築城の名人 藤堂高虎公の生誕の地へ行ってみようツーリング 【滋賀県 甲良町】 [日記]
秋となり、食欲の秋にふさわしく食いだおれています今日この頃ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
この日も午前中の用事を済ませ、ランチは四日市の中華料理屋さんへ・・・。
まあ、中華料理といってもラーメンとチャーハンのランチメニューなんですけどね・・・。(笑)
この日は朝御飯食べていなかったので、もう一品頼みました。^^
『芝えびのマヨネーズ炒め』
自分はマヨラーなので、『芝えびのマヨネーズ炒め』って大好きなんですよ。
プリプリの芝えびにマヨネーズソースがよく合っていてウマ~。^^
ランチの後は地元菰野町に戻ってきて、ここで一杯・・・。
一杯といってもお酒ではありませんぜ、ダンナ。(笑)
お茶です。^^
菰野町は伊勢茶の産地のすぐそばで、町内でもお茶を作っているところもありますので、お茶は身近なんですね。
延々と続く茶畑の風景ってとても美しいので、新茶の頃に写真を撮ってブログUPしたいと思いま~す。^^
さてさて、午後から時間も空いたし、天気もいいし、こりゃ絶好のバイク日和ダナ~。^^
やっぱり近場で行くとなると、琵琶湖方面かな~。最近行ってないし~。
そんなわけで、最近ご無沙汰のKSRで国道306号線の鞍掛峠を越えトコトコと・・・
「気持ちいい~」 もう、最高ですね~。^^
というわけで、今回はここに来てみました~。^^
《滋賀県 甲良町》
位置的にはこんな感じデス。^^
甲良町でまず最初に訪れたのは・・・
【高虎公園】 甲良町在士(こうらちょう ざいじ)
そうです、今回はこの方にお会いするためにやって来ました。^^
伊勢津藩32万石の大名であり築城の名人だった 《藤堂高虎公》
甲良町在士はその昔、近江国藤堂村と呼ばれていました。
そう、ここは藤堂高虎公の生まれ故郷なんです。^^
藤堂高虎は、弘治2年(1556年)に藤堂村の土豪・藤堂虎高の次男として生まれました。藤堂氏は先祖代々、在地の小領主だったそうですが、戦国時代にあって次第に没落し高虎が生まれた頃には一農民と変わらぬ状態になっていたようです。幼名は「与吉」です。
高虎が元服の15の時には身の丈が6尺3寸(約190cm)もある巨漢だったそうです。当時の人々の身長からすると、見上げるような大男だったのですね。^^
父、虎高は湖北の雄「浅井家」に仕え、高虎もそれに従って初陣は、浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が激突した「姉川の合戦」でした。このときの戦いで、高虎は武功を挙げたそうです。
高虎公園から200mぐらいのところに在士八幡神社があります。
ここが、高虎公の出生地みたいです。^^
この在士八幡神社は、藤堂家の先祖を祠る神廟として藤堂家との関係が深く、年々五十石の祭祠料が藤堂家から給せられ、改築修理も伊勢から大工がやって来て行なっていたそうです。八幡神社は藤の名所で、今日でも5月の「藤切祭」には藤の花を桐の箱に詰め、東京の藤堂家へ届けているそうです。
ここでもう一度、甲良町「高虎公園」の『藤堂高虎公』の像を見てみましょう。^^
『甲良町 藤堂高虎公像』
そして、三重県津市の津城跡にある『藤堂高虎公』の像
『津城跡 藤堂高虎公像』
この津城の高虎公の写真は、以前、津城を訪れたときに撮った写真なんですけど、全く同じですよね。
たぶん、甲良町の高虎像のほうが新しそうなので、津城の高虎像を模して作ったと思います。^^
こうしてみると甲良町在士の方々の高虎公への思い入れの強さを感じますね~。伊勢国と近江国、国は違えども高虎公と繋がっているんだと・・・。^^
8月に愛媛県の今治城に行ったときも高虎公の像がありましたね。
『今治城 藤堂高虎公像』
こちらの高虎公の像も騎馬姿ですね。どの像の馬も名馬といわれた高虎の愛馬「賀古黒」でしょうか。^^
高虎公の騎馬姿っていいですよね~。戦国の世を己の力だけで生き抜いてきた力強さを感じます。
「何も恐れず突き進め」って言ってるようです。^^
