またまた三国の湊町をぶらぶら・・・ 【福井県 三国湊】 [日記]
明治9年(1876年)九頭竜川河川改修の指導をするため三国を訪れていたオランダ人技師G.A.エッセルは、九頭竜川を綿密に調査し河口に「突堤」を築く計画を立てました。
この突堤は、明治11年(1878年)5月に着工し明治15年(1882年)11月に完成しました。
ちょうどそのころ新しい小学校建設を計画していた三国の人たちは、当地を訪れていたエッセルさんに新しい小学校のデザインを依頼しました。
で、エッセルさんは木造五層八角形という日本人には想像もつかない素敵な校舎をデザインしました。
その名は『龍翔小学校』・・・名付け親は旧福井藩主 松平春嶽公だそうです。^^
明治12年(1879年)に完成したとてもお洒落な龍翔小学校ですが、残念ながら老朽化のため大正期に取り壊されてしまいました。
Ninja250Rは『みくに龍翔館』へ・・・
【みくに龍翔館】 → HP
「みくに龍翔館」は昭和56年(1981年)に三国の歴史や文化遺産を一堂に集めた博物館です。 そしてその外観は、かつての「龍翔小学校」の外観を忠実に復元したものだそうです。^^
百年以上の昔にこんな素敵な小学校があったのですね・・・。
五階建て八角形の木造校舎って、西洋風の天守閣みたいです。でも残念ながら現在の「みくに翔龍館」は、鉄筋コンクリート製です・・・。^^
「みくに翔龍館」の中はというと・・・
三国の歴史や文学などが展示されています。中央には北前船のベザイ船とよばれるタイプの5分の1模型が展示されてました。^^
4階にはトリックアートが常設展示されてます。
【上昇と下降】 M.C.エッシャー作
M.C.エッシャー作のこのだまし絵をご存知の方も多いと思いますが、三国港突堤や翔龍小学校をデザインしたG.A.エッセルはトリックアートで有名なM.C.エッシャーのお父さんなのでした~。 驚きデス。^^
ベランダから三国の街を見てみた・・・
九頭竜川の河口に見えるのが、三国港突堤ですね。こうしてみると河口は九頭竜川の雄大な流れと日本海の荒波がまともにぶつかり合う場所ですね。それを突堤がうまいこと日本海へ流してるようです。^^
みくに翔龍館の周りをぐるっと回ってみます・・・
かつて存在した素敵なデザインの小学校・・・ とってもいい感じです。^^
さてさて、みくに翔龍館を後にして、三国湊町を歩いてみた・・・
江戸時代から明治初期にかけて北前船交易で繁栄した三国湊町。今もかつての面影が随所に残っています。
三国出身の作家「高見 順」の生家デス。^^
文学にはまるで疎いので「高見 順」って知らなかったのですが、その生い立ちはドラマティック。まるで小説を地で行くような感じですね。 → 詳しくはコチラ
江戸時代、三国湊は日本海屈指の北前船の港として大変栄えました。そう、港といえば・・・色里かな・・・ ^^
【思案橋】
北国一の三国の遊郭、かつての出村遊郭の入口にあたります。
観光パンフレットを見てみると、「遊郭に行こうか帰ろうかと思案したところということで『思案橋』と呼ばれている。」なんてありました。 ん、これって長崎のお話だったような気が・・・ (笑)
遊郭って時代劇の中でしか見たことないけど、多くの人で賑わっていたのでしょうね。
「哥川」さん、とっても綺麗な人ですね。 容色麗しく、気品をそなえ・・・ぜひ会ってみたいです。
でも、行こか戻ろか思案するかも・・・。(笑)
【永正寺】
白い鐘楼門が印象的ですね。このお寺は「哥川」さんの菩提寺だそうです。
【旧 森田銀行本店】
江戸期に廻船問屋として財をなした森田家は明治半ばに森田銀行を設立しました。この本店は大正9年(1920年)に建てられたものだそうです。
お金持ちしか入れない貴賓室。 素敵ですね~。 やっぱり庶民には縁遠いお部屋です。^^
九頭竜川の港へ出てみた。
