紫陽花が美しい奈良大和路の花の御寺 『長谷寺』 【奈良県桜井市 長谷寺】 [謎の《北緯34度32分》太陽の道]
今回は『謎の《北緯34度32分》太陽の道』 室生寺からの続きです。^^
室生寺から奈良県桜井市にある『長谷寺』(はせでら)へ・・・
室生寺からはこんな感じのルートで、室生ダムに寄り道してみます。
より大きな地図で 室生寺~長谷寺 を表示
室生寺から長谷寺までは20kmちょっとで近いです。
【室生ダム】
室生ダムは、1974年に名張川の支川 宇陀川に建設された多目的ダムです。 → 詳しくはコチラ
なかなかいい感じのダムです。
ちょうど放流してました・・・
ド迫力です。^^
ちょっと狭いですが、ダムのくねくね道をのんびりと走ります。^^
で、ほどなく長谷寺に到着~。^^
駐車場にバイクを止めて、仁王門へ・・・
長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市にある真言宗豊山派の総本山で、日本でも有数の観音霊場のお寺だそうです。
《クリックすると大きくなるよ》
創建は今から1300年以上前ですか・・・
パンフレットによると、境内の様子はこんな感じです。
それでは、仁王門から登廊(のぼりろう)をのぼりろう。^^
登廊の雰囲気ってやっぱり素晴しいです。 趣きがあるんですよね~。^^
振り返ると・・・
けっこう登ってきましたね。^^
がんばれ~ 本堂はもうすぐだ~。^^
おっ、見えてきたぞ~。
本堂に到着~。^^
それでは国宝本堂の中に入ってみます。
wikiより・・・ 本尊を安置する正堂(しょうどう)、相の間、礼堂(らいどう)から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造(かけづくり、舞台造とも)になっている。本堂は奈良時代の創建後、室町時代の天文5年(1536年)までに計7回焼失している。
現在の本堂は徳川家光公が寄進したもので慶安3年(1650年)に建立されたそうです。 平成16年国宝指定。
舞台の方から見た本堂ですね。
ご本尊は『十一面観世音菩薩』さまで、身の丈がなんと10m以上もあるそうです。
長谷寺の本堂の特徴は、なんといってもこの舞台でしょう。^^
清水寺の舞台みたいデスネ。
やっぱり舞台からの眺めは絶景です。
最高~! ^^
ここに佇んでいると本当に気持ちがいい・・・
裏から見た本堂ですね。
あじさいが綺麗です。^^
長谷寺はまたの名を「花の御寺」と呼ばれていて、春は桜に牡丹、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は寒牡丹と四季折々に花を楽しむことが出来る素敵なお寺なのです。
この日は7/8でしたが、紫陽花の美しさに心奪われてしまいました。^^
本堂まで登ってきましたので、あとはぐるっと廻って降りていきましょう。
【御影堂】
【本長谷寺】
【五重塔】
明治の頃までは三重塔があったみたいで、この五重塔は昭和に建立されたもの・・・
で、こちらが明治まであった三重塔跡ですね。
残念ながら落雷で焼けちゃったんですね・・・。
ずんずん降りていきます。^^
本坊と大講堂の方へ・・・
おっ、センチュリーではありませんか~。^^
管主さまのお車でしょうか。 エコカー全盛の今日、すっかり見なくなってしまいましたね。
大寺院の伽藍とセンチュリー、こんなに似合う車もありませんよね。 この堂々たる存在感、素晴しいです。^^
本堂の舞台が見えますね。
カメさんたちも・・・
シオカラトンボも・・・
暑そうです。^^
すっかり降りてきたあとは・・・
門前を散策~。^^
うろうろと・・・
ニャンコも・・・
暑いニャ~ ^^
で、門前で見つけた美味しいもの~
【あげもち】
これメッチャ美味しいです。
串に刺した海苔を巻いた餅をしょうゆダレをつけて揚げただけなのですが、これが美味しい~。 オススメです。^^
