久しぶりに出会ったあの方と・・・ 道の駅 『宇陀路 室生』 【奈良県宇陀市 室生】 [日記]
こんにちは!^^
皆さま、お久しぶりです。
今回は、奈良県と三重県の県境の近く、国道165号線沿いにある 道の駅 『宇陀路 室生』に来ています。
ここは古くから大和と伊勢の交易の道だったみたいです。
すぐ横には宇陀川が流れています。
この日は梅雨の合間の7/8で、室生寺に行く途中に寄り道をしました。
ここで久しぶりにこのお方とお会いしました。
《せんとくん》
2010年に奈良県で開催された平城遷都1300年祭の公式マスコットキャラクターの「せんとくん」です。^^
2010年の平城遷都1300年祭のとき以来ですから2年ぶりですか・・・ お元気そうで何よりです。(笑)
平城遷都1300年祭が終わった後は、奈良県のマスコットキャラクターに就任されたそうで、現在は新しい衣装で大活躍されています。
それにしても不思議なキャラクターですよね・・・。
キモキャラ騒動で全国的に有名になりましたが、なぜだか子供には大人気なのです。
手をつなぎたくなるらしい・・・。(笑)
それでは店内へ・・・
木の感じがなかなかいいですね。^^
朝食を食べてきてなかったのでモーニングでもいただきましょうか~
彩りが綺麗ですよね。 テンション上がります~。^^
さ~て、モーニングも食ベたし室生寺へ・・・。
というわけで、今回はここまでですね。(笑)
気になる室生寺は次回へと続きます・・・ お楽しみに~。^^
皆さま、お久しぶりです。
今回は、奈良県と三重県の県境の近く、国道165号線沿いにある 道の駅 『宇陀路 室生』に来ています。
ここは古くから大和と伊勢の交易の道だったみたいです。
すぐ横には宇陀川が流れています。
この日は梅雨の合間の7/8で、室生寺に行く途中に寄り道をしました。
ここで久しぶりにこのお方とお会いしました。
《せんとくん》
2010年に奈良県で開催された平城遷都1300年祭の公式マスコットキャラクターの「せんとくん」です。^^
2010年の平城遷都1300年祭のとき以来ですから2年ぶりですか・・・ お元気そうで何よりです。(笑)
平城遷都1300年祭が終わった後は、奈良県のマスコットキャラクターに就任されたそうで、現在は新しい衣装で大活躍されています。
それにしても不思議なキャラクターですよね・・・。
キモキャラ騒動で全国的に有名になりましたが、なぜだか子供には大人気なのです。
手をつなぎたくなるらしい・・・。(笑)
それでは店内へ・・・
木の感じがなかなかいいですね。^^
朝食を食べてきてなかったのでモーニングでもいただきましょうか~
彩りが綺麗ですよね。 テンション上がります~。^^
さ~て、モーニングも食ベたし室生寺へ・・・。
というわけで、今回はここまでですね。(笑)
気になる室生寺は次回へと続きます・・・ お楽しみに~。^^
のんびりでまったりな・・・ ~ご近所お散歩ツーリング~ 【三重県いなべ市大安町 丹生川~青川】 [日記]
梅雨まっさかりですね~。 皆さまいかがお過ごしですか・・・。
今回は梅雨に入る前の「ご近所お散歩ツーリング」を少しだけ~。^^
《蕎麦 響庵》
自分は三重県の北部に住んでいるのですが、隣町に越前蕎麦のお店が移転してきたので行ってみました。^^
以前、福井県にツーリングに行ったとき、そこで食べたおろし蕎麦がとっても美味しくて、越前蕎麦が大好きになりました。
【天おろしそば】
久しぶりの越前そばだったので、豪勢に『天おろしそば』を注文~。
福井県大野市産蕎麦粉100%で、もちろん10割蕎麦です。^^
美味しい~。 大根のピリッとした辛さが蕎麦に合います。 おろし蕎麦最高~ ^^v
さ~て、美味しいお蕎麦も食べたことだし、ちょこっと寄り道デス。
【貨物鉄道博物館】
先ほどのお蕎麦屋さんから3kmぐらいの距離にあります。 三岐鉄道 丹生川駅の横デス。^^
残念ながらこの日は開館日ではありませんでした。 「貨物鉄道博物館」を見ることが出来るのは、毎月第一日曜日だけなのです。^^
「貨物鉄道博物館」の中がどんな感じなのかは・・・ コチラ
まあ、「貨物鉄道博物館」の中は見ることが出来なくても、屋外の展示車両は自由に見学することが出来るのです。^^
【B4形39号】 英国製蒸気機関車 1898年製(明治31年)
1898年製(明治31年)なので、114年前に造られた蒸気機関車なのですか~。 スゴイです。^^
で、この蒸気機関車は貨物を引っぱっていたのですね。
記念に蒸気機関車とバイクの2ショット!
