映画「火天の城」公開記念!安土城攻略ツーリング [歴史ロマンシリーズ]
9/12(土)より全国ロードショーされています、壮大な安土城築城物語の映画
「火天の城」 出演:西田敏行、福田沙紀、椎名桔平、大竹しのぶ
今回は歴史ロマンシリーズのツーリング企画として安土城跡を訪れようと思います。題して・・・
【映画「火天の城」公開記念!安土城攻略ツーリング】
それでは、琵琶湖の東方に位置する安土城跡へGo!
三重県いなべ市藤原町から国道306号線の鞍掛峠を越え、滋賀県の琵琶湖方面へ向かいます。
鞍掛峠のくねくね道(滋賀県側)
それではみなさんも鞍掛峠のくねくね道をご堪能下さい(笑)
ハイ、お次
もう一丁!
どうですか、楽しんでいただけましたか。
週末などは登山者やサイクラーが通行してたり、ペースの速いバイクもいるので要注意ですが、
まったりとくねくね道を楽しむにはとてもいいところです。
そうこうしているうちに琵琶湖へ出ました。
琵琶湖の湖周道路を南下し、能登川を安土方面へ。
途中、大きな水車が見えてきました。
能登川水車
ここは、カヌーランドとして公園整備されています。
水車資料館もあり、とっても雰囲気のいい公園です。
さあ、安土町に到着しました。
織田信長公の像の前で記念撮影です。
それでは安土城跡へ行ってみましょう。
安土城 大手道
【安土城跡】
織田信長公が天下統一を目標に天正4年(1576)1月17日、重臣である丹羽長秀を総普請奉行に据え、標高199mの安土山に築城させた平山城。
岐阜城よりも京に近い利便性があり、北陸・東海の要所であった。
現在は四方とも干拓により陸地となっているが、当時は琵琶湖の内湖(伊庭内湖・常楽湖)に囲まれ、南方のみが開けた地形であった。
そのわずか3年後天正7年5月、わが国で初めて天守閣(天主閣)をもつ安土城が一応の完成をみせた。
ところが、天主完成から3年目の天正10年(1582)6月2日未明、中国毛利へ出陣途中の明智光秀の謀反により信長公は京都・本能寺で自刃(49歳)。
混乱の中6月15日、天主などを焼失、一夜のうちに落城した。原因は織田信雄が誤って焼き払ったという説や敗走する明智光秀軍による放火という説などが有名。
この大手道の下段の右手には前田利家邸跡があります。
この前田邸の大手道を挟んだ向かい側には、羽柴秀吉邸跡があります。
少し上ったところで下を見てみます。
この大手道は急な石段が続いており、頂上天主閣まで405段あるそうです。(ヒィー)
この石段の所々には、なんと・・・
石仏が石段として使われています。
この城はまぎれもなく、神をも恐れない「信長」の城ですね。
400年以上経った今でも、その苛烈さが伝わってきます。
まだまだ石段は続きます。
黒金門跡
すこし開けたところに出ました。
ここは、本丸御殿跡です。
さあ、ここ本丸跡から少し上れば、そこは目指す天主跡です。
【天主跡】
背丈ほどの高さの石垣に囲まれ東西、南北それぞれ約28mの台地。今は礎石が1,2mおきに並ぶだけであるが、この部分は天主の穴蔵(地階の部分)にあたり、その上にさらに大きな天主がそびえていた。5層7階(地上6階地下1階)の天主はイエズス会の宣教師ルイス・フロイスによればヨーロッパにもあるとは思えないほどの壮大さであったといい、高さ33mの木造高層建築は当時、わが国で初めてのものであった。内部は信長公の御用絵師、狩野永徳の豪壮な障壁画や装飾を配していた。
安土城天主 20分の1スケール (安土町城郭資料館より)
天主二重目部分 (信長の館より)
天主跡より琵琶湖を眺めて見ましょう。
現在は干拓が進み、琵琶湖は遠くにしか見えませんが、当時は琵琶湖の内湖のほとりに安土城があったようです。さぞかし絶景だったことでしょう。
もしも、織田信長が明智光秀に討たれなければ、歴史は大きく変わり、ここ安土が日本の中心になっていたかも知れませんね。
安土城跡周辺には、いろいろな歴史資料館があります。
安土城考古博物館
安土城天主「信長の館」
安土町城郭資料館
安土城に関するいろんな資料や展示物を見ることができます。安土城跡を訪れた際はぜひ立ち寄って下さい。きっと歴史ロマンの世界にひき込まれることでしょう。(笑)
「火天の城」 出演:西田敏行、福田沙紀、椎名桔平、大竹しのぶ
今回は歴史ロマンシリーズのツーリング企画として安土城跡を訪れようと思います。題して・・・
【映画「火天の城」公開記念!安土城攻略ツーリング】
それでは、琵琶湖の東方に位置する安土城跡へGo!
