歴代城主の肖像画などが展示されています。歴代城主の中でもやっぱり信長が目立っています。

 

 

 

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三階は「信長公の間」ということで、信長公の木像や西洋兜が展示されています。

 

 

 

四階は最上階で展望室となっています。

 

 

 

それでは、信長も眺めたであろう、岐阜城からの眺望をどうぞ。

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どうですか、天下人の気分が味わえましたか。(笑)

眼下に長良川が流れ、岐阜の町が一望できます。 

信長もこの景色を眺めながら「天下布武」の志を立てたことでしょう。 

 

 

 

天守閣から少し降りた所に、岐阜城資料館があります。

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この資料館は、昔の武器庫、食糧庫を隅櫓城郭造りに昭和50年4月に復元したもので、内部には岐阜城関係の資料等を陳列しており、武具や籠、さまざまな楽器などが展示されています。また明治時代に模擬天守として再興された写真など貴重な資料も見ることができます。

 

 

 

この資料館から少し降りた、二の丸の東付近に本丸井戸があります。

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案内文を見てみると、飲み水の確保は非常に困難で、大勢による長期の篭城戦は不向きであったようですね。

 

 

 

岐阜城付近を歩いてみると、ところどころ岩が露出し、金華山は岩山であることがわかります。

ということで、山頂付近で見つけた写真を一枚。

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「ど根性樹木」(笑)

見事に岩の割れ目から木が生えています。植物の生命力はなんて強いんだろうって思いますね。

 

 

 

 

そろそろ、岐阜城攻略も終えたところで、お腹もすいてきました。展望レストランで昼食をとることにします。

なんたって、「腹が減っては、いくさができぬ。」ですから。

 

 

 

 

選んだメニューはこれ・・・

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展望レストラン人気No1の飛騨牛カレー。

 

見た目普通のカレーですが、肉がめっちゃうまいです。さすが飛騨牛です。

目の前に広がる雄大な景色を見ながら、天下のことに思いを馳せ(うそです)、

あっという間に完食。

 

 

 

 

時間があったら岐阜市歴史博物館にも行ってみたかったのですが、それはまた次の機会ということで。

 

 

 


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