春を探しにKSRまったりツーリング!【信長料理の岐阜市歴史博物館】 [日記]
みなさん先週の3連休はいかがお過ごしでしたか。
自分は、バイクや車の洗車やらメンテナンスやらであっという間に終わりそうでしたので、最終日にチョコットだけバイクでお出かけしました。
そうそう、ワゴンRのスタッドレスタイヤをノーマルタイヤに履き替えました。タイヤをノーマルに戻すと冬も終わったんだなっていつも思います。
この日は朝一用事がありましたので、近場でいいところないかなって感じで行き先をセレクト。
んじゃ、以前岐阜城を訪れたときに行きそびれた「岐阜市歴史博物館」にでも行ってこようかなって。
そんで、春を探しながら、寄り道ツーリングでまったり行きましょうか。
最近KSRに全然乗っていませんでしたので、KSRで行くことにします。
でもキャブ車でキックオンリーのKSR君、数週間ガソリンタンクのコックをONのままの状態でほっておいたために全然エンジンがかかりません。T T
ものすごく機嫌が悪いデス。ほっておいてゴメンナサイ・・・。
10分ぐらいキック連発して、やっとエンジンがかかりました。ゼーゼー・・・、もうすでに疲れました。(笑)
やっとKSR君で出発です。
三重県いなべ市にあるいなべ公園に春を見つけに寄り道です。
ここはさくら橋で桜が綺麗なはずですが・・・
まだ、すこし早いようです。
ちょっと残念ですね。
もう少し奥に行ってみます。
少し肌寒いですが、うららかな日差しが降り注ぎ、とても気持ちいいです。
おっ、日向ぼっこしてるニャンコ発見!
KSR君で近づいても逃げる様子もなく、背伸びなんかしています。のどかだな~。^^
こっちにはバイクの大嫌いなワンコ発見!
そこまで吠えなくてもって思うぐらい吠えてます。(笑)
ハイハイわかりました、退散します。
さあ、岐阜を目指して出発です。
岐阜への定番コースの県道23号線長良川の堤防道路を北上します。
途中、道の駅クレール平田で休憩です。
ここはいつ来ても車が多いですが、今日は遅めの出発だったからかバイクは自分ひとりでした。
ちょっぴり風が冷たいけれど、真冬のそれとは違います。
長良川の堤防沿いを走ってきたけれど、チラホラと菜の花が咲いてたり、土筆を探してる人を見かけたり、やっぱり春の訪れを感じます。
さあ、ちょっぴり休憩した後、再び出発です。
お次は、墨俣一夜城に寄り道です。
今日は3月22日で「すのまた桜まつり」がちょうど開催されていましたが・・・
あはは、桜咲いていません!(笑)
なので人もいません。残念でした!
まだ、ちょっと早かったようです。
来週あたりどうかな。咲き始めるのでしょうか。
墨俣一夜城のあたりは桜の名所だそうで、満開になるとホントに綺麗でしょうね。
桜に浮かぶ一夜城、ぜひ見てみたいものです。
さあ、気をとり直して岐阜へGo!
JR岐阜駅に寄り道です。
久しぶりに北口駅前広場のあの人に会いに行ってみます。(笑)
いわずと知れた金ピカな「織田信長公」です!
燦然と光り輝いています。何度見ても素晴らしいデス。
いままで幾度となくいろんな銅像を見てきましたが、この信長像は間違いなくインパクトNo1でしょう。
相変わらず、大人気です!(笑)
記念にKSR君とパチリ。
信長公との再会を果たし、岐阜公園に向かいます。
山頂に岐阜城天守閣が見えます。
岐阜公園に到着です。
金華山ロープウェイ方面に行ってみます。
ハ~ィ、やっと春を見つけることが出来ました。桜と梅です。
早桜ですが綺麗です。
ちなみに今日はロープウェーには乗りません。
だって、超満員なんですもん!(笑)
ロープウェー乗り場にもたくさんの人が並んでました。
なので、岐阜公園のなかをウロウロと。またまた、春を見つけました。
さあ、岐阜公園のお隣にある岐阜市歴史博物館に到着です。
入り口にはコレが・・・
中の講堂では信長関係の催し物が開かれているようです。自分ものぞいてみようかなと思いましたが、招待者だけでした。残念!
