軍師 竹中半兵衛ゆかりの地へ・・・ 竹中氏陣屋跡 【岐阜県垂井町】 [日記]
春の訪れを感じさせる暖かい日差しに誘われて、やって来ました・・・
久々のバイクツーリング・・・ この日は3/3(土)でした~。 ひな祭りデスネ・・・。^^
さて、ここは何処?この武将は誰でしょう?
ここは、岐阜県の垂井町、羽柴秀吉の軍師 竹中半兵衛ゆかりの地に来ています。
大きな地図で見る
自分が住んでいる所から45kmぐらいの距離です。関ヶ原の決戦地からは近くて約6kmぐらいの距離にあります。^^
【竹中氏陣屋跡】
そして櫓門の前に堂々とと腰を下ろしているお方こそ・・・
【竹中半兵衛重治公之像】
陣中で堂々と戦況を見つめる竹中半兵衛重治公・・・ → 詳しくはコチラ
カッコイイです。^^
美濃の国主 斉藤家に仕えていた半兵衛の父 重元は、ここの近くの菩提山に城を築きました。竹中半兵衛重治は菩提山城を本拠に秀吉の名軍師としてその名を馳せました。この「竹中家陣屋跡」は半兵衛の子 重門が関ヶ原合戦後に居城である「菩提山城」から下りて陣屋を構えたのが、その始まりだそうです。
現存する木造白壁塗りの櫓門や石垣、濠などが当時の面影を留めていますね。^^
でもまあ、残っているのはそれだけなのですが・・・ (笑)
櫓門の向こうは幼稚園です。^^
歴史を感じさせる門扉ですね。
櫓門を裏から見た・・・
櫓門の横から石垣の上に上れるみたいなので上ってみます。
半兵衛の子 重門は関が原の戦いでは東軍に属し、その後は六千石の旗本として徳川家に使えました。
残っている堀はこれだけですが、当時の陣屋の雰囲気は伝わってきますね。
石垣の上から、半兵衛の居城があった菩提山城方面を見てみた。
どうやら送電線の鉄塔の向こうが菩提山城跡みたいです・・・
ぐるっと裏手にまわって幼稚園のお隣の小学校から櫓門を見てみました。
この辺の小学校も陣屋の敷地だったのかな・・・
おっ、こんなもの発見!
これは逆上がり練習機では・・・。自分が小学生の頃はこんな便利なものはなかったな・・・。^^
竹中氏陣屋跡近くには「菁莪記念館」っていう資料館があるのですが・・・
この日は土曜日で14時からしか開いてなかったので、残念ながら入ることは出来ませんでした。
ちなみに、資料館の中にはこんな感じの竹中氏陣屋の復元模型があるらしいです。
見てみたかったな・・・。^^
ん~いい感じだ~。^^
それでは竹中氏陣屋跡を後にして、竹中氏の菩提寺の「禅幢寺」へ行ってみましょう。
竹中氏陣屋跡から北へ500mの距離にあります。
写真をクリックすると大きくなるよ
禅幢寺の本堂です。
禅幢寺には町指定文化財の半兵衛の肖像画があるみたいです。
ちなみにこんな感じの竹中半兵衛重治公の肖像画です。
Wikipediaより
これはきっと竹中氏陣屋の前の半兵衛の像のモデルとなった肖像画ですよね~。^^
竹中半兵衛の本拠があった菩提山城跡へ行く登山口まで行ってみた。
標高400mの菩提山城まで45分・・・ 簡単にはお城まで行かせてはくれませんね。 熊も出そうだし・・・ (笑)
他に行きたいところもあったので、菩提山城跡へは次回訪れたときのお楽しみということで・・・。^^
垂井町の町中にある『タルイピアセンター』へ・・・
『タルイピアセンター』の中には図書館や歴史民族資料館があります。
歴史民族資料館の一角には「竹中氏と垂井」のコーナーがありました。
秀吉公、御自ら半兵衛の活躍をナビゲートしてくれます。^^
わずか18名で稲葉山城を奪取した話や黒田官兵衛の嫡男・松寿丸(後の黒田長政)を匿って助けた話など、おなじみのエピソードで楽しめました~。
36歳の生涯ですか・・・。 竹中半兵衛がもっと生きていたなら、織田信雄・徳川家康連合軍と戦った小牧・長久手の戦いもまた違っていた展開になっていたかも・・・。
自らの功を誇らず、常に謙虚で恩賞など顧みることなどなかった竹中半兵衛は、戦国の世において稀有な存在ですね。
正に軍師中の軍師です。^^
垂井の歴史民族資料館がある「タルイピアセンター」の中には図書館もあるのですが、館内でこんなもの見つけました~。
図書館でいらなくなった本をタダでいただけるコーナー。 なんと、お一人様何冊でもOKみたいです。^^
それでは・・・
自分はおみやげにこの本をGet!