奈良県に来てますので、おみやげに奈良漬を買って帰りました。^^
さすがに本場の奈良漬屋さんだけあって、いろんな種類の奈良漬がありました。
自分は生姜の奈良漬をチョイス。 これもオススメです。^^
大自然に囲まれた室生寺とはまったく違う雰囲気で、「花の御寺」と呼ばれるにふさわしい、紫陽花がとっても美しい長谷寺でした。
桜の美しい春や紅葉が見事な秋にまた来てみたい・・・そんな感じのするお寺でした。^^
室生寺から奈良県桜井市にある『長谷寺』(はせでら)へ・・・
室生寺からはこんな感じのルートで、室生ダムに寄り道してみます。
より大きな地図で 室生寺~長谷寺 を表示
室生寺から長谷寺までは20kmちょっとで近いです。
【室生ダム】
室生ダムは、1974年に名張川の支川 宇陀川に建設された多目的ダムです。 → 詳しくはコチラ
なかなかいい感じのダムです。
ちょうど放流してました・・・
ド迫力です。^^
ちょっと狭いですが、ダムのくねくね道をのんびりと走ります。^^
で、ほどなく長谷寺に到着~。^^
駐車場にバイクを止めて、仁王門へ・・・
長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市にある真言宗豊山派の総本山で、日本でも有数の観音霊場のお寺だそうです。
《クリックすると大きくなるよ》
創建は今から1300年以上前ですか・・・
パンフレットによると、境内の様子はこんな感じです。
それでは、仁王門から登廊(のぼりろう)をのぼりろう。^^
登廊の雰囲気ってやっぱり素晴しいです。 趣きがあるんですよね~。^^
振り返ると・・・
けっこう登ってきましたね。^^
がんばれ~ 本堂はもうすぐだ~。^^
おっ、見えてきたぞ~。
本堂に到着~。^^
それでは国宝本堂の中に入ってみます。
wikiより・・・ 本尊を安置する正堂(しょうどう)、相の間、礼堂(らいどう)から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造(かけづくり、舞台造とも)になっている。本堂は奈良時代の創建後、室町時代の天文5年(1536年)までに計7回焼失している。
現在の本堂は徳川家光公が寄進したもので慶安3年(1650年)に建立されたそうです。 平成16年国宝指定。
舞台の方から見た本堂ですね。
ご本尊は『十一面観世音菩薩』さまで、身の丈がなんと10m以上もあるそうです。
長谷寺の本堂の特徴は、なんといってもこの舞台でしょう。^^
清水寺の舞台みたいデスネ。
やっぱり舞台からの眺めは絶景です。
最高~! ^^
ここに佇んでいると本当に気持ちがいい・・・
裏から見た本堂ですね。
あじさいが綺麗です。^^
長谷寺はまたの名を「花の御寺」と呼ばれていて、春は桜に牡丹、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は寒牡丹と四季折々に花を楽しむことが出来る素敵なお寺なのです。
この日は7/8でしたが、紫陽花の美しさに心奪われてしまいました。^^
本堂まで登ってきましたので、あとはぐるっと廻って降りていきましょう。
【御影堂】
【本長谷寺】
【五重塔】
明治の頃までは三重塔があったみたいで、この五重塔は昭和に建立されたもの・・・
で、こちらが明治まであった三重塔跡ですね。
残念ながら落雷で焼けちゃったんですね・・・。
ずんずん降りていきます。^^
本坊と大講堂の方へ・・・
おっ、センチュリーではありませんか~。^^
管主さまのお車でしょうか。 エコカー全盛の今日、すっかり見なくなってしまいましたね。
大寺院の伽藍とセンチュリー、こんなに似合う車もありませんよね。 この堂々たる存在感、素晴しいです。^^
本堂の舞台が見えますね。
カメさんたちも・・・
シオカラトンボも・・・
暑そうです。^^
すっかり降りてきたあとは・・・
