琵琶湖も光り輝く竹生島クルーズ 【琵琶湖 竹生島 宝厳寺】 [船がいっぱいシリーズ]
今週も琵琶湖に来ています。(笑)
ここは、滋賀県長浜市の長浜港です。
長浜港にけっこう大きな船が係留されていました。
この船、「うみのこ」っていう船名が付いているみたいですね。^^
帰ってから調べてみると、この船は日本初の学習船で滋賀県内の小学5年生を対象にフローティングスクールを実施しているそうで、ここでいう「うみ」は海ではなくて湖をあてて「湖の子」っていうらしいデス。
記念にKSR君とパチリ。「うみのこ」の大きさがわかるかな。(笑)
今日、長浜港に来ている理由は・・・
琵琶湖に浮かぶ歴史と自然の島「竹生島」(ちくぶしま)に行くためなんですね。^^
竹生島へは、長浜港、今津港、彦根港から船が出ていますが、今日は長浜港から竹生島に向かいます。
「べんてん」 旅客定員:180名 総トン数:79トン
それでは、長浜港を出航です。竹生島まで30分ぐらいのクルーズです。
係員の方が手を振ってくれています。 「いってきま~す。」
「うみのこ」号ともしばしのお別れです。それにしても綺麗な船です。
どんどん長浜港から離れていきます。
船内は広々として快適です。
比叡方面ですが、遙か彼方にしか見えません。絶好のクルーズ日和です。
こうしてみるとまるで海のようですが、水面はとても穏やかで揺れもなく、船はすべるように進んでいきます。
ほんと、気持ちがいいんです。
波しぶきに日の光が当たって、きらきら輝いています。言葉では言い表せないぐらいに綺麗です。
YouTubeに竹生島クルーズの動画がありましたのでご紹介いたします。(音声が出マス)
渡り鳥たちがV字編隊を組んで北へむかっています。
春になったので故郷に帰るのでしょうか。
遠くに伊吹山が見えます。
伊吹山は標高1377mで滋賀県最高峰の山です。
あちらの奥の山は金糞岳でしょうか。
金糞岳は標高1317mで滋賀県で標高第2位の山です。
金糞岳は一般的には「かなくそだけ」というものすごいネーミング(笑)で呼ばれているようですが、正式名称は「きんぷんだけ」のようです。まあ、どっちもどっちですけどね。^^
今、向かっている竹生島と金糞岳それから伊吹山にまつわる言伝えがあります。
『近江風土記』に書かれてあるそうですが、夷服岳(伊吹山:1377m)の神である多多美比古命が姪にあたる浅井岳(金糞岳:1317m)の神 浅井姫命と高さ比べをし、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、琵琶湖に落ちた首が竹生島になったといいます。
神様なんだからそんなことで怒んなくてもいいんじゃないかなって気がしますが・・・。(笑)
さあ、そうこうしてるうちに竹生島が見えてきました。
さあ、竹生島に到着です。
お客さんを降ろしたらあっという間に長浜港に戻っていきます。次の出港時間まで待っててはくれないのね。
そうあっさりと行かれるとなんだか置き去りにされたようでちょっと淋しい気がします。(笑)
今日は日曜日で雲ひとつない青空が広がり絶好のクルーズ日和です。たくさんのお客様が長浜港で待っているのでしょう。稼ぎ時ですね。気合も入りますよね。
さあ、竹生島に上陸です。
お~っ。いいですね。でもなんだか、急階段を登っていくようです。(笑)
竹生島のようすはこんな感じになっています。
では、登っていきましょう。
ふっふっふ。いきなり、分かれ道ですか。
やっぱり国宝を見てみたいので、竹生島神社から行くことにします。
趣のある参道をずんずん進んでいくと・・・
ありました。竹生島神社本殿。
今から450年前、豊臣秀吉が寄進した伏見桃山城の束力使殿を移築したもので、国宝となっています。
竹生島神社には弁財天や浅井姫命などが祀られています。ここ竹生島は浅井岳(金糞岳)の頭の部分だったから浅井姫命が祀られているのかななんて思ったりして。(笑)
本殿内部は桃山時代を代表する、優雅できらびやかな装飾が施されているそうです。
さあ、船廊下を渡って唐門へ行ってみます。
「船廊下」重要文化財です。
この船廊下は秀吉のご座船だった「日本丸」の船櫓(ふなやぐら)を利用して作られたものだそうです。
ちなみに、下からみるとこんな感じになっています。
船廊下を渡るとそこには宝厳寺の唐門と観音堂があります。
「宝厳寺の唐門」国宝です。
屋根の苔むしぐあいが歴史を感じさせます。スゴイなぁ。