太閤秀吉亡き後の秀頼と慶長年間の大坂を舞台に、結城虎之助という青年剣士の物語が展開していく・・・
面白そうな本ですね~。 これは帰ってからのお楽しみだ~。^^
久々のバイクツーリング・・・ この日は3/3(土)でした~。 ひな祭りデスネ・・・。^^
さて、ここは何処?この武将は誰でしょう?
ここは、岐阜県の垂井町、羽柴秀吉の軍師 竹中半兵衛ゆかりの地に来ています。
大きな地図で見る
自分が住んでいる所から45kmぐらいの距離です。関ヶ原の決戦地からは近くて約6kmぐらいの距離にあります。^^
【竹中氏陣屋跡】
そして櫓門の前に堂々とと腰を下ろしているお方こそ・・・
【竹中半兵衛重治公之像】
陣中で堂々と戦況を見つめる竹中半兵衛重治公・・・ → 詳しくはコチラ
カッコイイです。^^
美濃の国主 斉藤家に仕えていた半兵衛の父 重元は、ここの近くの菩提山に城を築きました。竹中半兵衛重治は菩提山城を本拠に秀吉の名軍師としてその名を馳せました。この「竹中家陣屋跡」は半兵衛の子 重門が関ヶ原合戦後に居城である「菩提山城」から下りて陣屋を構えたのが、その始まりだそうです。
現存する木造白壁塗りの櫓門や石垣、濠などが当時の面影を留めていますね。^^
でもまあ、残っているのはそれだけなのですが・・・ (笑)
櫓門の向こうは幼稚園です。^^
歴史を感じさせる門扉ですね。
櫓門を裏から見た・・・
櫓門の横から石垣の上に上れるみたいなので上ってみます。
半兵衛の子 重門は関が原の戦いでは東軍に属し、その後は六千石の旗本として徳川家に使えました。
残っている堀はこれだけですが、当時の陣屋の雰囲気は伝わってきますね。
石垣の上から、半兵衛の居城があった菩提山城方面を見てみた。
どうやら送電線の鉄塔の向こうが菩提山城跡みたいです・・・
ぐるっと裏手にまわって幼稚園のお隣の小学校から櫓門を見てみました。
この辺の小学校も陣屋の敷地だったのかな・・・
おっ、こんなもの発見!
これは逆上がり練習機では・・・。自分が小学生の頃はこんな便利なものはなかったな・・・。^^
竹中氏陣屋跡近くには「菁莪記念館」っていう資料館があるのですが・・・
この日は土曜日で14時からしか開いてなかったので、残念ながら入ることは出来ませんでした。
ちなみに、資料館の中にはこんな感じの竹中氏陣屋の復元模型があるらしいです。
見てみたかったな・・・。^^
ん~いい感じだ~。^^
それでは竹中氏陣屋跡を後にして、竹中氏の菩提寺の「禅幢寺」へ行ってみましょう。
竹中氏陣屋跡から北へ500mの距離にあります。
写真をクリックすると大きくなるよ
禅幢寺の本堂です。
禅幢寺には町指定文化財の半兵衛の肖像画があるみたいです。
ちなみにこんな感じの竹中半兵衛重治公の肖像画です。
Wikipediaより
これはきっと竹中氏陣屋の前の半兵衛の像のモデルとなった肖像画ですよね~。^^
竹中半兵衛の本拠があった菩提山城跡へ行く登山口まで行ってみた。
標高400mの菩提山城まで45分・・・ 簡単にはお城まで行かせてはくれませんね。 熊も出そうだし・・・ (笑)
他に行きたいところもあったので、菩提山城跡へは次回訪れたときのお楽しみということで・・・。^^
垂井町の町中にある『タルイピアセンター』へ・・・
『タルイピアセンター』の中には図書館や歴史民族資料館があります。
歴史民族資料館の一角には「竹中氏と垂井」のコーナーがありました。
秀吉公、御自ら半兵衛の活躍をナビゲートしてくれます。^^
わずか18名で稲葉山城を奪取した話や黒田官兵衛の嫡男・松寿丸(後の黒田長政)を匿って助けた話など、おなじみのエピソードで楽しめました~。
36歳の生涯ですか・・・。 竹中半兵衛がもっと生きていたなら、織田信雄・徳川家康連合軍と戦った小牧・長久手の戦いもまた違っていた展開になっていたかも・・・。
自らの功を誇らず、常に謙虚で恩賞など顧みることなどなかった竹中半兵衛は、戦国の世において稀有な存在ですね。
正に軍師中の軍師です。^^
垂井の歴史民族資料館がある「タルイピアセンター」の中には図書館もあるのですが、館内でこんなもの見つけました~。
図書館でいらなくなった本をタダでいただけるコーナー。 なんと、お一人様何冊でもOKみたいです。^^
それでは・・・
自分はおみやげにこの本をGet!