こんなことが出来るのもローカルな鉄道博物館ならではですね。JRの華麗な鉄道博物館も素晴らしいですが、ローカルでお気楽な博物館も大好きです。一人占めだし、遊べるし・・・。(笑)
そう、ここは「貨物鉄道博物館」・・・
三岐鉄道の丹生川駅から電車が藤原方面へ発進! 黄色とオレンジのカラーリングいいなあ。^^
遠くに藤原岳が見えますが、あの藤原岳はセメントの原料となる石灰岩で組成されている山なのです。
なので、麓にセメント工場があって、藤原岳の斜面は大規模に切り取られています。
三岐鉄道は1931年(昭和6年)に営業が開始されましたが、もともと藤原岳の石灰石運搬が鉄道敷設の主目的だったようです。
それでは屋外展示されてるいろんな種類の貨物車両を見てみましょう。^^
これらの貨物車両たちは、かつて戦後の日本の発展のために日夜働いていたのですね。^^
丹生川駅の方へ行ってみた。 こちらにも貨物車両が展示されてます。^^
過酸化水素を運ぶためのアルミタンク車ですね。 マニアックだなぁ~。^^
そう、ここは丹生川駅デス・・・
丹生川・・・ 丹生・・・
そういえばこの間、三重県多気町の丹生に水銀鉱跡を見に行きましたね・・・ → コチラ
かつて朱の原料である辰砂を産出する水銀鉱床群の分布する地域には、丹生、丹生川、丹生神社などの名前が残っているそうです。
現在は丹生川っていう川はこの付近にはありませんが、かつて辰砂を産出してたところから丹生川がこのあたりを流れていたのでしょうか。
そういえば、丹生川駅の北500mぐらいのところを青川っていう名前の川が流れていますね。 長い年月の間に、丹生川の流れが変わって青川になったとしたら・・・
というわけで、青川の川沿いを上流へ・・・。^^
川沿いにそって気持ちのいい道が続きます。ここは桜並木が綺麗で、自分のお気に入りコースなのです。
桜の季節の青川がどんなに綺麗なのか、去年撮った写真がありましたのでどうぞ~。^^
青川の上流には「青川峡キャンピングパーク」っていう素敵なオートキャンプ場があります。
青川峡谷の看板がありました。^^
《クリックすると大きくなるよ》
う~んやっぱり、その昔、青川の上流に鉱山があったんだ・・・ しかもこの治田鉱山跡は千姫に縁のある鉱山だったとは・・・ ^^
徳川家康の孫娘にして、豊臣秀頼に嫁いだ「千姫」は皆さんもちろんご存知ですね。
史実かどうかはわかりませんが、こんな「それからの千姫物語」があります。
豊臣家が滅亡した「大坂夏の陣」で大坂城が落城した時、燃え上がる大坂城から千姫は無事助け出されました。悲しみの中江戸城へ帰る道中、警護にあたっていた桑名城主 本多忠政の息子・忠刻(ただとき)と 出会い、さっそうとした若武者ぶりにほのかな恋心を抱きました。 そんな千姫の心を知った家康は、今度こそ幸せにしてやりたいと、千姫の思いを聞き届け、1616年二人の結婚が決まりました。千姫20歳、忠刻21歳の時でした。その時の千姫の化粧料(持参金)は、10万石といわれています。
そうです、このときの化粧料(持参金)が「治田郷7ヵ村と治田鉱山」だったようですね。それにしても10万石とはスゴイです。^^
この青川の上流に千姫と縁のある治田鉱山跡があるのですね。^^
蕎麦を食べて、 「貨物鉄道博物館」に寄り道しただけなのに、千姫まで話が広がっちゃって・・・
これだからお散歩ツーリングは止められませんね~。^^
今回は梅雨に入る前の「ご近所お散歩ツーリング」を少しだけ~。^^
《蕎麦 響庵》
