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ゴールデンウィーク企画第二弾 北国街道ツーリング 前編 【余呉湖】 [日記]

今回のツーリングはゴールデンウィークツーリング第二弾として、福井県の越前方面へツーリングしたときの記事です。

この日は5月3日です。(あはは、やっとUPしました。)^^


ゴールデンウィークツーリング第一弾は南の方だったので、今回は北の方へ行くことにしました。(笑)


ルート的には・・・

「三重県の自宅→国道306号線→国道365号線をひたすら北上→北国街道→越前」

こんな感じですかね。




それでは福井県の越前を目指して、出発です。

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途中、「道の駅 伊吹の里」で休憩です。

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朝早かったのでまだ開いていません!




なので伊吹山を見ながら、缶コーヒーでコーヒーブレイク!

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伊吹山ってこのごつごつ感といいますか、他の山にない力強さを感じるんですね。怒らすとコワそうです。(笑)





そう、この辺に来たのなら、やっぱりココにちょこっとだけ寄り道です。

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「史跡 小谷城跡」




こんな立派な看板が出来ていました。

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大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 2011年放映決定!! Azai Sisters

いや~、浅井三姉妹生誕の地である小谷城跡は大河ドラマの放映開始に向けて着々と準備が整っているようですね。

だって、何十年に一度あるかないかのビッグなビジネスチャンスですから。^^




こんなのぼりも・・・

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ここで注目して欲しいのはこのキャラクター・・・

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浅井三姉妹のゆるキャラ「茶々姫」「初姫」「江姫」

この浅井三姉妹のキャラクターは小谷城跡の地元、旧湖北町が二年前からPRしていた「ゆるキャラ」です。





で、こっちは先日竹生島に行ったときに長浜市で見かけた浅井三姉妹のポスター。

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こちらの少女マンガチックな浅井三姉妹のキャラクターの方も長浜市が二年前から展開してきたキャラクターなんです。

そう、旧湖北町のゆるキャラ三姉妹と長浜市の少女マンガ三姉妹は二年も前から熱い戦いを繰り広げていたわけなんですね。(笑)

ところがなんと、今年の1月に旧湖北町は長浜市と合併してしまいました。後ろ盾がなくなった旧湖北町のゆるキャラ三姉妹は最大のピンチをむかえることになりましたが、現在は地元のボランティアグループがゆるキャラ三姉妹を支えています。


さらにここへきて、滋賀県が浅井三姉妹のキャラクターを募集すると発表したからさあ大変!

旧湖北町のゆるキャラ三姉妹 VS 長浜市の少女マンガ三姉妹 VS 滋賀県バックアップの強力三姉妹

まさにキャラクターたちの戦国時代! これから浅井三姉妹のキャラクターの覇権をめぐって、三つ巴の激しい戦いが繰り広げられます。生き残るのはどの三姉妹なのでしょうか。




今回はちょこっとだけ小谷城の番所跡まで行ってみます。

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小谷城の番所跡までは車で行くことは出来ますが、道幅も狭く途中ガードレールの無いところもあり、番所跡も車を止めるところがあまりありません。大河ドラマが始まったら大変なことになるのではないでしょうか。




番所跡のところから、この前行った竹生島が見えました。^^

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こうして見ると、琵琶湖の大きさにくらべ、竹生島はとても小さく見えますね。(笑)




で、番所跡から本丸への道の入り口にはコレ・・・。

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「クマ出没注意!」(笑)

いきなりコレですもん。毛むくじゃらなカモシカくんを見たら熊だって思う人もいるでしょうね。(笑)




で、小谷城の番所跡です。

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この番所跡は・・・

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小谷城への入り口ですね。

以前、小谷城跡を訪れた時は小雨まじりの天気でドロドロになった想い出がありますが、今日はここまで。





浅井長政、お市の方、浅井三姉妹の悲劇の地である小谷城跡に別れを告げて、北国街道に入ります。

この滋賀県の木之本から栃の木峠を経て越前に至るルート(現在の国道365号線)を整備したのが、あの柴田勝家です。




というわけで、琵琶湖の北に位置する余呉湖へ寄り道です。

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本当に美しい湖です。湖の向こうに賎ケ岳が見えます。




この美しい湖の周辺がその昔、血で血を洗う大変な戦場となりました。世に言う「賎ケ岳の戦い」です。

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織田信長の死後、豊臣秀吉と対立した柴田勝家は天正十年(1582年)に賎ケ岳付近で秀吉軍と激突しますが、ここ余呉湖湖畔でも激しい戦闘が繰り広げられました。