岐阜駅前の金ピカな信長像にしてもそうですが、岐阜は信長ってイメージが定着しつつありますね。美濃まむしの斉藤道三ではいまひとつ役不足なのかな。(笑)
まぁ、なんたって「岐阜」って地名の名付け親は信長ですから。
岐阜市歴史博物館では、1Fの特別展示室で岐阜市の東山道展が開かれています。
当時の東山道付近の様子や人々のくらしをはじめ、往来する人々の様子などが紹介されています。
2Fの総合展示室では岐阜の原始から現代までの歴史を紹介しています。もちろん信長が活躍した戦国時代も詳しく紹介しています。
残念ながらこちらは撮影不可でしたので、画像はありません。
でも歴史ボランティアさんに丁寧に説明していただきました。
斉藤道三が土岐氏から美濃を奪ったのは、実は道三一人でやったことではなく道三とその父の親子二代に渡る出来事だったとか、金華山の麓にかつて存在した信長の天主と呼ばれる南蛮様式を取り入れた4層の華麗な御殿の再建計画が進行中だとか興味ある話が聞けました。
信長の「天主」御殿の再建はぜひ実現してもらいたいですね。ちなみに山頂にある岐阜城のほうは「天守」と書くそうデス。
戦国ワンダーランドの楽市楽座のコーナーは写真撮影が出来ましたので写真撮ってきました。
なぜだか人形が真っ白です。(笑)
不思議な感じというより不気味な感じです。
楽市楽座の様子がそのまま再現されていますが、人形が真っ白だとリアリティにかけるなぁ。(笑)
楽市楽座の魚屋さんです。
やっぱ、怖いデス。(笑)
この魚屋さんの店の奥におもしろいものが展示されていました。
信長料理の復元コーナーです。
当時信長がどんなものを食べていたかなんて、とっても興味深いです。
この料理は天正2年(1574年)堺の商人・津田宗及が信長に会うために岐阜へやって来たときに、信長から受けたおもてなし料理を、その時の宗及の記録をもとに復元したものだそうです。
このころの信長は最大の敵であった武田信玄が亡くなり、浅井・朝倉氏を滅ぼし、回りが敵だらけだった頃に比べて光明が見えてきた感じのときですね。
でも、越前の国の反乱や武田勝頼の東美濃侵攻など、戦いの日々が続いていた中でのこのもてなし料理ですね。
津田宗及は、千利休、今井宗久とともに「茶湯の三大宗匠」と称せられた程の茶人だったようで、出された料理もそれなりの格式のものでしょう。
なんたって、飯のおかわりや酒の入った銚子は信長自身が持ってきたというから、オドロキです。信長の力の入れようがわかります。
では、その料理はというと・・・
本膳です。
鮭の干物や雛の焼鳥、長良川で獲れた鮒、蔓菜の汁と飯ですね。飯と汁の間にあるのは塩で、塩そのものも立派なごちそうだったそうです。
鮭と焼鳥のお皿は中国の最高級の青磁です。
お次は二の膳です。
くらげの和え物に鱒の焼き物、にし貝、このわた(なまこの腸の塩漬け)、伊勢湾でとれたあわびの干し物、鱈汁ですね。
さらに三の膳へと続きます。
伊勢湾でとれた生あわびの貝盛、長良川で獲れた鯉の刺身(このころは醤油がまだなく酢で食べたそうです)、あとは、白鳥の汁です。
長良川で獲れた鮒を焼いたあと煮て味付けしたものです。
白魚の吸い物に酒ですね。当時のお酒は濁り酒だったそうです。
菓子の枝柿と御飯の入った食籠です。なんとしゃもじはべっ甲製です。
当時の交通事情や食材の保存技術を考えると、ものすごく贅沢なフルコースだったんでしょうね。
見てるだけでお腹いっぱいになりました。ゴチソウサマ。
それにしても、信長みずから飯やお銚子をもってきたことから、このときは信長も超ゴキゲンだったんでしょうね。それにひきかえ、本能寺の変の遠因となったといわれる安土城での徳川家康の接待料理のときは、明智光秀に対して超激怒で、ホント料理を作る人も大変だったと思います。
料理といえども信長の料理は歴史を動かしてしまうほどの影響力があるんだなぁ。