太閤秀吉亡き後の秀頼と慶長年間の大坂を舞台に、結城虎之助という青年剣士の物語が展開していく・・・
面白そうな本ですね~。 これは帰ってからのお楽しみだ~。^^
またまた三国の湊町をぶらぶら・・・ 【福井県 三国湊】 [日記]
明治9年(1876年)九頭竜川河川改修の指導をするため三国を訪れていたオランダ人技師G.A.エッセルは、九頭竜川を綿密に調査し河口に「突堤」を築く計画を立てました。
この突堤は、明治11年(1878年)5月に着工し明治15年(1882年)11月に完成しました。
ちょうどそのころ新しい小学校建設を計画していた三国の人たちは、当地を訪れていたエッセルさんに新しい小学校のデザインを依頼しました。
で、エッセルさんは木造五層八角形という日本人には想像もつかない素敵な校舎をデザインしました。
その名は『龍翔小学校』・・・名付け親は旧福井藩主 松平春嶽公だそうです。^^
明治12年(1879年)に完成したとてもお洒落な龍翔小学校ですが、残念ながら老朽化のため大正期に取り壊されてしまいました。
Ninja250Rは『みくに龍翔館』へ・・・
【みくに龍翔館】 → HP
「みくに龍翔館」は昭和56年(1981年)に三国の歴史や文化遺産を一堂に集めた博物館です。 そしてその外観は、かつての「龍翔小学校」の外観を忠実に復元したものだそうです。^^
百年以上の昔にこんな素敵な小学校があったのですね・・・。
五階建て八角形の木造校舎って、西洋風の天守閣みたいです。でも残念ながら現在の「みくに翔龍館」は、鉄筋コンクリート製です・・・。^^
「みくに翔龍館」の中はというと・・・
三国の歴史や文学などが展示されています。中央には北前船のベザイ船とよばれるタイプの5分の1模型が展示されてました。^^
4階にはトリックアートが常設展示されてます。
【上昇と下降】 M.C.エッシャー作
M.C.エッシャー作のこのだまし絵をご存知の方も多いと思いますが、三国港突堤や翔龍小学校をデザインしたG.A.エッセルはトリックアートで有名なM.C.エッシャーのお父さんなのでした~。 驚きデス。^^
ベランダから三国の街を見てみた・・・
九頭竜川の河口に見えるのが、三国港突堤ですね。こうしてみると河口は九頭竜川の雄大な流れと日本海の荒波がまともにぶつかり合う場所ですね。それを突堤がうまいこと日本海へ流してるようです。^^
みくに翔龍館の周りをぐるっと回ってみます・・・
かつて存在した素敵なデザインの小学校・・・ とってもいい感じです。^^
さてさて、みくに翔龍館を後にして、三国湊町を歩いてみた・・・
江戸時代から明治初期にかけて北前船交易で繁栄した三国湊町。今もかつての面影が随所に残っています。
三国出身の作家「高見 順」の生家デス。^^
文学にはまるで疎いので「高見 順」って知らなかったのですが、その生い立ちはドラマティック。まるで小説を地で行くような感じですね。 → 詳しくはコチラ
江戸時代、三国湊は日本海屈指の北前船の港として大変栄えました。そう、港といえば・・・色里かな・・・ ^^
【思案橋】
北国一の三国の遊郭、かつての出村遊郭の入口にあたります。
観光パンフレットを見てみると、「遊郭に行こうか帰ろうかと思案したところということで『思案橋』と呼ばれている。」なんてありました。 ん、これって長崎のお話だったような気が・・・ (笑)
遊郭って時代劇の中でしか見たことないけど、多くの人で賑わっていたのでしょうね。
「哥川」さん、とっても綺麗な人ですね。 容色麗しく、気品をそなえ・・・ぜひ会ってみたいです。
でも、行こか戻ろか思案するかも・・・。(笑)