以前行った賎ケ岳山頂の古戦場跡の説明看板にこのように書かれていました。


「世に言う賎ケ岳合戦は、ここ賎ケ岳頂上より北側の中腹及び湖畔に於て雄叫び・・・死斗、余呉の湖が真っ赤に染まったと云う」




この美しく静かな湖は、今は釣人が釣を楽しんでいる場所となっています。

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冬はワカサギ釣りで賑わいます。




また、ここ余呉湖には天女羽衣伝説があります。

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「天女羽衣伝説」

その昔、余呉湖の近くに住む桐畑太夫という男が、舟を浮かべて漁をしているとき、「鏡」のように美しい余呉湖に見せられた天女が、水浴びをしているのを見つけた。ふと見るとそばの柳の木の枝に羽のような衣が掛けてあった。男はそっと手を伸ばしてその衣をふところに隠してしまった。
 羽衣をなくし、天にかえれなくなった天女に、「私の家にある着物をあげよう」と家に連れ帰った。そして二人は夫婦になり、元気な男の子が生まれ幸せに暮らしていた。ところがある日、天女は家のワラの下になくしたはずの羽衣を見つけ、男と子供を残して天に帰ってしまった。
 その時の子供が、近くの管山寺で勉学を納め、後に京へ上がり右大臣になり、天満宮の祭神・学問の神様として知られる菅原道真(すがわらのみちざね)だと言われており、羽衣を掛けた柳の木が余呉湖の北岸にたたずむ柳だと伝えられている。




鏡のような美しさに魅せられて天女も舞い降りてくる余呉湖。その美しさを映している鏡の裏には激しい戦いが行なわれたもうひとつの余呉湖があったんですね。




さあ、余呉湖に別れを告げて、北国街道を北に向かいます。

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そう、このルートは「賎ケ岳の戦い」で敗れた柴田勝家の敗走ルートです。

「賎ケ岳の戦い」は最初のうちは佐久間盛政の猛攻もあり勝家軍が優勢だったのですが、前田利家の突如の戦線離脱もあり、勝家の軍勢は総崩れとなってしまいます。後にいう「賤ヶ岳の七本槍」というのは、このときの追撃戦による功名のようです。




ここで注目して欲しいのは・・・

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道路脇にある赤い矢印が下がったポールです。

これは何かといいますと、冬の間雪が積もったときの路肩を表す目印なんです。

そう、ここは豪雪地帯なので、雪が積もればどこが道なのかわからなくなります。

2mぐらいのポールはよく見ますが、ここまで高いポールは初めてです。(笑)

朝倉氏や柴田勝家が冬の間、越前に閉じ込められていた理由がよくわかります。こりゃ無理だわ。TT





くねくね道を上りきったところにある栃の木峠に到着しました。

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柴田勝家は秀吉との決戦「賎ケ岳の戦い」に望むときもこの栃の木峠を通って賎ケ岳へ赴き、負けて敗走するときもこの栃の木峠を通って北の庄城まで落ち延びたんですね。背後には秀吉軍が迫っており、どんな気持ちでこの峠を越えたんでしょうか。

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ここは、滋賀県と福井県の県境です。





さあ、今日はここまで。

次回は、北国街道ツーリングの続きです。いつになるかわかりませんがお気楽にUPします。(^^)/

では、また。



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コメント 4

ソニックマイヅル

いや~バイクに乗れたらいいのになと思ってしまいます。
クマ出没注意、確かにドキッとしますね。
とニヤッとしてしまいました。^^;(最近経験あり)

by ソニックマイヅル (2010-05-16 18:45) 

suzy

 以前雨の為断念した小谷城跡だ~~。三姉妹PR、私が行った時よりお盛んになってますね~~(^v^)。流石、ぬかりないです!今度私が行くときもこんなお天気だといいなぁ。