門前を散策~。^^
うろうろと・・・
ニャンコも・・・
暑いニャ~ ^^
で、門前で見つけた美味しいもの~
【あげもち】
これメッチャ美味しいです。
串に刺した海苔を巻いた餅をしょうゆダレをつけて揚げただけなのですが、これが美味しい~。 オススメです。^^
奈良県に来てますので、おみやげに奈良漬を買って帰りました。^^
さすがに本場の奈良漬屋さんだけあって、いろんな種類の奈良漬がありました。
自分は生姜の奈良漬をチョイス。 これもオススメです。^^
大自然に囲まれた室生寺とはまったく違う雰囲気で、「花の御寺」と呼ばれるにふさわしい、紫陽花がとっても美しい長谷寺でした。
桜の美しい春や紅葉が見事な秋にまた来てみたい・・・そんな感じのするお寺でした。^^
大自然との調和が美しい『女人高野 室生寺』 【奈良県宇陀市 室生寺】 [謎の《北緯34度32分》太陽の道]
今回は『謎の《北緯34度32分》太陽の道』の室生寺(むろうじ)に来ています。^^
室生寺は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院です。
ここデス。^^
駐車場にバイクを止めて、室生川沿いを歩きます。
奥深い山と渓谷にかこまれた室生寺辺りはとってもいい雰囲気です。^^
太鼓橋を渡った所に見えてまいりました表門です。
【女人高野 室生寺】
創建は奈良時代の末期で、室生寺が真言宗の寺院となったのは江戸時代の元禄のころのようです。かの高野山は女人禁制だったのに対して、室生寺は女性の参詣が許されていたことから「女人高野」と呼ばれていたそうです。^^
仁王門の方へ歩いていくと、面白そうなもの発見!
【焼却炉】
環境問題等により、今ではすっかり見ることのなくなった『焼却炉』です。 昭和のノスタルジックを感じますね~。^^
この蓋の割れかげんなんて、とってもいい感じですよね~。^^
室生寺の境内はこんな感じデス。^^
まずは仁王門の方へ・・・
落ち着いた朱色ですね。 堂々としたものです。
深い緑と色鮮やかな緑のコントラストが美しいです。^^
石段の鎧坂を上って行くと金堂(平安初期・国宝)がありました。
当時は見事な朱色のようですね・・・ 歴史を感じます。
金堂の左に弥勒堂(鎌倉時代・重文)があります。
金堂左手の石段を上ると・・・
【灌頂堂】 (本堂・鎌倉時代・国宝)
ここは真言密教の最も大切な法儀の「灌頂」を行なうお堂のようです。
ここにあるすべてのものが自然と溶け込んでいます。^^
鎌倉時代後期、延慶元年(1308年)の建立だそうです。柱に刻まれた一つ一つのすじが皺のように感じられて長い年月を忍ばせます。
さらに石段を上ると・・・
【五重塔】 (平安時代初期・国宝)
屋外にある木造五重塔としては法隆寺塔に次いで2番目に古いそうですが、総高16.1mで、屋外に建つ五重塔では最小のものだそうです。日本一高い東寺の五重塔が55mなので、その3分の1ほどの高さデスネ・・・。^^
さて、ここからは奥の院を目指して大自然の石段を上っていきます。
巨大杉の根っこがスゴイです。 樹齢どれ位なのかな・・・。^^
奥深い山の神秘的な雰囲気の中、延々と連なっている石段を見上げると何だか不思議な感じがしてきます。^^
奥ノ院が見えてまいりました。^^
【常燈堂】 (位牌堂)
【御影堂】 (大師堂・鎌倉後期・重文)
奥ノ院からの眺めは素晴しいデス。^^
方角からいって、あの山の向こうに日が沈むのでしょうか・・・。 あの山の向こう・・・「太陽の道」は長谷寺・三輪山へと続きます。^^
「ん!」
放水銃発見!^^
金閣寺以降、こうやって文化財は火災から守られているのですね。 これは自動で放水角度が変えられるヤツかな・・・。^^
さて、室生寺の奥ノ院まで上って来ましたので、あとはゆっくりと下っていきます。
聖域から下界に降りたあとは、門前をのんびりと散策~。^^
”だらにすけ”・・・???