実際、高虎公の体には50ケ所に及ぶ刀傷があり、指も何本か失っていたようです。
高虎公は築城の名人との名を残していますが、秀吉の弟であり秀吉軍の要「羽柴秀長」に仕えたことが、高虎の運命を変えたのでしょう。秀長の元でめきめきと頭角をあらわし、各地の戦いで武功を挙げ、所領も順次加増されていきました。
天正13年(1585) 紀伊国平定のため秀長に従い、戦功により5,400石加増され10,000石になり大名格の身分となりました。そして秀長の和歌山城築城に普請奉行として携わり、この経験がのちの築城の名人となるきっかけとなったようです。
高虎公園に『高虎公ゆかりの残念石』がありました。
『高虎公ゆかりの残念石』
この巨石は徳川大坂城を再建するために高虎公が京都の大野山から切り出させた巨石ですが、使われること無く木津川に取り残されてたものだそうです。まさに「残念~」ですね。^^
クサビの跡がくっきりと残っていますね。重量が約11tもある巨石を切り出すのは容易ではなかったと思います。
藤堂家の記号がわかるかな~。^^
そしてこんなものもありましたよ~。
『藤堂家家紋入り灯篭』
おおっ、藤堂家の家紋がしっかり入っていますね。^^
そしてこの灯篭を寄贈したのはもちろん・・・
現在の藤堂家の御当主さまです。
ここにも甲良町と藤堂家との関係の深さが垣間見えますよね。
高虎公が没してから数百年が経っているのに、今日までず~っと繋がっているんだなと思うと何だか嬉しくなってきました。^^
さてさて、高虎公の像を見た後は、甲良町をブラリンしました~。^^
古き時代を偲ばせる風情ある町並み。歴史が現在の生活に自然と溶け込んでいる、そんな感じですね。
甲良町のキャッチフレーズの「時のながれとせせらぎの町」、まさにそのとおりの優しさ溢れる町並みでした。
今回は甲良町に来ていますので、やっぱり湖東三山の一つである「西明寺」にも行かないとね~。^^
天台宗 龍應山 『西明寺』
一千数百年の歴史を物語る天台の名刹。天台宗の寺院ということで総本山は比叡山延暦寺です。
平安時代、仁明天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられます。
西明寺の境内はこんな感じです・・・
西明寺の本堂へは麓からも登ってゆくことが出来ますが、今日は中腹にある駐車場までKSRで行きま~す。^^
本坊の門前には見事なもみじが・・・。秋が深まって紅葉の季節になったらとても美しいでしょうね。
本坊の庭園「蓬莱庭」を見ながら登って行きます。
池には糸が張り巡らされていました。琵琶湖は野鳥の宝庫ですので、鯉を守るためでしょうか・・・。^^
これはこれで、絵的に面白いです。^^
これが国宝の本堂です・・・
『西明寺 本堂』
本堂は、鎌倉時代初期に建立されたもので、国宝第1号に指定されたそうです。釘を一本も使っていないそうですよ~。^^
本堂の中に入れてくれていろいろ説明を聞きました。^^
御本尊は薬師如来さまで、秘仏だそうです。一住職一代につき一回しか御開帳しないそうで、4年前に御開帳されたそうですよ~。ちょっと残念かな。^^
そして、こちらが同じく国宝の三重塔です。
『西明寺 三重塔』
鎌倉時代後期に建立された総檜造りの三重塔で、内部は極彩色に彩られているそうです。^^
やっぱり総檜の三重塔は見てて迫力がありますね。「ほお~っ」て感じデス。^^
織田信長は比叡山延暦寺の焼き討ちのときに、近江国にある比叡山傘下の天台寺院をも焼き払うことを命じました。ここ西明寺も天台宗の寺院ということで、信長配下の手の者によって焼き討ちされたそうです。でも、僧侶や住民の機転により、山奥に位置する本堂や三重塔は焼失をまぬがれたといいます。
しかしまあ、よくぞ信長の兵火から逃れることが出来たなあって思います。おかげでこうして国宝の寺院が現在でも見ることが出来るんですからね~。^^
さあ、今回は琵琶湖の湖東に来ていますので、やっぱり琵琶湖は見なくちゃね~。^^
午後からのお出かけだったので、けっこういい時間になってきました。
というわけで、フィナーレは琵琶湖の夕景を見にGo~!