信長料理の奥深さに関心しつつ、今回はこのへんで・・・
では、また。
自分は、バイクや車の洗車やらメンテナンスやらであっという間に終わりそうでしたので、最終日にチョコットだけバイクでお出かけしました。
そうそう、ワゴンRのスタッドレスタイヤをノーマルタイヤに履き替えました。タイヤをノーマルに戻すと冬も終わったんだなっていつも思います。
この日は朝一用事がありましたので、近場でいいところないかなって感じで行き先をセレクト。
んじゃ、以前岐阜城を訪れたときに行きそびれた「岐阜市歴史博物館」にでも行ってこようかなって。
そんで、春を探しながら、寄り道ツーリングでまったり行きましょうか。
最近KSRに全然乗っていませんでしたので、KSRで行くことにします。
でもキャブ車でキックオンリーのKSR君、数週間ガソリンタンクのコックをONのままの状態でほっておいたために全然エンジンがかかりません。T T
ものすごく機嫌が悪いデス。ほっておいてゴメンナサイ・・・。
10分ぐらいキック連発して、やっとエンジンがかかりました。ゼーゼー・・・、もうすでに疲れました。(笑)
やっとKSR君で出発です。
三重県いなべ市にあるいなべ公園に春を見つけに寄り道です。
ここはさくら橋で桜が綺麗なはずですが・・・
まだ、すこし早いようです。
ちょっと残念ですね。
もう少し奥に行ってみます。
少し肌寒いですが、うららかな日差しが降り注ぎ、とても気持ちいいです。
おっ、日向ぼっこしてるニャンコ発見!
KSR君で近づいても逃げる様子もなく、背伸びなんかしています。のどかだな~。^^
こっちにはバイクの大嫌いなワンコ発見!
そこまで吠えなくてもって思うぐらい吠えてます。(笑)
ハイハイわかりました、退散します。
さあ、岐阜を目指して出発です。
岐阜への定番コースの県道23号線長良川の堤防道路を北上します。
途中、道の駅クレール平田で休憩です。
ここはいつ来ても車が多いですが、今日は遅めの出発だったからかバイクは自分ひとりでした。
ちょっぴり風が冷たいけれど、真冬のそれとは違います。
長良川の堤防沿いを走ってきたけれど、チラホラと菜の花が咲いてたり、土筆を探してる人を見かけたり、やっぱり春の訪れを感じます。
さあ、ちょっぴり休憩した後、再び出発です。
お次は、墨俣一夜城に寄り道です。
今日は3月22日で「すのまた桜まつり」がちょうど開催されていましたが・・・
あはは、桜咲いていません!(笑)
なので人もいません。残念でした!
まだ、ちょっと早かったようです。
来週あたりどうかな。咲き始めるのでしょうか。
墨俣一夜城のあたりは桜の名所だそうで、満開になるとホントに綺麗でしょうね。
桜に浮かぶ一夜城、ぜひ見てみたいものです。
さあ、気をとり直して岐阜へGo!
JR岐阜駅に寄り道です。
久しぶりに北口駅前広場のあの人に会いに行ってみます。(笑)
いわずと知れた金ピカな「織田信長公」です!
燦然と光り輝いています。何度見ても素晴らしいデス。
いままで幾度となくいろんな銅像を見てきましたが、この信長像は間違いなくインパクトNo1でしょう。
相変わらず、大人気です!(笑)
記念にKSR君とパチリ。
信長公との再会を果たし、岐阜公園に向かいます。
山頂に岐阜城天守閣が見えます。
岐阜公園に到着です。
金華山ロープウェイ方面に行ってみます。
ハ~ィ、やっと春を見つけることが出来ました。桜と梅です。
早桜ですが綺麗です。
ちなみに今日はロープウェーには乗りません。
だって、超満員なんですもん!(笑)
ロープウェー乗り場にもたくさんの人が並んでました。
なので、岐阜公園のなかをウロウロと。またまた、春を見つけました。
さあ、岐阜公園のお隣にある岐阜市歴史博物館に到着です。
入り口にはコレが・・・
中の講堂では信長関係の催し物が開かれているようです。自分ものぞいてみようかなと思いましたが、招待者だけでした。残念!