自分は三重県の北部に住んでいるのですが、隣町に越前蕎麦のお店が移転してきたので行ってみました。^^
以前、福井県にツーリングに行ったとき、そこで食べたおろし蕎麦がとっても美味しくて、越前蕎麦が大好きになりました。
【天おろしそば】
久しぶりの越前そばだったので、豪勢に『天おろしそば』を注文~。
福井県大野市産蕎麦粉100%で、もちろん10割蕎麦です。^^
美味しい~。 大根のピリッとした辛さが蕎麦に合います。 おろし蕎麦最高~ ^^v
さ~て、美味しいお蕎麦も食べたことだし、ちょこっと寄り道デス。
【貨物鉄道博物館】
先ほどのお蕎麦屋さんから3kmぐらいの距離にあります。 三岐鉄道 丹生川駅の横デス。^^
残念ながらこの日は開館日ではありませんでした。 「貨物鉄道博物館」を見ることが出来るのは、毎月第一日曜日だけなのです。^^
「貨物鉄道博物館」の中がどんな感じなのかは・・・ コチラ
まあ、「貨物鉄道博物館」の中は見ることが出来なくても、屋外の展示車両は自由に見学することが出来るのです。^^
【B4形39号】 英国製蒸気機関車 1898年製(明治31年)
1898年製(明治31年)なので、114年前に造られた蒸気機関車なのですか~。 スゴイです。^^
で、この蒸気機関車は貨物を引っぱっていたのですね。
記念に蒸気機関車とバイクの2ショット!
こんなことが出来るのもローカルな鉄道博物館ならではですね。JRの華麗な鉄道博物館も素晴らしいですが、ローカルでお気楽な博物館も大好きです。一人占めだし、遊べるし・・・。(笑)
そう、ここは「貨物鉄道博物館」・・・
三岐鉄道の丹生川駅から電車が藤原方面へ発進! 黄色とオレンジのカラーリングいいなあ。^^
遠くに藤原岳が見えますが、あの藤原岳はセメントの原料となる石灰岩で組成されている山なのです。
なので、麓にセメント工場があって、藤原岳の斜面は大規模に切り取られています。
三岐鉄道は1931年(昭和6年)に営業が開始されましたが、もともと藤原岳の石灰石運搬が鉄道敷設の主目的だったようです。
それでは屋外展示されてるいろんな種類の貨物車両を見てみましょう。^^
これらの貨物車両たちは、かつて戦後の日本の発展のために日夜働いていたのですね。^^
丹生川駅の方へ行ってみた。 こちらにも貨物車両が展示されてます。^^
過酸化水素を運ぶためのアルミタンク車ですね。 マニアックだなぁ~。^^
そう、ここは丹生川駅デス・・・
丹生川・・・ 丹生・・・
そういえばこの間、三重県多気町の丹生に水銀鉱跡を見に行きましたね・・・ → コチラ
かつて朱の原料である辰砂を産出する水銀鉱床群の分布する地域には、丹生、丹生川、丹生神社などの名前が残っているそうです。
現在は丹生川っていう川はこの付近にはありませんが、かつて辰砂を産出してたところから丹生川がこのあたりを流れていたのでしょうか。
そういえば、丹生川駅の北500mぐらいのところを青川っていう名前の川が流れていますね。 長い年月の間に、丹生川の流れが変わって青川になったとしたら・・・
というわけで、青川の川沿いを上流へ・・・。^^
川沿いにそって気持ちのいい道が続きます。ここは桜並木が綺麗で、自分のお気に入りコースなのです。
桜の季節の青川がどんなに綺麗なのか、去年撮った写真がありましたのでどうぞ~。^^
青川の上流には「青川峡キャンピングパーク」っていう素敵なオートキャンプ場があります。
青川峡谷の看板がありました。^^
《クリックすると大きくなるよ》
う~んやっぱり、その昔、青川の上流に鉱山があったんだ・・・ しかもこの治田鉱山跡は千姫に縁のある鉱山だったとは・・・ ^^