やっぱり、琵琶湖はいいなあ。心が洗われます。^^
この美しい夕景を、信長も秀吉も見たんでしょうね。そして若き日の藤堂高虎も・・・。
では、また。
この日も午前中の用事を済ませ、ランチは四日市の中華料理屋さんへ・・・。
まあ、中華料理といってもラーメンとチャーハンのランチメニューなんですけどね・・・。(笑)
この日は朝御飯食べていなかったので、もう一品頼みました。^^
『芝えびのマヨネーズ炒め』
自分はマヨラーなので、『芝えびのマヨネーズ炒め』って大好きなんですよ。
プリプリの芝えびにマヨネーズソースがよく合っていてウマ~。^^
ランチの後は地元菰野町に戻ってきて、ここで一杯・・・。
一杯といってもお酒ではありませんぜ、ダンナ。(笑)
お茶です。^^
菰野町は伊勢茶の産地のすぐそばで、町内でもお茶を作っているところもありますので、お茶は身近なんですね。
延々と続く茶畑の風景ってとても美しいので、新茶の頃に写真を撮ってブログUPしたいと思いま~す。^^
さてさて、午後から時間も空いたし、天気もいいし、こりゃ絶好のバイク日和ダナ~。^^
やっぱり近場で行くとなると、琵琶湖方面かな~。最近行ってないし~。
そんなわけで、最近ご無沙汰のKSRで国道306号線の鞍掛峠を越えトコトコと・・・
「気持ちいい~」 もう、最高ですね~。^^
というわけで、今回はここに来てみました~。^^
《滋賀県 甲良町》
位置的にはこんな感じデス。^^
甲良町でまず最初に訪れたのは・・・
【高虎公園】 甲良町在士(こうらちょう ざいじ)
そうです、今回はこの方にお会いするためにやって来ました。^^
伊勢津藩32万石の大名であり築城の名人だった 《藤堂高虎公》
甲良町在士はその昔、近江国藤堂村と呼ばれていました。
そう、ここは藤堂高虎公の生まれ故郷なんです。^^
藤堂高虎は、弘治2年(1556年)に藤堂村の土豪・藤堂虎高の次男として生まれました。藤堂氏は先祖代々、在地の小領主だったそうですが、戦国時代にあって次第に没落し高虎が生まれた頃には一農民と変わらぬ状態になっていたようです。幼名は「与吉」です。
高虎が元服の15の時には身の丈が6尺3寸(約190cm)もある巨漢だったそうです。当時の人々の身長からすると、見上げるような大男だったのですね。^^
父、虎高は湖北の雄「浅井家」に仕え、高虎もそれに従って初陣は、浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が激突した「姉川の合戦」でした。このときの戦いで、高虎は武功を挙げたそうです。
高虎公園から200mぐらいのところに在士八幡神社があります。
ここが、高虎公の出生地みたいです。^^
この在士八幡神社は、藤堂家の先祖を祠る神廟として藤堂家との関係が深く、年々五十石の祭祠料が藤堂家から給せられ、改築修理も伊勢から大工がやって来て行なっていたそうです。八幡神社は藤の名所で、今日でも5月の「藤切祭」には藤の花を桐の箱に詰め、東京の藤堂家へ届けているそうです。
ここでもう一度、甲良町「高虎公園」の『藤堂高虎公』の像を見てみましょう。^^
『甲良町 藤堂高虎公像』
そして、三重県津市の津城跡にある『藤堂高虎公』の像
『津城跡 藤堂高虎公像』
この津城の高虎公の写真は、以前、津城を訪れたときに撮った写真なんですけど、全く同じですよね。
たぶん、甲良町の高虎像のほうが新しそうなので、津城の高虎像を模して作ったと思います。^^
こうしてみると甲良町在士の方々の高虎公への思い入れの強さを感じますね~。伊勢国と近江国、国は違えども高虎公と繋がっているんだと・・・。^^
8月に愛媛県の今治城に行ったときも高虎公の像がありましたね。
『今治城 藤堂高虎公像』
こちらの高虎公の像も騎馬姿ですね。どの像の馬も名馬といわれた高虎の愛馬「賀古黒」でしょうか。^^
高虎公の騎馬姿っていいですよね~。戦国の世を己の力だけで生き抜いてきた力強さを感じます。
「何も恐れず突き進め」って言ってるようです。^^
実際、高虎公の体には50ケ所に及ぶ刀傷があり、指も何本か失っていたようです。
