豊臣秀吉ゆかりの地めぐり1 [歴史ロマンシリーズ]
自分の住んでいるところの周辺には、数々のお城や城跡それに古戦場などが点在しています。
ということで、今回のツーリングは「歴史ロマンシリーズ」として各地を巡ってみたいと思います。
記念すべき第一回目の「歴史ロマンツーリング」は、
戦国武将のなかでもメジャー中のメジャーなこの人・・・
天下統一をなしとげた「豊臣秀吉」のゆかりの地を巡ってみようと思います。
今回、自分を歴史ロマンの旅へといざなってくれるのは
現代の忍者、Ninja250R
まず、向かったところはココ
愛知県名古屋市中村区にある豊国神社
豊臣秀吉は1537年(天文6年)尾張中村(今の名古屋市中村区)で、父 木下弥右衛門 、母 なかの子として生まれました。
現在、この地は中村公園として整備され、その敷地内に豊臣秀吉が祀られている豊国神社があります。
豊臣秀吉といえば大阪というイメージが強いのですが、地元出身の英傑ということで、名古屋の皆さんにも大変親しまれているようです。
また、この尾張中村は、加藤清正の出身地でもあります。豊国神社のすぐ近くに加藤清正が祀られている寺院もあります。
豊臣秀吉と加藤清正とは遠縁の親戚だったようです。
中村公園の隣には、秀吉清正記念館(中村公園文化プラザ2階)があり、秀吉や清正に関するものがいろいろと展示されています。
さて、侍になるためこの尾張中村を飛び出した秀吉は、やがて織田信長の家来となります。
さあ、現代の忍者もこの地を離れ、次なるゆかりの地へ向かいましょう。
愛知県名古屋市から岐阜県の長良川へ。
長良川の堤防道路を北上。
着いたところは、そう・・・
墨俣一夜城(岐阜県大垣市墨俣)
1566年(永禄9年)木下藤吉郎(秀吉)が一夜にして築いたと伝えられています。
当時はこのような天守閣がある城郭ではなく、砦的な城だったようです。
信長の他の家臣では成し遂げることが出来なかった、敵地での墨俣築城を短期間のうちにやってのけ、秀吉が「天下人」となる出発点となりました。信長に仕えたということが、秀吉にとっての幸運だったのでしょう。他の武将に仕えていたら、チャンスを与えられることはなかったでしょう。
城内は歴史資料館として、墨俣築城や秀吉に関する資料が展示されています。
墨俣一夜城の最上階から見た長良大橋と長良川です。
気持ちいい風が吹いていました。
さあ、岐阜県墨俣を後にし、関ヶ原を通って滋賀県方面へ
到着したところはそう・・・
琵琶湖の湖岸にそびえる「長浜城」(滋賀県長浜市)
秀吉は1573年(天正元年)浅井氏が滅亡すると、その浅井氏の領国の大部分を与えられて、今浜の地に城を築きました。また、今浜を長浜と改め、長浜城主となり、ついに城持大名になったのであります。
現在の長浜城は、滋賀県長浜市の豊公園内に歴史博物館として、1983年(昭和58年)に再興されました。
長浜城最上階展望室より琵琶湖が見渡せます。ちょっと天気がいまいちなのが残念です。
豊公園は琵琶湖のほとり、豊な緑と噴水のある公園です。
今回の歴史ロマンシリーズ「豊臣秀吉ゆかりの地めぐり1」はこれで終了です。
さあ。次回はどこへいこうかな。
ということで、今回のツーリングは「歴史ロマンシリーズ」として各地を巡ってみたいと思います。
記念すべき第一回目の「歴史ロマンツーリング」は、
戦国武将のなかでもメジャー中のメジャーなこの人・・・
天下統一をなしとげた「豊臣秀吉」のゆかりの地を巡ってみようと思います。
今回、自分を歴史ロマンの旅へといざなってくれるのは
現代の忍者、Ninja250R
まず、向かったところはココ
愛知県名古屋市中村区にある豊国神社
豊臣秀吉は1537年(天文6年)尾張中村(今の名古屋市中村区)で、父 木下弥右衛門 、母 なかの子として生まれました。
現在、この地は中村公園として整備され、その敷地内に豊臣秀吉が祀られている豊国神社があります。
豊臣秀吉といえば大阪というイメージが強いのですが、地元出身の英傑ということで、名古屋の皆さんにも大変親しまれているようです。
また、この尾張中村は、加藤清正の出身地でもあります。豊国神社のすぐ近くに加藤清正が祀られている寺院もあります。
豊臣秀吉と加藤清正とは遠縁の親戚だったようです。
中村公園の隣には、秀吉清正記念館(中村公園文化プラザ2階)があり、秀吉や清正に関するものがいろいろと展示されています。
さて、侍になるためこの尾張中村を飛び出した秀吉は、やがて織田信長の家来となります。
さあ、現代の忍者もこの地を離れ、次なるゆかりの地へ向かいましょう。
愛知県名古屋市から岐阜県の長良川へ。
長良川の堤防道路を北上。
着いたところは、そう・・・
墨俣一夜城(岐阜県大垣市墨俣)
1566年(永禄9年)木下藤吉郎(秀吉)が一夜にして築いたと伝えられています。
当時はこのような天守閣がある城郭ではなく、砦的な城だったようです。
信長の他の家臣では成し遂げることが出来なかった、敵地での墨俣築城を短期間のうちにやってのけ、秀吉が「天下人」となる出発点となりました。信長に仕えたということが、秀吉にとっての幸運だったのでしょう。他の武将に仕えていたら、チャンスを与えられることはなかったでしょう。
城内は歴史資料館として、墨俣築城や秀吉に関する資料が展示されています。
墨俣一夜城の最上階から見た長良大橋と長良川です。
気持ちいい風が吹いていました。
さあ、岐阜県墨俣を後にし、関ヶ原を通って滋賀県方面へ
到着したところはそう・・・
琵琶湖の湖岸にそびえる「長浜城」(滋賀県長浜市)
秀吉は1573年(天正元年)浅井氏が滅亡すると、その浅井氏の領国の大部分を与えられて、今浜の地に城を築きました。また、今浜を長浜と改め、長浜城主となり、ついに城持大名になったのであります。
現在の長浜城は、滋賀県長浜市の豊公園内に歴史博物館として、1983年(昭和58年)に再興されました。
長浜城最上階展望室より琵琶湖が見渡せます。ちょっと天気がいまいちなのが残念です。
豊公園は琵琶湖のほとり、豊な緑と噴水のある公園です。
今回の歴史ロマンシリーズ「豊臣秀吉ゆかりの地めぐり1」はこれで終了です。
さあ。次回はどこへいこうかな。
2009-08-15 23:59
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