徳川家康の孫娘にして、豊臣秀頼に嫁いだ「千姫」は皆さんもちろんご存知ですね。
史実かどうかはわかりませんが、こんな「それからの千姫物語」があります。
豊臣家が滅亡した「大坂夏の陣」で大坂城が落城した時、燃え上がる大坂城から千姫は無事助け出されました。悲しみの中江戸城へ帰る道中、警護にあたっていた桑名城主 本多忠政の息子・忠刻(ただとき)と 出会い、さっそうとした若武者ぶりにほのかな恋心を抱きました。 そんな千姫の心を知った家康は、今度こそ幸せにしてやりたいと、千姫の思いを聞き届け、1616年二人の結婚が決まりました。千姫20歳、忠刻21歳の時でした。その時の千姫の化粧料(持参金)は、10万石といわれています。
そうです、このときの化粧料(持参金)が「治田郷7ヵ村と治田鉱山」だったようですね。それにしても10万石とはスゴイです。^^
この青川の上流に千姫と縁のある治田鉱山跡があるのですね。^^
蕎麦を食べて、 「貨物鉄道博物館」に寄り道しただけなのに、千姫まで話が広がっちゃって・・・
これだからお散歩ツーリングは止められませんね~。^^
春爛漫!桜の丹生大師と丹生水銀鉱山跡へ・・・ 【三重県多気郡多気町 丹生】 [日記]
今日はちょっと寒いけど快晴の青空の日曜日・・・ 4月8日です。
ここは東名阪道の下り方面 安濃SAです。津ICの手前ですね。^^
春ですね・・・ 桜が綺麗だ~。^^
ん! 知らない間に安濃SAがリニューアルされてるようです・・・
中に入ってみた。
フードコートも一新されて綺麗ですね。
朝食べてこなかったので、朝食でも・・・
あれっ、『一風堂』ってあの博多ラーメンの人気店ではないですか・・・ ^^
ならば、今日は朝からガッツリとラーメンでいきますか。^^
【朝セット】 豚骨ラーメン(小)+玉子かけごはん
麺は細麺で、くせのない豚骨スープ・・・ 美味しい~。^^
本格博多ラーメンがSAで食べられるとは嬉しいですね。 今度来るときは伊勢路ラーメンでも食べてみますか~。
さてさて、今回は三重県の真ん中あたりの多気町丹生(にう)に行ってみようと思っています。
実は昨年、松阪城を訪れたとき、城内にある「松阪市立歴史民族資料館」で「伊勢おしろい」の企画展をやっていました。そのなかで当時のおしろいの原料には水銀が使われていて、その水銀は古くから多気町の丹生で産出されていたということを知りました。 とっても興味深いので、いつか丹生へ行ってみたいなって思っていました。^^
では、多気町の丹生へ向けて出発~。^^
伊勢自動車道を南下して、勢和多気IC出口から北西へ約3km
大きな地図で見る
まずは丹生水銀鉱山跡へ行く前に、近くにある丹生大師に寄り道します。^^
桜が綺麗です。^^
バイクは近くの「ふれあいの館」の駐車場にとめて、歩いていきます。
【仁王門】
境内の様子はこんな感じです。
クリックすると大きくなるよ。^^
女人高野丹生山 【神宮寺成就院】 → hp
弘法大師の師匠である勤操大徳が宝亀5年(774年)に開山したとのこと。後に、弘仁4年(813年)弘法大師によって七堂伽藍が建立されました。
大師堂(御影堂)へ行ってみます・・・
石段の横に回廊があって中に入って上ることが出来ます。
素晴らしい~。 この回廊は外敵防護の施設だったと伝えられています。^^
【大師堂】 (御影堂)
ドラゴンボ~ル ^^
丹生大師のお隣には丹生神社がありました。
延喜式にも書かれているほどの古社で、丹生の水銀と深く関わりのある神社です。