よく見ると「正露丸」のような胃腸薬でした。 その昔、陀羅尼さまが作った胃腸薬なのでしょうか。^^
それにしても、メッチャ暑いのでカキ氷でも食べましょうか~
いや~昭和な感じの喫茶店、最高です!^^
美味しい~。 生き返りますね。^^
大自然に溶け込んだ室生寺は本当に素晴しかったです。
女人高野と呼ばれて、女性の参詣が許されていた室生寺は神秘さと美しさを感じられる素敵なお寺でした。^^
室生寺は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院です。
ここデス。^^
駐車場にバイクを止めて、室生川沿いを歩きます。
奥深い山と渓谷にかこまれた室生寺辺りはとってもいい雰囲気です。^^
太鼓橋を渡った所に見えてまいりました表門です。
【女人高野 室生寺】
創建は奈良時代の末期で、室生寺が真言宗の寺院となったのは江戸時代の元禄のころのようです。かの高野山は女人禁制だったのに対して、室生寺は女性の参詣が許されていたことから「女人高野」と呼ばれていたそうです。^^
仁王門の方へ歩いていくと、面白そうなもの発見!
【焼却炉】
環境問題等により、今ではすっかり見ることのなくなった『焼却炉』です。 昭和のノスタルジックを感じますね~。^^
この蓋の割れかげんなんて、とってもいい感じですよね~。^^
室生寺の境内はこんな感じデス。^^
まずは仁王門の方へ・・・
落ち着いた朱色ですね。 堂々としたものです。
深い緑と色鮮やかな緑のコントラストが美しいです。^^
石段の鎧坂を上って行くと金堂(平安初期・国宝)がありました。
当時は見事な朱色のようですね・・・ 歴史を感じます。
金堂の左に弥勒堂(鎌倉時代・重文)があります。
金堂左手の石段を上ると・・・
【灌頂堂】 (本堂・鎌倉時代・国宝)
ここは真言密教の最も大切な法儀の「灌頂」を行なうお堂のようです。
ここにあるすべてのものが自然と溶け込んでいます。^^
鎌倉時代後期、延慶元年(1308年)の建立だそうです。柱に刻まれた一つ一つのすじが皺のように感じられて長い年月を忍ばせます。
さらに石段を上ると・・・
【五重塔】 (平安時代初期・国宝)
屋外にある木造五重塔としては法隆寺塔に次いで2番目に古いそうですが、総高16.1mで、屋外に建つ五重塔では最小のものだそうです。日本一高い東寺の五重塔が55mなので、その3分の1ほどの高さデスネ・・・。^^
さて、ここからは奥の院を目指して大自然の石段を上っていきます。
巨大杉の根っこがスゴイです。 樹齢どれ位なのかな・・・。^^
奥深い山の神秘的な雰囲気の中、延々と連なっている石段を見上げると何だか不思議な感じがしてきます。^^
奥ノ院が見えてまいりました。^^
【常燈堂】 (位牌堂)
【御影堂】 (大師堂・鎌倉後期・重文)
奥ノ院からの眺めは素晴しいデス。^^
方角からいって、あの山の向こうに日が沈むのでしょうか・・・。 あの山の向こう・・・「太陽の道」は長谷寺・三輪山へと続きます。^^
「ん!」
放水銃発見!^^
金閣寺以降、こうやって文化財は火災から守られているのですね。 これは自動で放水角度が変えられるヤツかな・・・。^^
さて、室生寺の奥ノ院まで上って来ましたので、あとはゆっくりと下っていきます。
聖域から下界に降りたあとは、門前をのんびりと散策~。^^
”だらにすけ”・・・???