高虎公は築城の名人との名を残していますが、秀吉の弟であり秀吉軍の要「羽柴秀長」に仕えたことが、高虎の運命を変えたのでしょう。秀長の元でめきめきと頭角をあらわし、各地の戦いで武功を挙げ、所領も順次加増されていきました。
天正13年(1585) 紀伊国平定のため秀長に従い、戦功により5,400石加増され10,000石になり大名格の身分となりました。そして秀長の和歌山城築城に普請奉行として携わり、この経験がのちの築城の名人となるきっかけとなったようです。
高虎公園に『高虎公ゆかりの残念石』がありました。
『高虎公ゆかりの残念石』
この巨石は徳川大坂城を再建するために高虎公が京都の大野山から切り出させた巨石ですが、使われること無く木津川に取り残されてたものだそうです。まさに「残念~」ですね。^^
クサビの跡がくっきりと残っていますね。重量が約11tもある巨石を切り出すのは容易ではなかったと思います。
藤堂家の記号がわかるかな~。^^
そしてこんなものもありましたよ~。
『藤堂家家紋入り灯篭』
おおっ、藤堂家の家紋がしっかり入っていますね。^^
そしてこの灯篭を寄贈したのはもちろん・・・
現在の藤堂家の御当主さまです。
ここにも甲良町と藤堂家との関係の深さが垣間見えますよね。
高虎公が没してから数百年が経っているのに、今日までず~っと繋がっているんだなと思うと何だか嬉しくなってきました。^^
さてさて、高虎公の像を見た後は、甲良町をブラリンしました~。^^
古き時代を偲ばせる風情ある町並み。歴史が現在の生活に自然と溶け込んでいる、そんな感じですね。
甲良町のキャッチフレーズの「時のながれとせせらぎの町」、まさにそのとおりの優しさ溢れる町並みでした。
今回は甲良町に来ていますので、やっぱり湖東三山の一つである「西明寺」にも行かないとね~。^^
天台宗 龍應山 『西明寺』
一千数百年の歴史を物語る天台の名刹。天台宗の寺院ということで総本山は比叡山延暦寺です。
平安時代、仁明天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられます。
西明寺の境内はこんな感じです・・・
西明寺の本堂へは麓からも登ってゆくことが出来ますが、今日は中腹にある駐車場までKSRで行きま~す。^^
本坊の門前には見事なもみじが・・・。秋が深まって紅葉の季節になったらとても美しいでしょうね。
本坊の庭園「蓬莱庭」を見ながら登って行きます。
池には糸が張り巡らされていました。琵琶湖は野鳥の宝庫ですので、鯉を守るためでしょうか・・・。^^
これはこれで、絵的に面白いです。^^
これが国宝の本堂です・・・
『西明寺 本堂』
本堂は、鎌倉時代初期に建立されたもので、国宝第1号に指定されたそうです。釘を一本も使っていないそうですよ~。^^
本堂の中に入れてくれていろいろ説明を聞きました。^^
御本尊は薬師如来さまで、秘仏だそうです。一住職一代につき一回しか御開帳しないそうで、4年前に御開帳されたそうですよ~。ちょっと残念かな。^^
そして、こちらが同じく国宝の三重塔です。
『西明寺 三重塔』
鎌倉時代後期に建立された総檜造りの三重塔で、内部は極彩色に彩られているそうです。^^
やっぱり総檜の三重塔は見てて迫力がありますね。「ほお~っ」て感じデス。^^
織田信長は比叡山延暦寺の焼き討ちのときに、近江国にある比叡山傘下の天台寺院をも焼き払うことを命じました。ここ西明寺も天台宗の寺院ということで、信長配下の手の者によって焼き討ちされたそうです。でも、僧侶や住民の機転により、山奥に位置する本堂や三重塔は焼失をまぬがれたといいます。
しかしまあ、よくぞ信長の兵火から逃れることが出来たなあって思います。おかげでこうして国宝の寺院が現在でも見ることが出来るんですからね~。^^
さあ、今回は琵琶湖の湖東に来ていますので、やっぱり琵琶湖は見なくちゃね~。^^
午後からのお出かけだったので、けっこういい時間になってきました。
というわけで、フィナーレは琵琶湖の夕景を見にGo~!