岐阜駅前の金ピカな信長像にしてもそうですが、岐阜は信長ってイメージが定着しつつありますね。美濃まむしの斉藤道三ではいまひとつ役不足なのかな。(笑)
まぁ、なんたって「岐阜」って地名の名付け親は信長ですから。
岐阜市歴史博物館では、1Fの特別展示室で岐阜市の東山道展が開かれています。
当時の東山道付近の様子や人々のくらしをはじめ、往来する人々の様子などが紹介されています。
2Fの総合展示室では岐阜の原始から現代までの歴史を紹介しています。もちろん信長が活躍した戦国時代も詳しく紹介しています。
残念ながらこちらは撮影不可でしたので、画像はありません。
でも歴史ボランティアさんに丁寧に説明していただきました。
斉藤道三が土岐氏から美濃を奪ったのは、実は道三一人でやったことではなく道三とその父の親子二代に渡る出来事だったとか、金華山の麓にかつて存在した信長の天主と呼ばれる南蛮様式を取り入れた4層の華麗な御殿の再建計画が進行中だとか興味ある話が聞けました。
信長の「天主」御殿の再建はぜひ実現してもらいたいですね。ちなみに山頂にある岐阜城のほうは「天守」と書くそうデス。
戦国ワンダーランドの楽市楽座のコーナーは写真撮影が出来ましたので写真撮ってきました。
なぜだか人形が真っ白です。(笑)
不思議な感じというより不気味な感じです。
楽市楽座の様子がそのまま再現されていますが、人形が真っ白だとリアリティにかけるなぁ。(笑)
楽市楽座の魚屋さんです。
やっぱ、怖いデス。(笑)
この魚屋さんの店の奥におもしろいものが展示されていました。
信長料理の復元コーナーです。
当時信長がどんなものを食べていたかなんて、とっても興味深いです。
この料理は天正2年(1574年)堺の商人・津田宗及が信長に会うために岐阜へやって来たときに、信長から受けたおもてなし料理を、その時の宗及の記録をもとに復元したものだそうです。
このころの信長は最大の敵であった武田信玄が亡くなり、浅井・朝倉氏を滅ぼし、回りが敵だらけだった頃に比べて光明が見えてきた感じのときですね。
でも、越前の国の反乱や武田勝頼の東美濃侵攻など、戦いの日々が続いていた中でのこのもてなし料理ですね。
津田宗及は、千利休、今井宗久とともに「茶湯の三大宗匠」と称せられた程の茶人だったようで、出された料理もそれなりの格式のものでしょう。
なんたって、飯のおかわりや酒の入った銚子は信長自身が持ってきたというから、オドロキです。信長の力の入れようがわかります。
では、その料理はというと・・・
本膳です。
鮭の干物や雛の焼鳥、長良川で獲れた鮒、蔓菜の汁と飯ですね。飯と汁の間にあるのは塩で、塩そのものも立派なごちそうだったそうです。
鮭と焼鳥のお皿は中国の最高級の青磁です。
お次は二の膳です。
くらげの和え物に鱒の焼き物、にし貝、このわた(なまこの腸の塩漬け)、伊勢湾でとれたあわびの干し物、鱈汁ですね。
さらに三の膳へと続きます。
伊勢湾でとれた生あわびの貝盛、長良川で獲れた鯉の刺身(このころは醤油がまだなく酢で食べたそうです)、あとは、白鳥の汁です。
長良川で獲れた鮒を焼いたあと煮て味付けしたものです。
白魚の吸い物に酒ですね。当時のお酒は濁り酒だったそうです。
菓子の枝柿と御飯の入った食籠です。なんとしゃもじはべっ甲製です。
当時の交通事情や食材の保存技術を考えると、ものすごく贅沢なフルコースだったんでしょうね。
見てるだけでお腹いっぱいになりました。ゴチソウサマ。
それにしても、信長みずから飯やお銚子をもってきたことから、このときは信長も超ゴキゲンだったんでしょうね。それにひきかえ、本能寺の変の遠因となったといわれる安土城での徳川家康の接待料理のときは、明智光秀に対して超激怒で、ホント料理を作る人も大変だったと思います。
料理といえども信長の料理は歴史を動かしてしまうほどの影響力があるんだなぁ。
信長料理の奥深さに関心しつつ、今回はこのへんで・・・
では、また。
2010-03-27 07:50
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コメント(2)