よく見ると「正露丸」のような胃腸薬でした。 その昔、陀羅尼さまが作った胃腸薬なのでしょうか。^^
それにしても、メッチャ暑いのでカキ氷でも食べましょうか~
いや~昭和な感じの喫茶店、最高です!^^
美味しい~。 生き返りますね。^^
大自然に溶け込んだ室生寺は本当に素晴しかったです。
女人高野と呼ばれて、女性の参詣が許されていた室生寺は神秘さと美しさを感じられる素敵なお寺でした。^^
甦る古代ロマン ~幻の宮~ 『斎宮』 【三重県明和町 斎宮】 [謎の《北緯34度32分》太陽の道]
今回は《北緯34度32分》太陽の道の旅・・・ 『斎宮』(さいくう) に来ています。
自分は三重県に住んでいながら『斎宮』へは今回が初めての訪問です。 伊勢神宮や鳥羽へはよく行くのですが・・・(笑)
ちなみにこの日は4/29です。^^
というわけで、まずは「斎宮」のことを知るために「斎宮歴史博物館」に行ってみます。^^
「斎宮歴史博物館」・・・緑に囲まれたとっても素敵な博物館ですね。
エントランスもいい感じですね。 女官が迎えてくれます。^^
では展示室へ・・・
【斎宮寮復元模型】
斎宮(さいくう)は「いつきのみや」とも呼ばれていて、飛鳥・奈良時代から660年間の長きに渡って存在した、神に仕える斎王の宮殿と斎宮寮(さいくうりょう)という役所のあったところです。 ・・・ → 詳しくはコチラ
こちらの展示室では斎王制度が整い最も繁栄した平安時代の様子が紹介されています。
華やかですね~。^^
ここでは斎王の居室が原寸大で復元されてます。^^
奥の上位のお方こそ斎王さまですね。^^
斎王は、天皇に代わって伊勢神宮の祭祀をおこなうため、天皇の代替りごとに皇族女性の内親王や女王の中から選ばれて、都から伊勢の斎宮へ遣わされました。
斎宮への出発のとき、天皇は斎王の額髪に小さな櫛を挿し、「都の方におもむきたもうな」と告げます。斎王は、都の方を振り返ることも許されぬまま、出発しなければなりません。
「別れのお櫛」と呼ばれる儀礼ですね。よっぽどのことがない限りは帰ることが許されない別れの旅立ちなんですね。
斎王が伊勢神宮へ赴くのは、1年のうち6月と12月の月次祭と9月の神嘗祭の3回だけなのですが、斎宮では、都に準じた様々な祭祀や年中行事が行われました。
斎宮においても斎王は祈りを捧げる日々を過ごしながら、ときには貝合せをしたり、歌を詠んだり、都と変わらない生活をしていたようです。
おおっ、斎王の食事が再現されていましたよ。^^
《クリックすると大きくなるよ》
美味しそう~。^^
すずき・鯉・鯛の刺身とかサザエの焼き物とか、季節の果物とかお菓子などもありますね。 料理にはあまり下味がついてなくて、つけダレにつけて食べていたようです。^^
さて、ちょっと休憩してから斎宮跡へ行ってみますか。
【コーヒーぜんざい】
パッと見ぜんざいなので、口に入れた瞬間違和感がありますが、あずき入りコーヒーフロートだと思えば普通に美味しいです。(笑)
斎宮歴史博物館のあたりは昭和45年に斎宮跡を最初に発掘した場所で、現在は「古里ひろば」という緑豊かな公園として整備されています。 とっても気持ちいい公園です。^^
《クリックすると大きくなるよ》
「斎宮跡」は、東西約2キロメートル、南北約700メートルに及び、約137ヘクタールもの広大な面積を有しています。
昭和45年(1970年)に始まった発掘調査は40年以上におよび現在も続けられています。
詳しくは・・・ → コチラ
それでは奈良古道を通って「斎宮跡」へ・・・
《クリックすると大きくなるよ》
この奈良古道のあたりも斎宮があった場所なんですね。今ではすっかり畑になっていますが・・・。^^
で、驚いたことに・・・
この辺の畑には木が生えたままなのです。 普通の畑だと木が生えてたら邪魔なので切り倒してしまいますよね。^^
600年以上もの長きに渡って存在した斎宮の跡地に生えた木なので、この辺の方たちにとって斎宮跡の木を切り倒すことはとても畏れ多いのかも・・・。^^