この観音堂は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼が父秀吉の遺命により、片桐且元を普請奉行として、京都東山の豊国廟から移築寄進したものだそうです。
400年以上も経っていますので色あせていますが、内部は極彩色に彩られていたようで、豪華絢爛といわれた桃山文化を感じさせてくれます。
さらに、急階段を昇っていきます。(汗)
振り返るとそこには・・・
「でっけぇ~」
雄大な琵琶湖が広がっています。来てよかったぁ。
さらに奥へ進むと・・・
宝厳寺本堂(弁財天堂)に到着です。
竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、僧 行基を勅使としてつかわして、堂塔を開基させたのが始まりです。行基は、弁才天像を彫刻して、ご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、千手観音像を安置しました。
もともとは、先ほど見た竹生島神社本殿が宝厳寺の本堂だったんですね。ところが明治元年(1868年)に発布された『神仏分離令』により、宝厳寺より竹生島神社が分かれた形になったそうです。
本堂が竹生島神社本殿になってしまって、仮安置されていた御本尊の弁才天でしたが、昭和17年、やっと宝厳寺本堂が再建されて現在に至っているみたいです。
宝厳寺本堂の中で可愛らしいもの発見!
「弁天様の幸せ願いダルマ」
やっぱり弁天様のお寺ですね。ダルマも可愛らしいです。^^
宝厳寺本堂の外で怖おもしろいもの発見!
ぱっと見、メッチャ怖い不動明王さまですが・・・
表情がおもしろいデス。^^
三重塔の方に行ってみます。
三重塔は、江戸時代初期に焼失したと言われ、平成12年に約350年ぶりに復元されたそうです。
そんな三重塔のお隣には宝物殿がありました。
小さな宝物殿ですがたくさんの重要文化財が収蔵されています。
宝物殿の中のようすはコチラ
三重塔と宝物殿のところに観音堂の普請奉行だった片桐且元が植えたといわれるモチの木がありました。
樹齢約400年のモチの木ですか。すごいなぁ。
片桐且元は、「賤ヶ岳七本槍」の一人で秀頼の補佐役だった人ですが、それゆえに太閤秀吉が亡くなり、時代が豊臣から徳川に移ってゆくことを一番感じていた人ではないでしょうか。
大阪方内の確執もあり、大阪冬の陣には参加せず徳川についた且元でしたが、豊臣が滅んだ大坂夏の陣後から二十日ほどして、突如の死を遂げています。病死だったとも自害だったともいわれていますが、「ひとつの時代を生きた人」の「ひとつの時代の終わり」とともにむかえた死だったのでしょうか。
徳川の世になり、豊臣ゆかりのものの多くは失われましたが、この竹生島には太閤秀吉を偲ぶ秀頼の想いと共に豊臣の遺稿がしっかりと残っています。
さあこれで、竹生島宝厳寺探訪は終了です。
ゆっくりと階段を下りていきます。
桟橋で船を待ちます。
遠くに船が見えてきました。
さあ、乗船です。
神秘とロマンがいっぱいの竹生島を後にします。
今回初めて竹生島を訪れましたが、ほんとに素晴らしいところでした。古くから人々を魅了してきた島のことだけはあります。船旅も最高だったし、来てよかった~。
では、また。
【おまけ】
この日は夕方から焼肉屋さんで飲み会でした。
美しい琵琶湖と竹生島の想い出とともにへべれけな夜は過ぎていきました。
では、またね~。(笑)
ここは、滋賀県長浜市の長浜港です。
長浜港にけっこう大きな船が係留されていました。
この船、「うみのこ」っていう船名が付いているみたいですね。^^
帰ってから調べてみると、この船は日本初の学習船で滋賀県内の小学5年生を対象にフローティングスクールを実施しているそうで、ここでいう「うみ」は海ではなくて湖をあてて「湖の子」っていうらしいデス。
記念にKSR君とパチリ。「うみのこ」の大きさがわかるかな。(笑)
今日、長浜港に来ている理由は・・・
琵琶湖に浮かぶ歴史と自然の島「竹生島」(ちくぶしま)に行くためなんですね。^^
竹生島へは、長浜港、今津港、彦根港から船が出ていますが、今日は長浜港から竹生島に向かいます。
「べんてん」 旅客定員:180名 総トン数:79トン
それでは、長浜港を出航です。竹生島まで30分ぐらいのクルーズです。
係員の方が手を振ってくれています。 「いってきま~す。」
「うみのこ」号ともしばしのお別れです。それにしても綺麗な船です。
どんどん長浜港から離れていきます。
船内は広々として快適です。
比叡方面ですが、遙か彼方にしか見えません。絶好のクルーズ日和です。