【永正寺】
白い鐘楼門が印象的ですね。このお寺は「哥川」さんの菩提寺だそうです。
【旧 森田銀行本店】
江戸期に廻船問屋として財をなした森田家は明治半ばに森田銀行を設立しました。この本店は大正9年(1920年)に建てられたものだそうです。
お金持ちしか入れない貴賓室。 素敵ですね~。 やっぱり庶民には縁遠いお部屋です。^^
九頭竜川の港へ出てみた。
もうすぐ日が沈みますね。越前の海岸は夕陽が綺麗なところで有名です。今日は綺麗な夕陽が見れるかな・・・。
というわけで、またまた突堤にやってきた。
残念ながら雲がかかっていて綺麗な夕陽は見れませんでした。相変わらず突堤は大荒れです。
三国湊は素敵な町でした。今回は時間がなくて行けなかったところもたくさんありますので、ぜひまた訪れてみたいと思います。
さて、帰るとしますか・・・
【南条サービスエリア】
流石は福井県のサービスエリアです。恐竜ディスプレイが素敵です。^^
実はこの日は時間がなくて、丸岡城の「お仙ソフト」しか食べてません。腹へった~。
海鮮丼も美味そうだし、越前おろし蕎麦も食べてみたい・・・
というわけで、海鮮丼とおろし蕎麦のセットメニュー~。^^
う~ん、美味しかった~。幸せ~。^^
この突堤は、明治11年(1878年)5月に着工し明治15年(1882年)11月に完成しました。
ちょうどそのころ新しい小学校建設を計画していた三国の人たちは、当地を訪れていたエッセルさんに新しい小学校のデザインを依頼しました。
で、エッセルさんは木造五層八角形という日本人には想像もつかない素敵な校舎をデザインしました。
その名は『龍翔小学校』・・・名付け親は旧福井藩主 松平春嶽公だそうです。^^
明治12年(1879年)に完成したとてもお洒落な龍翔小学校ですが、残念ながら老朽化のため大正期に取り壊されてしまいました。
Ninja250Rは『みくに龍翔館』へ・・・
【みくに龍翔館】 → HP
「みくに龍翔館」は昭和56年(1981年)に三国の歴史や文化遺産を一堂に集めた博物館です。 そしてその外観は、かつての「龍翔小学校」の外観を忠実に復元したものだそうです。^^
百年以上の昔にこんな素敵な小学校があったのですね・・・。
五階建て八角形の木造校舎って、西洋風の天守閣みたいです。でも残念ながら現在の「みくに翔龍館」は、鉄筋コンクリート製です・・・。^^
「みくに翔龍館」の中はというと・・・
三国の歴史や文学などが展示されています。中央には北前船のベザイ船とよばれるタイプの5分の1模型が展示されてました。^^
4階にはトリックアートが常設展示されてます。
【上昇と下降】 M.C.エッシャー作
M.C.エッシャー作のこのだまし絵をご存知の方も多いと思いますが、三国港突堤や翔龍小学校をデザインしたG.A.エッセルはトリックアートで有名なM.C.エッシャーのお父さんなのでした~。 驚きデス。^^
ベランダから三国の街を見てみた・・・
九頭竜川の河口に見えるのが、三国港突堤ですね。こうしてみると河口は九頭竜川の雄大な流れと日本海の荒波がまともにぶつかり合う場所ですね。それを突堤がうまいこと日本海へ流してるようです。^^
みくに翔龍館の周りをぐるっと回ってみます・・・
かつて存在した素敵なデザインの小学校・・・ とってもいい感じです。^^
さてさて、みくに翔龍館を後にして、三国湊町を歩いてみた・・・
江戸時代から明治初期にかけて北前船交易で繁栄した三国湊町。今もかつての面影が随所に残っています。
三国出身の作家「高見 順」の生家デス。^^
文学にはまるで疎いので「高見 順」って知らなかったのですが、その生い立ちはドラマティック。まるで小説を地で行くような感じですね。 → 詳しくはコチラ