 湖北の余呉湖、以前ドライブして賤ヶ岳の麓にも行ったことありますが、雪の時期でもなかったのに、山には残雪がありました。さぞかし冬は寒かろーと思った記憶があります。風もなく波紋がない水面は本当に鏡のようで、その静けさが写真から伝わってくるようですね。そして天女の伝説、ロマンチックなお伽話のようでもあり、「何故こんな琵琶湖の北の小さな湖に菅原道真の伝説があるのか?」とミステリー小説のようでもあり・・なんだか気になるお話でした。

北国街道もそうですし、昨日私が訪れた近江八幡もそうなのですが昔の武将が築いた道や町割りが今の生活にも活かされているって凄いことですよね~~。しかも今みたいに機械とかない時代に。そしてそして柴田勝家は私のイメージの中では結構渋い親父様って感じで(大河「利家とまつ」の松平健そのもの)、結構好きです。利家が勝家を支える立場にありながら戦線離脱をした時も、罵ることもなく、そればかりか今までの働きを労ったという懐の深さ。ま~人を使う上で脇が甘いと言われればそれまでですが、人たらしの秀吉みたいに、こちょこちょ細かい細工をしないとことが武骨な親父様らしいですよね。お市を逃して自分は潔く自害しようとするもお市はそれを拒み、勝家とともに自害。お市も宿敵猿のもとに下るぐらいならここで死んだ方がマシと思う部分も多くあったと思うのですが、やはり勝家を慕っていたという思いもあったのでは、と思うのです。あ~~やっぱ勝家 男気あって結構好きだわ~。でも歴史上勝ち上がっていくには、いろんな面においてバランス取れてないといけないのですね~~。もうちょっとずる賢さとか、人たらし度が高かったらいいとこ行けたかも。でも勝家は勝家だから魅力あるんですよね!いろんな武将の足跡を辿ってみると、その人がどんなキャラだったのか?とか想像できて楽しいですよね^^。今回も色々妄想して楽しめました^^
by suzy (2010-05-16 23:00) 

susumu

◇ソニックマイヅルさんへ
バイクも快適に乗れるのは春と秋だけです。
でも、暑くても寒くてもなぜだか乗っているんですよね。(笑)
ウチの近くでは、サルはよく出没してますが、
クマには遭いたくないです。^^
by susumu (2010-05-17 22:41) 

susumu

◇suzyさんへ
ブログではふれていませんでしたが、小谷城跡の麓の駐車場では、テントのお土産やさんもありました。以前訪れたときは、案内看板も薄汚れていて、寂しい限りでしたが、今はずいぶんと整備されてきてますね。やっぱり大河ドラマの影響ってすごいなぁ。(^^)
余呉湖の羽衣伝説は、静岡県の三保の松原と、京都府京丹後の峰山町と合わせて、日本三大羽衣伝説といわれていますが、このような羽衣伝説は、日本各地のみならず、世界各国にもあるそうです。ちなみに西欧ではこれを『白鳥伝説』と呼んでいるそうです。不思議ですよね~。まあ、菅原道真は余呉湖の羽衣伝説独自のもののようですが、何故に菅原道真なのかよくわかりません!(笑)
柴田勝家に関してはsuzyさんの「でも勝家は勝家だから魅力あるんですよね!」っていう言葉通りだと思います。^^ 勝者によって歴史は作られるというけれど、敗者の人柄や生き様は時として勝者のそれよりも魅かれることがあります。実際、その地を訪れてみると、敗者の武将って地元の人からとても慕われていたりするんですよね。勝家もそうだと思います。浅井三姉妹もそんな親父様を慕っていたのではないでしょうか。
話はとんじゃいますが、ブログ中で滋賀県が浅井三姉妹のキャラクターを募集していることに触れていますが、これは福井県と合同での募集です。小谷城と北の庄城、浅井三姉妹ゆかりの地ということで、滋賀県と福井県がタッグを組みました。両県のバックアップがあるこちらの三姉妹はかなり強力です。まだキャラクター自体発表されていませんが、どんなキャラクターになるのかとても楽しみです。(^^)/
by susumu (2010-05-17 22:41) 

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