やっぱり、琵琶湖はいいなあ。心が洗われます。^^
この美しい夕景を、信長も秀吉も見たんでしょうね。そして若き日の藤堂高虎も・・・。
では、また。
2010-10-14 22:10
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コメント(18)
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毎回毎回、本当に1記事の内容の充実さに、脱帽です。
12月には青年部で視察研修を彦根で考えております。
「中型免許を持っていればなぁ~風が切れるのに・・・」
なんて思ってしまいました。^^;
by ソニックマイヅル (2010-10-14 22:46)
susumuさん結構食べますねぇo(*^▽^*)o~♪
全身に50ヶ所もの刀傷を負いながらも仕える者への忠義を尽くす
一本木な藤堂高虎公!
幾つもの実戦を戦い抜いた彼だからこそ、城を作り上げるノウハウを
経験で語れるんでしょうね!
それにしてもお手本のような史跡めぐり(*'-'*)
勉強になりますo(*^▽^*)o~♪
by ゆき (2010-10-15 00:37)
内容の濃さにいつも驚かされます。
僕のような歴史音痴でも、susumuさんのページを見てると
とても勉強になります。面白いし・・ヾ(@^(∞)^@)ノ
by yosi (2010-10-15 15:03)
◇ソニックマイヅルさんへ
おおっ、彦根ですか。
お城も、街も最高ですね。
子供から大人までスゴク楽しめるところですよね~。^^
12月はちょっと寒いかな~。
by susumu (2010-10-15 21:49)
◇ゆきさんへ
そうなんですよ。最近食べまくり~。^^
た、体重が~。冬物ジャケット入るかな~。(笑)
もう一人の築城名人の加藤清正公も虎退治の逸話が残る位の武人ですね。
本当に強いお城を作る為のノウハウは、いくつもの実戦を経なけれは得られないものかも知れませんね。この二人が築城したお城の石垣はとても美しいですね~。強さは美しさなのかな・・・。^^
by susumu (2010-10-15 22:22)
◇yosiさんへ
恐縮してしまいます~。^^
自分は歴史が大好きなんですけど、そのために
だらだらと長いブログになってしまってますね。
もうちょっとまとめられたらな~って思います。^^
by susumu (2010-10-15 22:32)
KSR待ってました!タップリ!本当たっぷりですね。
生涯17の城を手掛ける(合ってますか?)すごいですよね。
残念石の逸話が示す、高虎の城は石垣が力強いイメージがあります。
by hanamura (2010-10-15 22:50)
こんばんは。
美味しそうなえびマヨから始まっていいなぁっと読んでいくと
デザートそして充実したツーリングといつも楽しく読ませてもらってます。
自分も琵琶湖方面ご無沙汰してるので行きたくなっちゃいました。
最後の夕日がステキなショットですね。
by かいかい (2010-10-16 18:24)
◇hanamuraさんへ
あはは、久しぶりのKSRでした。^^
最近は高速を使ってのツーリングが多かったので
Ninjaで行くことが多かったデスね。
狭い路地裏や田んぼ道なんかはKSR最強ですね。^^
高虎公のお城の石垣いいですよね。直線的で堅固な美しさがあります。^^
by susumu (2010-10-16 21:04)
◇かいかいさんへ
自分は琵琶湖大好きです。なのでよく行きます。^^
まあ、山越えればそこは滋賀県だ~ってこともあるんですが・・・。(笑)
でも、ここまでじっくり夕日を見たのは初めてでした。
いつもはバイクで走りながら夕日を見ることが多かったですから。^^
by susumu (2010-10-16 21:09)
おお~~今回もsusumu写真館、いい感じに仕上がってますね~。
爽やかな秋風を感じるようなブログです。
そして食欲の秋も満喫ですね(´∀`*)
ランチの後にゆったりお抹茶なんて、優雅な休日に・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・
抹茶の横に小さいお茶が付いてるの、初めてみました。
それと藤堂高虎の像、滋賀県にあるのはテレビか何かで見て知ってましたが、どこにあるのかイマイチ分からなかったので、今回この記事見てとっても嬉しかったですよ~。
まさに私のツボですわ~。ヾ(≧▽≦)ノ
残念石ってたまに見かけることありますが、ここのもかなり立派だな。
刻まれた家紋とか、美しく積み上げられた石垣を見ていると本当に石工職人の器用さに感心させられます。
職人カッコイイLOVE★⌒ヾ(^-'*)
それと西明寺、静かでいい雰囲気ですね~~。
紅葉の時期に湖東三山を巡ったことありますが、すごい人で・・。渋滞もすごかったし。
秋の日の紅葉前のこの季節が、静けさ漂ってて穴場かもしれないですね~。
私も最近滋賀行ってないな~。
あ、でも8月に前回雨で挫折した小谷城、ついに落城してきましたよ!