江戸時代、三国湊は日本海屈指の北前船の港として大変栄えました。そう、港といえば・・・色里かな・・・ ^^
【思案橋】
北国一の三国の遊郭、かつての出村遊郭の入口にあたります。
観光パンフレットを見てみると、「遊郭に行こうか帰ろうかと思案したところということで『思案橋』と呼ばれている。」なんてありました。 ん、これって長崎のお話だったような気が・・・ (笑)
遊郭って時代劇の中でしか見たことないけど、多くの人で賑わっていたのでしょうね。
「哥川」さん、とっても綺麗な人ですね。 容色麗しく、気品をそなえ・・・ぜひ会ってみたいです。
でも、行こか戻ろか思案するかも・・・。(笑)
【永正寺】
白い鐘楼門が印象的ですね。このお寺は「哥川」さんの菩提寺だそうです。
【旧 森田銀行本店】
江戸期に廻船問屋として財をなした森田家は明治半ばに森田銀行を設立しました。この本店は大正9年(1920年)に建てられたものだそうです。
お金持ちしか入れない貴賓室。 素敵ですね~。 やっぱり庶民には縁遠いお部屋です。^^
九頭竜川の港へ出てみた。
もうすぐ日が沈みますね。越前の海岸は夕陽が綺麗なところで有名です。今日は綺麗な夕陽が見れるかな・・・。
というわけで、またまた突堤にやってきた。
残念ながら雲がかかっていて綺麗な夕陽は見れませんでした。相変わらず突堤は大荒れです。
三国湊は素敵な町でした。今回は時間がなくて行けなかったところもたくさんありますので、ぜひまた訪れてみたいと思います。
さて、帰るとしますか・・・
【南条サービスエリア】
流石は福井県のサービスエリアです。恐竜ディスプレイが素敵です。^^
実はこの日は時間がなくて、丸岡城の「お仙ソフト」しか食べてません。腹へった~。
海鮮丼も美味そうだし、越前おろし蕎麦も食べてみたい・・・
というわけで、海鮮丼とおろし蕎麦のセットメニュー~。^^
う~ん、美味しかった~。幸せ~。^^
北前船の寄港地 三国湊をぶら~り散策してきたよ・・・ 【福井県坂井市 三国】 [日記]
さて、今回は10/16に丸岡城を訪れた前回の続きからですね。^^
丸岡城を後にして、九頭竜川の河口の町「三国」の湊町を訪れてみることにしました。
大きな地図で見る
丸岡城から約20kmぐらいですね。
丸岡城に行くために、Googleマップを見ていたら、九頭竜川の河口に面白い形の堤防が延びているのを見つけました。^^
大きな地図で見る
調べたらこの堤防は「三国港突堤」(みくにみなと とってい)って言うらしく、「とってい」っていう言葉の響も面白いので行って見ることにしました。^^
で、えちぜん鉄道の三国港駅に到着~。^^
入場券を買ってホームの端まで歩いてみました。
どうやら線路の向こうに見えるレンガ橋は「ねじりまんぽ」っていう珍しい工法で作られた国登録有形文化財の橋らしいです。 → 【ねじりまんぽ】
説明看板の写真を見てみると・・・
確かにネジられてます。^^
Ninja250Rで「眼鏡橋」まで行ってみた。
線路に対して斜めに橋が渡ってるレンガ橋です。
この「眼鏡橋」が造られたのは大正2年(1913年)で、斜角右60度斜めアーチ、半円断面のトンネルだそうです。何だかマニアックな感じ~。^^
斜め4層に積み上げられたレンガがスゴイですね。こんなレンガ橋は初めて見ました。これは近くで見ないとわかりませんね。^^
反対側に行ってみた。。。
こっちのほうが斜めっぷりがわかりやすいかな・・・。^^
今度は三国湊駅の方から見てみた・・・
いい感じですね。^^
眼鏡橋まで電車がGo!