ここに住んでる皆さんの斎王を慕う心と優しさが感じられてとても嬉しくなりました。^^
さて、斎宮跡歴史ロマン広場にやってきました。
斎宮は伊勢神宮への参宮街道沿いにありますが、伊勢神宮内宮へは15kmほどの距離があって、当時の伊勢神宮の勢力範囲「神郡」の西端に位置しています。伊勢神宮にもっと近かったら便利なのにって思いますよね。 何故この位置に斎宮があるのか・・・ 斎王あるいは天皇の威儀を伊勢神宮への行列をもってして示したのではないかとか、神宮との関係のためとか、諸説あるようですがはっきりとはわかっていないようです。
《クリックすると大きくなるよ》
《クリックすると大きくなるよ》
斎宮跡の近くには「櫛田川」の支流「祓川」(はらいがわ)が流れてて、斎王は「祓川」で禊ぎをしてから斎宮に入ったようです。
「櫛田川」は古来「倭姫命」(やまとひめのみこと)が天照大神の鎮座地をもとめて諸国を巡行の際、この地で櫛を落としたことからこの名前が付いたとされるなど「倭姫命」と「天照大神」との関係が深い川です。
斎王が都を出発する際に、天皇から斎王の額髪に小さな櫛を挿してもらう儀式も、「櫛田川」の支流「祓川」で禊ぎを行うのも、伊勢神宮起源伝承で知られる斎王「倭姫命」に関係しているのかもしれません。
個人的にですが斎宮がこの地にある理由は、斎宮から先は神宮の神域で「倭姫命」ゆかりの「櫛田川」の支流「祓川」で禊ぎを行うことに意義があったのではないかなって思います。^^
歴史ロマン広場を歩いているとその広さに驚きます。
何だか平城宮跡へ行ったときのことを思い出しました。 規模はもちろん平城宮跡の方が広いのですが・・・
だって、斎宮跡にも鉄道が横切っているんだもん・・・。(笑)
歴史ロマン広場では10分の1の模型で斎宮が再現されています。
ミニチュアの斎宮もいい感じですね。^^
斎宮跡はとても広いので、「斎王の森」へはバイクで行くことにしました。
【斎王の森】
斎宮は飛鳥・奈良時代から南北朝時代の建武の新政が終わるころまでの660年間存在しましたが、斎宮が廃れたあとは「幻の宮」としての伝承が残るのみでした。ただこの場所だけは斎王の御殿があった場所として「斎王の森」と呼ばれて残されてきたそうです。
この森は旧斎宮村の村有地だったのですが、昭和33年に伊勢神宮に寄付されて、現在は伊勢神宮の神宮司庁が管理しています。
ここの鳥居は黒木の鳥居なんですよね。 驚きました~。^^
自分も丹後の元伊勢内宮と元伊勢外宮でしか見たことありません。
斎宮跡の道沿いには「歴史の道」の歌碑がならんでいました。
斎宮に関係ある歌が並んでいましたが、西行が歌った歌もありました。^^
いつかまた いつきの宮の いつかれて しめのみうちに ちりをはらはん
何時になったら、また斎王が潔斎をなさって、注連がめぐらされた御内に、塵を払ってお仕えになることだろうか。
大河ドラマ「平清盛」で、藤木直人さん演じるモテモテの西行さまが、かつて斎宮へも訪れていたみたいですね。
西行が来たときは、平家滅亡の頃の斎王不在の時代だったようです。斎宮も荒れ果てて塵がかぶってる様子がうかがえますね。
さてさて、Ninja250Rの後ろに見えるのが「いつきのみや歴史体験館」です。
いつきのみや歴史体験館では、斎王たち王朝人の平安時代の遊びや生活文化を体験できるそうですよ~。^^
お休み処で、ちょっと休憩~。
この大吟醸アイスに魅かれましたが、少しアルコール分があるようなので諦めました~。バイクなので・・・。TT
お腹すいたので昼飯ですね~。^^
【伊勢うどんと焼きおにぎり】
伊勢うどんは伊勢に来たときにしか食べてないですね~。
久々の伊勢うどんでしたが、美味しゅうございました~。^^v
幻の宮「斎宮」・・・
かつて存在した幻の宮は長らく人々の記憶から忘れ去られていたけれども、昭和の時代の発掘とともにその存在が垣間見えるようになってきました。