立派な社殿です。
伊勢椿の原木がありました。 とっても綺麗ですね。^^
丹生神社の参道からは仁王門が望めます。
丹生神社から「ふれあいの館」に戻って桜餅を買いました。
美味しい~。^^
春爛漫~ 桜の丹生でお花見タイム~。^^v
さてさて・・・
クリックすれば大きくなるよ。 ^^
目的地の水銀鉱山跡へは「ふれあいの館」から歩いて行けそうですが、せっかくなのでバイクで行ってみることにします。
丹生水銀鉱跡の看板が見えてまいりました。^^
入り口にバイクをとめてズンズン歩いていきます。
何だか見えてまいりました。
クリックすれば大きくなるよ。^^
なるほど~ 昭和のもののようですが、この装置で水銀を精錬してたわけですね。^^
クリックすると大きくなるよ。^^
奥に水銀坑道跡があるようなので行ってみます。
クリックすれば大きくなるよ。^^
続日本記に書かれているぐらい古い歴史があるみたいです。それに丹生の水銀は奈良の大仏さまの金メッキにも使われてたそうです。^^
どうやら鎌倉時代がピークで室町時代からだんだんと衰退していったようです・・・
でも、昭和の時代になって再び採掘されたとは驚きですね。 さっき見た水銀精錬装置はそのときのもののようです。
左が古代水銀採掘坑道で右が昭和水銀採掘坑道ですね。
まずは、古代の水銀採掘坑道へ・・・
入り口はしっかりと閉じられています。
デジカメを柵の中に突っ込んで撮ってみましたが・・・
中は崩れてるようですね。
掘り跡が凄いです。
ん! 右上に何か・・・
ギャ~
コウモリだ~
走って逃げます。。。
気を取り直して、右の昭和水銀坑道も見てみました。
こちらの方は昭和の坑道で機械掘りなので掘り跡がきれいですね。^^
さて水銀鉱山跡と見た後はぐるりと回って、水銀のたぬき掘り古道をトレッキング~。^^
おっ、ありましたよ~。
大部分が埋もれているようですが、歴史を感じさせる風合いです。
あっ、ちなみにたぬきはいませんでした~。^^
水銀の山を歩いていると、たぬき掘りの跡があちこちに見られます。
山を降りて、のんびり散策~ ^^
水が湧いてるところがありました。
朱色に近い色ですね。赤土の影響でしょうか。
古代では赤土(丹土)と共に朱砂が顔料として用いられていたそうです。
かつて水銀の産地として栄えた丹生・・・
今ではその毒性ゆえ水銀はあまり使われなくなったけれども、自分の心に水銀とその歴史が刻まれた一日でした。^^v
ここは東名阪道の下り方面 安濃SAです。津ICの手前ですね。^^
春ですね・・・ 桜が綺麗だ~。^^
ん! 知らない間に安濃SAがリニューアルされてるようです・・・
中に入ってみた。
フードコートも一新されて綺麗ですね。
朝食べてこなかったので、朝食でも・・・
あれっ、『一風堂』ってあの博多ラーメンの人気店ではないですか・・・ ^^
ならば、今日は朝からガッツリとラーメンでいきますか。^^
【朝セット】 豚骨ラーメン(小)+玉子かけごはん
麺は細麺で、くせのない豚骨スープ・・・ 美味しい~。^^
本格博多ラーメンがSAで食べられるとは嬉しいですね。 今度来るときは伊勢路ラーメンでも食べてみますか~。
さてさて、今回は三重県の真ん中あたりの多気町丹生(にう)に行ってみようと思っています。
実は昨年、松阪城を訪れたとき、城内にある「松阪市立歴史民族資料館」で「伊勢おしろい」の企画展をやっていました。そのなかで当時のおしろいの原料には水銀が使われていて、その水銀は古くから多気町の丹生で産出されていたということを知りました。 とっても興味深いので、いつか丹生へ行ってみたいなって思っていました。^^