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わ~~!!最高のツーリング日和ですね!心地よい風を感じるような写真です。今日私も滋賀方面に行きましたが桜の開花にはちょっと早かったですよ(^^ゞ。岐阜の金ぴか信長様、いつみても派手派手しいわ~~♪派手好みの信長のイメージにぴったりかも。岐阜城に行ったことはありますが、私はまだこの信長公にお会いしたことないので、ぜひ次回訪れる際にはこのイケメン信長公にお会いしたいものです^^。そうそう私も今日、滋賀県である武将様の像に遭遇したので、またUPしますね(^_^)v。三重県に縁のある武将様ですよ~~。ふふ~、ふたり位思い浮かぶかもですが、誰でしょう・・・。それにしても岐阜公園の枝垂れ桜、美しいですね~♪濃いピンクが青空に映えて素敵。そよ風にさわ~~って揺れる枝垂れ桜もいいですよね。でもロープウェイ凄い人。私が行ったときはこんな酷くなかったけど、今桜のシーズンだからでしょうかね・・。
岐阜市歴史博物館の豪華フルコースはまじまじと見てしまいました。今でもめったに口に入らないような豪華な食材がいっぱい!田舎風の濃い味付けだったんでしょうね、きっと。アワビ美味しそう~~。高価な塩もたっぷり盛られて贅沢~~。塩ったら素材の旨みを十分引き出してくれそうですもんね。今みたいに化学調味料とかない時代、万能選手や~~んって、私だったら色んなものにふりかけてたと思いますよ。血圧上がって早死に間違いなし(T_T)。それにしても白い人形は、やっぱりちょっと怖い。魚売ってるおばあさん、特に怖い(>_<)。
by suzy (2010-03-28 23:56)
◇suzyさんへ
滋賀県と三重県に縁がある武将で銅像が建立されるぐらいのメジャーな武将といえば、津の藤堂高虎と松坂城を築城した蒲生氏郷ぐらいしか思い浮かびませんが・・・。藤堂高虎の銅像は津城跡で見慣れているでしょうから、蒲生氏郷に一票入れます。うーん、案外別の人物だったりして。^^ でも、こんなクイズもときには楽しいですね。ブログUP楽しみにしています。
金華山のロープウェーには前回余裕で乗れたんですが、今回は建物の外までズラ~っと並んでました。行列のできるロープウェーって初めてみました。(笑)金華山山頂は広いところもあまりないので、岐阜城付近は凄いことになっているだろうな~って、今回は岐阜城に行くのはあきらめました。岐阜公園もけっこうな賑わいで、やっぱりみんな春を求めてやってきているようでした。公園内には武家屋敷風の総合案内所なんかも出来てたりして、とってもいい雰囲気でした。
岐阜市歴史博物館には今回初めて訪れましたがとても良かったデス。常設展示は岐阜市の原始から現代までだったんですが、一番知りたい戦国期の信長コーナーもあり、とても充実してました。歴史博物館って見せっぱなしのところが多いのですが、ここは歴史ボランティアさんが丁寧に説明してくれて、とても感激しました。戦国時代の衣装や鎧を着ることができるコスプレコーナーもあり、なんとタダでした。(笑) 自分も信長の衣装を着てみたかったんですが、ここも並んでましたから。そんで、子供達のなかに混じって衣装を着るのも大人げないですもん。(笑)
信長料理ですが自分も濃い味付けだったんじゃないかと思います。堺の商人の津田宗及さんのお口にあったかどうか・・・。でも相手が信長なのでおいしそうな顔しかできないし。(笑)
今回土日は遠出してません。KSRで近くの山の林道を走ったぐらいですね。でも、たまには山遊びも楽しいものです。日曜日はしっかり「龍馬伝」見ました。第一シーズンが終わる今回は、なんといっても脱藩のシーンでの家族との悲しい別れが涙モノでした。(TT) 吉田東洋も暗殺されちゃうし、土佐勤皇党の運命はいかに! 舞台を京都に移して龍馬はどうなっていくのでしょうか。ハラハラドキドキで第二シーズンも見逃せません。
by susumu (2010-03-29 21:05)