毎年6月の初旬に『斎王まつり』が行われています。今年は6月の2日と3日に行われます。 → コチラ
今年で30回を迎える『斎王まつり』ですが、これからも華やかなりし斎宮のかつての風情を平安絵巻そのままに伝えていってもらいたいものです。^^
《北緯34度32分》太陽の道の旅はこれからも続きます。 あの空の向こうをめざして・・・
自分は三重県に住んでいながら『斎宮』へは今回が初めての訪問です。 伊勢神宮や鳥羽へはよく行くのですが・・・(笑)
ちなみにこの日は4/29です。^^
というわけで、まずは「斎宮」のことを知るために「斎宮歴史博物館」に行ってみます。^^
「斎宮歴史博物館」・・・緑に囲まれたとっても素敵な博物館ですね。
エントランスもいい感じですね。 女官が迎えてくれます。^^
では展示室へ・・・
【斎宮寮復元模型】
斎宮(さいくう)は「いつきのみや」とも呼ばれていて、飛鳥・奈良時代から660年間の長きに渡って存在した、神に仕える斎王の宮殿と斎宮寮(さいくうりょう)という役所のあったところです。 ・・・ → 詳しくはコチラ
こちらの展示室では斎王制度が整い最も繁栄した平安時代の様子が紹介されています。
華やかですね~。^^
ここでは斎王の居室が原寸大で復元されてます。^^
奥の上位のお方こそ斎王さまですね。^^
斎王は、天皇に代わって伊勢神宮の祭祀をおこなうため、天皇の代替りごとに皇族女性の内親王や女王の中から選ばれて、都から伊勢の斎宮へ遣わされました。
斎宮への出発のとき、天皇は斎王の額髪に小さな櫛を挿し、「都の方におもむきたもうな」と告げます。斎王は、都の方を振り返ることも許されぬまま、出発しなければなりません。
「別れのお櫛」と呼ばれる儀礼ですね。よっぽどのことがない限りは帰ることが許されない別れの旅立ちなんですね。
斎王が伊勢神宮へ赴くのは、1年のうち6月と12月の月次祭と9月の神嘗祭の3回だけなのですが、斎宮では、都に準じた様々な祭祀や年中行事が行われました。
斎宮においても斎王は祈りを捧げる日々を過ごしながら、ときには貝合せをしたり、歌を詠んだり、都と変わらない生活をしていたようです。
おおっ、斎王の食事が再現されていましたよ。^^
《クリックすると大きくなるよ》
美味しそう~。^^
すずき・鯉・鯛の刺身とかサザエの焼き物とか、季節の果物とかお菓子などもありますね。 料理にはあまり下味がついてなくて、つけダレにつけて食べていたようです。^^
さて、ちょっと休憩してから斎宮跡へ行ってみますか。
【コーヒーぜんざい】
パッと見ぜんざいなので、口に入れた瞬間違和感がありますが、あずき入りコーヒーフロートだと思えば普通に美味しいです。(笑)
斎宮歴史博物館のあたりは昭和45年に斎宮跡を最初に発掘した場所で、現在は「古里ひろば」という緑豊かな公園として整備されています。 とっても気持ちいい公園です。^^
《クリックすると大きくなるよ》
「斎宮跡」は、東西約2キロメートル、南北約700メートルに及び、約137ヘクタールもの広大な面積を有しています。
昭和45年(1970年)に始まった発掘調査は40年以上におよび現在も続けられています。
詳しくは・・・ → コチラ
それでは奈良古道を通って「斎宮跡」へ・・・
《クリックすると大きくなるよ》
この奈良古道のあたりも斎宮があった場所なんですね。今ではすっかり畑になっていますが・・・。^^
で、驚いたことに・・・
この辺の畑には木が生えたままなのです。 普通の畑だと木が生えてたら邪魔なので切り倒してしまいますよね。^^
600年以上もの長きに渡って存在した斎宮の跡地に生えた木なので、この辺の方たちにとって斎宮跡の木を切り倒すことはとても畏れ多いのかも・・・。^^
ここに住んでる皆さんの斎王を慕う心と優しさが感じられてとても嬉しくなりました。^^
さて、斎宮跡歴史ロマン広場にやってきました。