こうしてみるとまるで海のようですが、水面はとても穏やかで揺れもなく、船はすべるように進んでいきます。
ほんと、気持ちがいいんです。
波しぶきに日の光が当たって、きらきら輝いています。言葉では言い表せないぐらいに綺麗です。
YouTubeに竹生島クルーズの動画がありましたのでご紹介いたします。(音声が出マス)
渡り鳥たちがV字編隊を組んで北へむかっています。
春になったので故郷に帰るのでしょうか。
遠くに伊吹山が見えます。
伊吹山は標高1377mで滋賀県最高峰の山です。
あちらの奥の山は金糞岳でしょうか。
金糞岳は標高1317mで滋賀県で標高第2位の山です。
金糞岳は一般的には「かなくそだけ」というものすごいネーミング(笑)で呼ばれているようですが、正式名称は「きんぷんだけ」のようです。まあ、どっちもどっちですけどね。^^
今、向かっている竹生島と金糞岳それから伊吹山にまつわる言伝えがあります。
『近江風土記』に書かれてあるそうですが、夷服岳(伊吹山:1377m)の神である多多美比古命が姪にあたる浅井岳(金糞岳:1317m)の神 浅井姫命と高さ比べをし、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、琵琶湖に落ちた首が竹生島になったといいます。
神様なんだからそんなことで怒んなくてもいいんじゃないかなって気がしますが・・・。(笑)
さあ、そうこうしてるうちに竹生島が見えてきました。
さあ、竹生島に到着です。
お客さんを降ろしたらあっという間に長浜港に戻っていきます。次の出港時間まで待っててはくれないのね。
そうあっさりと行かれるとなんだか置き去りにされたようでちょっと淋しい気がします。(笑)
今日は日曜日で雲ひとつない青空が広がり絶好のクルーズ日和です。たくさんのお客様が長浜港で待っているのでしょう。稼ぎ時ですね。気合も入りますよね。
さあ、竹生島に上陸です。
お~っ。いいですね。でもなんだか、急階段を登っていくようです。(笑)
竹生島のようすはこんな感じになっています。
では、登っていきましょう。
ふっふっふ。いきなり、分かれ道ですか。
やっぱり国宝を見てみたいので、竹生島神社から行くことにします。
趣のある参道をずんずん進んでいくと・・・
ありました。竹生島神社本殿。
今から450年前、豊臣秀吉が寄進した伏見桃山城の束力使殿を移築したもので、国宝となっています。
竹生島神社には弁財天や浅井姫命などが祀られています。ここ竹生島は浅井岳(金糞岳)の頭の部分だったから浅井姫命が祀られているのかななんて思ったりして。(笑)
本殿内部は桃山時代を代表する、優雅できらびやかな装飾が施されているそうです。
さあ、船廊下を渡って唐門へ行ってみます。
「船廊下」重要文化財です。
この船廊下は秀吉のご座船だった「日本丸」の船櫓(ふなやぐら)を利用して作られたものだそうです。
ちなみに、下からみるとこんな感じになっています。
船廊下を渡るとそこには宝厳寺の唐門と観音堂があります。
「宝厳寺の唐門」国宝です。
屋根の苔むしぐあいが歴史を感じさせます。スゴイなぁ。
この観音堂は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼が父秀吉の遺命により、片桐且元を普請奉行として、京都東山の豊国廟から移築寄進したものだそうです。
400年以上も経っていますので色あせていますが、内部は極彩色に彩られていたようで、豪華絢爛といわれた桃山文化を感じさせてくれます。
さらに、急階段を昇っていきます。(汗)
振り返るとそこには・・・
「でっけぇ~」
雄大な琵琶湖が広がっています。来てよかったぁ。
さらに奥へ進むと・・・
宝厳寺本堂(弁財天堂)に到着です。
竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、僧 行基を勅使としてつかわして、堂塔を開基させたのが始まりです。行基は、弁才天像を彫刻して、ご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、千手観音像を安置しました。
もともとは、先ほど見た竹生島神社本殿が宝厳寺の本堂だったんですね。ところが明治元年(1868年)に発布された『神仏分離令』により、宝厳寺より竹生島神社が分かれた形になったそうです。
本堂が竹生島神社本殿になってしまって、仮安置されていた御本尊の弁才天でしたが、昭和17年、やっと宝厳寺本堂が再建されて現在に至っているみたいです。
宝厳寺本堂の中で可愛らしいもの発見!