o(≧∇≦o)(o≧∇≦)o イエーイ
by suzy (2010-10-17 00:17)
ツーリング日和でしたね^^
どの写真もいい感じです(o・ω・))-ω-))うん
特にコスモス???
バイクの位置を考えている姿が目に浮かんで。。。
キャッヾ(≧∇≦*)〃ヾ(*≧∇≦)〃キャッ
by chie (2010-10-17 13:43)
◇suzyさんへ
抹茶の横のお茶はほうじ茶です。
ここはお茶屋さんの喫茶コーナーなのですよ。^^
ちょっとした茶道具なんかも置いていて、この日はよさげな黒茶碗があったので購入しました~。安かったし~。^^
高虎は坂本の穴太衆とも関係があって、彼らから石垣の技術を学ぶとともに、その人脈を生かして築城に取り組んだみたいです。数百年の風雪に耐える石垣技術は、目に見えない部分に穴太衆ならではの秘伝の技が潜んでいるのですね。^^
西明寺はいつも通り過ぎるだけで、行ったことなかったので、今回訪れてみました。^^
やっぱり紅葉の時期はすごい人でしょうね。ワカリマス。紅葉を見てる人を見に行くみたいになっちゃいますよね~。となると写真も撮りづらくなりますね。この紅葉ちょっと前の時期が、落ち着いてお寺を見れて良かったです。
小谷城リベンジされましたか~。こちらもこの時期で良かったかもですね。次の大河が始まると凄い人でしょうから、車では登れなくなるかも・・・。
by susumu (2010-10-17 22:33)
◇chieさんへ
やっぱり青空ってバイクで走ってて気持ちがいいです。^^
コスモスの写真は偶然撮れた写真ですよ~。
狭い田んぼに面した狭い道で、ギリギリ路肩に寄せ、サイドスタンドを出して停車したところ、コスモスとバイクがとってもいい感じになったので、パチリ・・・。
逆に、バイクと花で狙った写真も撮りましたが、全然ダメな感じで、ボツ写真となりました。
写真って難しいけど、偶然いい写真が撮れたら嬉しくなっちゃいますよね。^^
by susumu (2010-10-17 22:52)
KSRとコスモスのコラボが素敵です。
滋賀での歴史探索は見ごたえありますね。
池の糸もからくりっぽくてnice!です。
by ANIKI (2010-10-18 00:02)
◇ANIKIさんへ
やっぱり秋はコスモスですね。^^
そろそろ紅葉とコラボの季節がやって来ますが
今年は何処へ行こうかな~。^^
滋賀県は歴史の舞台となったところも多いので
見所満載ですね。
原付2種でトコトコ走るのもいいですね~。^^
by susumu (2010-10-18 21:03)
地元では顕彰しているのですね。
by ねじまき鳥 (2011-02-12 20:03)
◇ねじまき鳥さんへ
甲良町の在士八幡神社と藤堂家は今でもその関係は続いています。
数百年経っているというのに今でも交流があるなんて
メッチャ凄いなあ~って思いましたもん。
きっと甲良町のみなさんも高虎公を誇りに思っているんだと思います。^^
by susumu (2011-02-13 19:23)