斎宮は伊勢神宮への参宮街道沿いにありますが、伊勢神宮内宮へは15kmほどの距離があって、当時の伊勢神宮の勢力範囲「神郡」の西端に位置しています。伊勢神宮にもっと近かったら便利なのにって思いますよね。 何故この位置に斎宮があるのか・・・ 斎王あるいは天皇の威儀を伊勢神宮への行列をもってして示したのではないかとか、神宮との関係のためとか、諸説あるようですがはっきりとはわかっていないようです。
《クリックすると大きくなるよ》
《クリックすると大きくなるよ》
斎宮跡の近くには「櫛田川」の支流「祓川」(はらいがわ)が流れてて、斎王は「祓川」で禊ぎをしてから斎宮に入ったようです。
「櫛田川」は古来「倭姫命」(やまとひめのみこと)が天照大神の鎮座地をもとめて諸国を巡行の際、この地で櫛を落としたことからこの名前が付いたとされるなど「倭姫命」と「天照大神」との関係が深い川です。
斎王が都を出発する際に、天皇から斎王の額髪に小さな櫛を挿してもらう儀式も、「櫛田川」の支流「祓川」で禊ぎを行うのも、伊勢神宮起源伝承で知られる斎王「倭姫命」に関係しているのかもしれません。
個人的にですが斎宮がこの地にある理由は、斎宮から先は神宮の神域で「倭姫命」ゆかりの「櫛田川」の支流「祓川」で禊ぎを行うことに意義があったのではないかなって思います。^^
歴史ロマン広場を歩いているとその広さに驚きます。
何だか平城宮跡へ行ったときのことを思い出しました。 規模はもちろん平城宮跡の方が広いのですが・・・
だって、斎宮跡にも鉄道が横切っているんだもん・・・。(笑)
歴史ロマン広場では10分の1の模型で斎宮が再現されています。
ミニチュアの斎宮もいい感じですね。^^
斎宮跡はとても広いので、「斎王の森」へはバイクで行くことにしました。
【斎王の森】
斎宮は飛鳥・奈良時代から南北朝時代の建武の新政が終わるころまでの660年間存在しましたが、斎宮が廃れたあとは「幻の宮」としての伝承が残るのみでした。ただこの場所だけは斎王の御殿があった場所として「斎王の森」と呼ばれて残されてきたそうです。
この森は旧斎宮村の村有地だったのですが、昭和33年に伊勢神宮に寄付されて、現在は伊勢神宮の神宮司庁が管理しています。
ここの鳥居は黒木の鳥居なんですよね。 驚きました~。^^
自分も丹後の元伊勢内宮と元伊勢外宮でしか見たことありません。
斎宮跡の道沿いには「歴史の道」の歌碑がならんでいました。
斎宮に関係ある歌が並んでいましたが、西行が歌った歌もありました。^^
いつかまた いつきの宮の いつかれて しめのみうちに ちりをはらはん
何時になったら、また斎王が潔斎をなさって、注連がめぐらされた御内に、塵を払ってお仕えになることだろうか。
大河ドラマ「平清盛」で、藤木直人さん演じるモテモテの西行さまが、かつて斎宮へも訪れていたみたいですね。
西行が来たときは、平家滅亡の頃の斎王不在の時代だったようです。斎宮も荒れ果てて塵がかぶってる様子がうかがえますね。
さてさて、Ninja250Rの後ろに見えるのが「いつきのみや歴史体験館」です。
いつきのみや歴史体験館では、斎王たち王朝人の平安時代の遊びや生活文化を体験できるそうですよ~。^^
お休み処で、ちょっと休憩~。
この大吟醸アイスに魅かれましたが、少しアルコール分があるようなので諦めました~。バイクなので・・・。TT
お腹すいたので昼飯ですね~。^^
【伊勢うどんと焼きおにぎり】
伊勢うどんは伊勢に来たときにしか食べてないですね~。
久々の伊勢うどんでしたが、美味しゅうございました~。^^v
幻の宮「斎宮」・・・
かつて存在した幻の宮は長らく人々の記憶から忘れ去られていたけれども、昭和の時代の発掘とともにその存在が垣間見えるようになってきました。
毎年6月の初旬に『斎王まつり』が行われています。今年は6月の2日と3日に行われます。 → コチラ
今年で30回を迎える『斎王まつり』ですが、これからも華やかなりし斎宮のかつての風情を平安絵巻そのままに伝えていってもらいたいものです。^^
《北緯34度32分》太陽の道の旅はこれからも続きます。 あの空の向こうをめざして・・・