「弁天様の幸せ願いダルマ」
やっぱり弁天様のお寺ですね。ダルマも可愛らしいです。^^
宝厳寺本堂の外で怖おもしろいもの発見!
ぱっと見、メッチャ怖い不動明王さまですが・・・
表情がおもしろいデス。^^
三重塔の方に行ってみます。
三重塔は、江戸時代初期に焼失したと言われ、平成12年に約350年ぶりに復元されたそうです。
そんな三重塔のお隣には宝物殿がありました。
小さな宝物殿ですがたくさんの重要文化財が収蔵されています。
宝物殿の中のようすはコチラ
三重塔と宝物殿のところに観音堂の普請奉行だった片桐且元が植えたといわれるモチの木がありました。
樹齢約400年のモチの木ですか。すごいなぁ。
片桐且元は、「賤ヶ岳七本槍」の一人で秀頼の補佐役だった人ですが、それゆえに太閤秀吉が亡くなり、時代が豊臣から徳川に移ってゆくことを一番感じていた人ではないでしょうか。
大阪方内の確執もあり、大阪冬の陣には参加せず徳川についた且元でしたが、豊臣が滅んだ大坂夏の陣後から二十日ほどして、突如の死を遂げています。病死だったとも自害だったともいわれていますが、「ひとつの時代を生きた人」の「ひとつの時代の終わり」とともにむかえた死だったのでしょうか。
徳川の世になり、豊臣ゆかりのものの多くは失われましたが、この竹生島には太閤秀吉を偲ぶ秀頼の想いと共に豊臣の遺稿がしっかりと残っています。
さあこれで、竹生島宝厳寺探訪は終了です。
ゆっくりと階段を下りていきます。
桟橋で船を待ちます。
遠くに船が見えてきました。
さあ、乗船です。
神秘とロマンがいっぱいの竹生島を後にします。
今回初めて竹生島を訪れましたが、ほんとに素晴らしいところでした。古くから人々を魅了してきた島のことだけはあります。船旅も最高だったし、来てよかった~。
では、また。
【おまけ】
この日は夕方から焼肉屋さんで飲み会でした。
美しい琵琶湖と竹生島の想い出とともにへべれけな夜は過ぎていきました。
では、またね~。(笑)
2010-04-29 10:55
nice!(2)
コメント(6)
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どちらから読んでもありな船の名前ですね。
観光気分を満喫させて頂きました。^^;
by ソニックマイヅル (2010-04-29 13:54)
船に乗ると旅した気分が味わえて楽しいですよね^^。しかも航海日和の晴天~~。琵琶湖の北に浮かぶ小さな島 竹生島、こんな所にまでも 聖武天皇や豊臣家 縁の古刹があったのですね~。行ったことないですが、小さい島だけに雰囲気も独特なのでしょうか。まさに神の島さながらに、島全体が境内になっているかのような感じですね。それにしても伊吹山と金糞岳の言い伝えも面白いですね。自分より高い山の首を切ってしまうとは(^^ゞ。でも神話とかでもたまにt乱暴者の神様が出てきたりしますよね。実際にあった出来事を神話になぞらえるように、モデルとなった人物・出来事等あったのでしょうか。興味深いです^^。私も賤ヶ岳までは車で行ったことありますが、賤ヶ岳と近いこんな小さな島に七本槍の一人である片桐且元の足跡がうかがえるのですね!その人生を振り返る時、まさに豊臣時代とともに生きて、死んでいった武将の一人だと思わされます。時代の流れの中で豊臣・徳川の板挟みになりながらも、(最終的に徳川方につきますが)、最後まで秀頼の身を案じ続けた片桐且元。この豊臣→徳川時代の移り変わりの時期、利害関係や生き残りの為に徳川につきながらも、まだまだ豊臣恩顧の武将たちには 豊臣家に対する忠義心厚い武士たちもたくさんいたでしょうからねぇ。ホントに辛い選択をしなければならない時代です(T_T)。ま~そんなこんな昔の時代に思いを馳せながる~~..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆。
竹生島神も素晴らしいですね、私の頭の中には極彩色が広がりましたよ~~。そして船廊下!船櫓を使っているなんてユニークですね。いつも思うのですがこの時代ってとてもエコですよね。××にあった門を移築したり、血天井とかは床のリサイクルだったり。木など資材が貴重だったのもあるし、丁寧にしっかり造っているから丈夫だったというのもあるのでしょうが。よいものを、古くなったらまたメンテナンスして長~~く使う。まさに日本の「勿体ない」精神はこんな昔から培われていたんですね。素晴らしいことです!!