三重県いなべ市藤原町から国道306号線の鞍掛峠を越え、滋賀県の琵琶湖方面へ向かいます。
鞍掛峠のくねくね道(滋賀県側)
それではみなさんも鞍掛峠のくねくね道をご堪能下さい(笑)
ハイ、お次
もう一丁!
どうですか、楽しんでいただけましたか。
週末などは登山者やサイクラーが通行してたり、ペースの速いバイクもいるので要注意ですが、
まったりとくねくね道を楽しむにはとてもいいところです。
そうこうしているうちに琵琶湖へ出ました。
琵琶湖の湖周道路を南下し、能登川を安土方面へ。
途中、大きな水車が見えてきました。
能登川水車
ここは、カヌーランドとして公園整備されています。
水車資料館もあり、とっても雰囲気のいい公園です。
さあ、安土町に到着しました。
織田信長公の像の前で記念撮影です。
それでは安土城跡へ行ってみましょう。
安土城 大手道
【安土城跡】
織田信長公が天下統一を目標に天正4年(1576)1月17日、重臣である丹羽長秀を総普請奉行に据え、標高199mの安土山に築城させた平山城。
岐阜城よりも京に近い利便性があり、北陸・東海の要所であった。
現在は四方とも干拓により陸地となっているが、当時は琵琶湖の内湖(伊庭内湖・常楽湖)に囲まれ、南方のみが開けた地形であった。
そのわずか3年後天正7年5月、わが国で初めて天守閣(天主閣)をもつ安土城が一応の完成をみせた。
ところが、天主完成から3年目の天正10年(1582)6月2日未明、中国毛利へ出陣途中の明智光秀の謀反により信長公は京都・本能寺で自刃(49歳)。
混乱の中6月15日、天主などを焼失、一夜のうちに落城した。原因は織田信雄が誤って焼き払ったという説や敗走する明智光秀軍による放火という説などが有名。
この大手道の下段の右手には前田利家邸跡があります。
この前田邸の大手道を挟んだ向かい側には、羽柴秀吉邸跡があります。
少し上ったところで下を見てみます。
この大手道は急な石段が続いており、頂上天主閣まで405段あるそうです。(ヒィー)
この石段の所々には、なんと・・・
石仏が石段として使われています。
この城はまぎれもなく、神をも恐れない「信長」の城ですね。
400年以上経った今でも、その苛烈さが伝わってきます。
まだまだ石段は続きます。
黒金門跡
すこし開けたところに出ました。
ここは、本丸御殿跡です。
さあ、ここ本丸跡から少し上れば、そこは目指す天主跡です。
【天主跡】
背丈ほどの高さの石垣に囲まれ東西、南北それぞれ約28mの台地。今は礎石が1,2mおきに並ぶだけであるが、この部分は天主の穴蔵(地階の部分)にあたり、その上にさらに大きな天主がそびえていた。5層7階(地上6階地下1階)の天主はイエズス会の宣教師ルイス・フロイスによればヨーロッパにもあるとは思えないほどの壮大さであったといい、高さ33mの木造高層建築は当時、わが国で初めてのものであった。内部は信長公の御用絵師、狩野永徳の豪壮な障壁画や装飾を配していた。
安土城天主 20分の1スケール (安土町城郭資料館より)
天主二重目部分 (信長の館より)
天主跡より琵琶湖を眺めて見ましょう。
現在は干拓が進み、琵琶湖は遠くにしか見えませんが、当時は琵琶湖の内湖のほとりに安土城があったようです。さぞかし絶景だったことでしょう。
もしも、織田信長が明智光秀に討たれなければ、歴史は大きく変わり、ここ安土が日本の中心になっていたかも知れませんね。
安土城跡周辺には、いろいろな歴史資料館があります。
安土城考古博物館
安土城天主「信長の館」
安土町城郭資料館
安土城に関するいろんな資料や展示物を見ることができます。安土城跡を訪れた際はぜひ立ち寄って下さい。きっと歴史ロマンの世界にひき込まれることでしょう。(笑)
2009-09-17 20:58
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0