三国港駅のまん前にある漁港へ行ってみた。^^
この日は休日の午後で釣人しかいませんでしたが、いつもは活気あふれる漁港なのでしょう。
三国湊は大河「九頭竜川」の河口に位置する古くからの港で、江戸時代には福井藩の外港として大いに賑わい、北前船など多くの船がひしめきあっていたそうです。現在では「越前かに」の水揚げ港として知られています。丹後のほうでは「舞鶴かに」「松葉かに」というのでしょうか~。^^
さて、それでは三国港突堤へ行ってみましょうか~ トッテイ~ ^^
浜辺ではカイトボードを楽しんでいたり・・・
この日はちょっと風が強くて波がありますね。これは絶好のカイトボード日和ですね。
今回は行きませんが、ここから東尋坊までは近くて2kmぐらいです。^^
で、突堤~。^^
三国港突堤は別名「エッセル堤」とも呼ばれていて、明治初期にオランダ式工法を取り入れた西洋築堤事業の第一号で国の重要文化財に指定されています。
詳しくはコチラ → 【三国港突堤】
突堤のカーブを描いている部分が明治に造られたオランダ人技師G・A・エッセルさんが計画した部分で、真直ぐに延びた堤防が昭和に出来た新堤みたいですね。 エッセルさんの作品のほうが優雅な感じ~。^^
それでは、突堤の先っぽまで行ってみましょう~。^^
あの、先へ・・・
おおっ・・・
こりゃ無理だ~。間違いなく流される・・・
ちょっと風が強いだけでこの荒れ様・・・。 荒れた海は怖いです・・・。
さ~て、興味があるところへは何処でも行っちゃう自分ですが、あきらめるのも早いのでサッサと引き返して来ました。
だって怖いもん。(笑)
さて、三国の旅はもう少し続きます。
次回は三国港突堤のエッセルさんゆかりの建物に行ってみたいと思います。^^
丸岡城を後にして、九頭竜川の河口の町「三国」の湊町を訪れてみることにしました。
大きな地図で見る
丸岡城から約20kmぐらいですね。
丸岡城に行くために、Googleマップを見ていたら、九頭竜川の河口に面白い形の堤防が延びているのを見つけました。^^
大きな地図で見る
調べたらこの堤防は「三国港突堤」(みくにみなと とってい)って言うらしく、「とってい」っていう言葉の響も面白いので行って見ることにしました。^^
で、えちぜん鉄道の三国港駅に到着~。^^
入場券を買ってホームの端まで歩いてみました。
どうやら線路の向こうに見えるレンガ橋は「ねじりまんぽ」っていう珍しい工法で作られた国登録有形文化財の橋らしいです。 → 【ねじりまんぽ】
説明看板の写真を見てみると・・・
確かにネジられてます。^^
Ninja250Rで「眼鏡橋」まで行ってみた。
線路に対して斜めに橋が渡ってるレンガ橋です。
この「眼鏡橋」が造られたのは大正2年(1913年)で、斜角右60度斜めアーチ、半円断面のトンネルだそうです。何だかマニアックな感じ~。^^
斜め4層に積み上げられたレンガがスゴイですね。こんなレンガ橋は初めて見ました。これは近くで見ないとわかりませんね。^^
反対側に行ってみた。。。
こっちのほうが斜めっぷりがわかりやすいかな・・・。^^
今度は三国湊駅の方から見てみた・・・
いい感じですね。^^
眼鏡橋まで電車がGo!
三国港駅のまん前にある漁港へ行ってみた。^^
この日は休日の午後で釣人しかいませんでしたが、いつもは活気あふれる漁港なのでしょう。
三国湊は大河「九頭竜川」の河口に位置する古くからの港で、江戸時代には福井藩の外港として大いに賑わい、北前船など多くの船がひしめきあっていたそうです。現在では「越前かに」の水揚げ港として知られています。丹後のほうでは「舞鶴かに」「松葉かに」というのでしょうか~。^^
さて、それでは三国港突堤へ行ってみましょうか~ トッテイ~ ^^
浜辺ではカイトボードを楽しんでいたり・・・
この日はちょっと風が強くて波がありますね。これは絶好のカイトボード日和ですね。
今回は行きませんが、ここから東尋坊までは近くて2kmぐらいです。^^
で、突堤~。^^
三国港突堤は別名「エッセル堤」とも呼ばれていて、明治初期にオランダ式工法を取り入れた西洋築堤事業の第一号で国の重要文化財に指定されています。
詳しくはコチラ → 【三国港突堤】
突堤のカーブを描いている部分が明治に造られたオランダ人技師G・A・エッセルさんが計画した部分で、真直ぐに延びた堤防が昭和に出来た新堤みたいですね。 エッセルさんの作品のほうが優雅な感じ~。^^
それでは、突堤の先っぽまで行ってみましょう~。^^
あの、先へ・・・
おおっ・・・
こりゃ無理だ~。間違いなく流される・・・
ちょっと風が強いだけでこの荒れ様・・・。 荒れた海は怖いです・・・。
さ~て、興味があるところへは何処でも行っちゃう自分ですが、あきらめるのも早いのでサッサと引き返して来ました。
だって怖いもん。(笑)
さて、三国の旅はもう少し続きます。
次回は三国港突堤のエッセルさんゆかりの建物に行ってみたいと思います。^^