それにしてもきつい階段、潮風もたっぷり浴びて、結構体力消耗した1日だったのではないでしょうか。さぞかし焼肉のお味も、美味しかったんではないでしょうか~~~。ってか マジ美味しそうなんですけど~~Oo。。( ̄¬ ̄*)*:..。
by suzy (2010-04-29 16:44)
◇ソニックマイヅルさんへ
この「うみのこ」を見たときその大きさに感動したのですが、「こんな大きな船どうやって持ってきたんだろう」って不思議に思いました。(笑) 陸路で運んでくるにはちょっと大き過ぎるような気がして・・・。
気になっていたので調べてみたところ、神奈川県の日立造船で建造され、琵琶湖の南、大津市の堅田にある杢兵衛造船所で組み立てられたそうです。琵琶湖には大型船が何隻かありますが、そのすべてが杢兵衛造船所で建造もしくは組み立てられたそうです。そりゃそうですよね、こんな大きなもの陸路では無理~。疑問が晴れてやっとゆっくり寝ることが出来ました~。^^
by susumu (2010-04-29 22:37)
◇suzyさんへ
前回の彦根→奈良ツーリングのときに瀬田川のクルーズ船を見たときに船旅もいいな~って思っていたところへもってきて、龍馬伝で福山龍馬が咸臨丸に乗って「黒船じゃ~」って大喜びする姿を見て、「オレも船乗りて~」って思ったのが今回の竹生島クルーズを思い立った理由デス。←単純ですから(笑)
本当に真っ青な青空で朝はちょっと寒いぐらいでしたが、絶好のクルーズ日和でした。奥琵琶湖方面ってけっこう天候に恵まれないことが多いのですが(基本雨男ですから・・・^^)、この日は本当にラッキーでした。宝厳寺の宝物殿のオバチャンも言ってましたが「今日は今シーズン一番の天気ですよ。でも鵜がね・・・」 天気はとてもいいんだってことはわかりましたが、鵜がどうしたんだろうって??? ブログでは書いてはいませんでしたが、この竹生島の上空はけっこう鳥が飛び回っているんですね。竹生島にいるときは「やっぱり自然豊な島なんだな~」っていうぐらいにしか考えていなかったんですけど、帰って調べてみると、上空を飛び回っている鳥はカワウで糞害が物凄いそうです。島の南側は船の発着所があり、人もいるためにまだましだそうですが、島の北側はカワウの糞害のために木々のほとんどを枯れ死させてしまうという景観被害を及ぼしているそうです。
金糞岳(かなくそだけ)っていうネーミングは、古代の踏鞴(たたら)による製鉄の金糞(鉄分を多く含んだくず)に由来している説が一般的ですけど、異説として「鳥の糞が日に照らされて山が金色に輝いて見えるからだ」っていう説があるそうです。竹生島は浅井岳(金糞岳)の頭だったという言い伝えからして、竹生島のカワウの糞害も「なるほどな~」って納得出来そうな気がします。(笑) コメ返しで「糞」の連発でゴメンナサイ。^^
琵琶湖へ行くと戦国の世を生きた武将たちのゆかりのものに出会えます。それが城跡だったり、寺社だったり、風景だったり・・・。そんなゆかりのものを見ているうちに、武将たちの想いやため息が伝わってくるような気がします。琵琶湖が美しければ美しいほど、そう思えるんですね。
最近、ツーリングでよく階段登っています。(笑) おかげさまで、焼肉のおいしかったこと。(実際ここの焼肉屋さんおいしいんです。タレが絶品デス。)おまけに少しのお酒でへべれけになれます。^^
by susumu (2010-04-29 22:38)
KSR110いいなぁ~。
by hanamura (2010-09-22 22:40)
◇hanamuraさんへ
自分の住んでいるところから滋賀県は山の向こう側にあるので、よく琵琶湖に行きます。琵琶湖大好きなんですよね。^^
山の峠道を越えて行くんですけど、峠のクネクネ道をKSRで景色を楽しみながら越えるのはいいもんですよ~。^^
by susumu (2010-09-23 20:54)