では、多気町の丹生へ向けて出発~。^^
伊勢自動車道を南下して、勢和多気IC出口から北西へ約3km
大きな地図で見る
まずは丹生水銀鉱山跡へ行く前に、近くにある丹生大師に寄り道します。^^
桜が綺麗です。^^
バイクは近くの「ふれあいの館」の駐車場にとめて、歩いていきます。
【仁王門】
境内の様子はこんな感じです。
クリックすると大きくなるよ。^^
女人高野丹生山 【神宮寺成就院】 → hp
弘法大師の師匠である勤操大徳が宝亀5年(774年)に開山したとのこと。後に、弘仁4年(813年)弘法大師によって七堂伽藍が建立されました。
大師堂(御影堂)へ行ってみます・・・
石段の横に回廊があって中に入って上ることが出来ます。
素晴らしい~。 この回廊は外敵防護の施設だったと伝えられています。^^
【大師堂】 (御影堂)
ドラゴンボ~ル ^^
丹生大師のお隣には丹生神社がありました。
延喜式にも書かれているほどの古社で、丹生の水銀と深く関わりのある神社です。
立派な社殿です。
伊勢椿の原木がありました。 とっても綺麗ですね。^^
丹生神社の参道からは仁王門が望めます。
丹生神社から「ふれあいの館」に戻って桜餅を買いました。
美味しい~。^^
春爛漫~ 桜の丹生でお花見タイム~。^^v
さてさて・・・
クリックすれば大きくなるよ。 ^^
目的地の水銀鉱山跡へは「ふれあいの館」から歩いて行けそうですが、せっかくなのでバイクで行ってみることにします。
丹生水銀鉱跡の看板が見えてまいりました。^^
入り口にバイクをとめてズンズン歩いていきます。
何だか見えてまいりました。
クリックすれば大きくなるよ。^^
なるほど~ 昭和のもののようですが、この装置で水銀を精錬してたわけですね。^^
クリックすると大きくなるよ。^^
奥に水銀坑道跡があるようなので行ってみます。
クリックすれば大きくなるよ。^^
続日本記に書かれているぐらい古い歴史があるみたいです。それに丹生の水銀は奈良の大仏さまの金メッキにも使われてたそうです。^^
どうやら鎌倉時代がピークで室町時代からだんだんと衰退していったようです・・・
でも、昭和の時代になって再び採掘されたとは驚きですね。 さっき見た水銀精錬装置はそのときのもののようです。
左が古代水銀採掘坑道で右が昭和水銀採掘坑道ですね。
まずは、古代の水銀採掘坑道へ・・・
入り口はしっかりと閉じられています。
デジカメを柵の中に突っ込んで撮ってみましたが・・・
中は崩れてるようですね。
掘り跡が凄いです。
ん! 右上に何か・・・
ギャ~
コウモリだ~
走って逃げます。。。
気を取り直して、右の昭和水銀坑道も見てみました。
こちらの方は昭和の坑道で機械掘りなので掘り跡がきれいですね。^^
さて水銀鉱山跡と見た後はぐるりと回って、水銀のたぬき掘り古道をトレッキング~。^^
おっ、ありましたよ~。
大部分が埋もれているようですが、歴史を感じさせる風合いです。
あっ、ちなみにたぬきはいませんでした~。^^
水銀の山を歩いていると、たぬき掘りの跡があちこちに見られます。
山を降りて、のんびり散策~ ^^
水が湧いてるところがありました。
朱色に近い色ですね。赤土の影響でしょうか。
古代では赤土(丹土)と共に朱砂が顔料として用いられていたそうです。
かつて水銀の産地として栄えた丹生・・・
今ではその毒性ゆえ水銀はあまり使われなくなったけれども、自分の心に水銀とその歴史が刻まれた一日でした。^^v