もうすぐ日が沈みますね。越前の海岸は夕陽が綺麗なところで有名です。今日は綺麗な夕陽が見れるかな・・・。
というわけで、またまた突堤にやってきた。
残念ながら雲がかかっていて綺麗な夕陽は見れませんでした。相変わらず突堤は大荒れです。
三国湊は素敵な町でした。今回は時間がなくて行けなかったところもたくさんありますので、ぜひまた訪れてみたいと思います。
さて、帰るとしますか・・・
【南条サービスエリア】
流石は福井県のサービスエリアです。恐竜ディスプレイが素敵です。^^
実はこの日は時間がなくて、丸岡城の「お仙ソフト」しか食べてません。腹へった~。
海鮮丼も美味そうだし、越前おろし蕎麦も食べてみたい・・・
というわけで、海鮮丼とおろし蕎麦のセットメニュー~。^^
う~ん、美味しかった~。幸せ~。^^
この突堤は、明治11年(1878年)5月に着工し明治15年(1882年)11月に完成しました。
ちょうどそのころ新しい小学校建設を計画していた三国の人たちは、当地を訪れていたエッセルさんに新しい小学校のデザインを依頼しました。
で、エッセルさんは木造五層八角形という日本人には想像もつかない素敵な校舎をデザインしました。
その名は『龍翔小学校』・・・名付け親は旧福井藩主 松平春嶽公だそうです。^^
明治12年(1879年)に完成したとてもお洒落な龍翔小学校ですが、残念ながら老朽化のため大正期に取り壊されてしまいました。
Ninja250Rは『みくに龍翔館』へ・・・
【みくに龍翔館】 → HP
「みくに龍翔館」は昭和56年(1981年)に三国の歴史や文化遺産を一堂に集めた博物館です。 そしてその外観は、かつての「龍翔小学校」の外観を忠実に復元したものだそうです。^^
百年以上の昔にこんな素敵な小学校があったのですね・・・。
五階建て八角形の木造校舎って、西洋風の天守閣みたいです。でも残念ながら現在の「みくに翔龍館」は、鉄筋コンクリート製です・・・。^^
「みくに翔龍館」の中はというと・・・
三国の歴史や文学などが展示されています。中央には北前船のベザイ船とよばれるタイプの5分の1模型が展示されてました。^^
4階にはトリックアートが常設展示されてます。
【上昇と下降】 M.C.エッシャー作
M.C.エッシャー作のこのだまし絵をご存知の方も多いと思いますが、三国港突堤や翔龍小学校をデザインしたG.A.エッセルはトリックアートで有名なM.C.エッシャーのお父さんなのでした~。 驚きデス。^^
ベランダから三国の街を見てみた・・・
九頭竜川の河口に見えるのが、三国港突堤ですね。こうしてみると河口は九頭竜川の雄大な流れと日本海の荒波がまともにぶつかり合う場所ですね。それを突堤がうまいこと日本海へ流してるようです。^^
みくに翔龍館の周りをぐるっと回ってみます・・・
かつて存在した素敵なデザインの小学校・・・ とってもいい感じです。^^
さてさて、みくに翔龍館を後にして、三国湊町を歩いてみた・・・
江戸時代から明治初期にかけて北前船交易で繁栄した三国湊町。今もかつての面影が随所に残っています。
三国出身の作家「高見 順」の生家デス。^^
文学にはまるで疎いので「高見 順」って知らなかったのですが、その生い立ちはドラマティック。まるで小説を地で行くような感じですね。 → 詳しくはコチラ
江戸時代、三国湊は日本海屈指の北前船の港として大変栄えました。そう、港といえば・・・色里かな・・・ ^^
【思案橋】
北国一の三国の遊郭、かつての出村遊郭の入口にあたります。
観光パンフレットを見てみると、「遊郭に行こうか帰ろうかと思案したところということで『思案橋』と呼ばれている。」なんてありました。 ん、これって長崎のお話だったような気が・・・ (笑)
遊郭って時代劇の中でしか見たことないけど、多くの人で賑わっていたのでしょうね。
「哥川」さん、とっても綺麗な人ですね。 容色麗しく、気品をそなえ・・・ぜひ会ってみたいです。
でも、行こか戻ろか思案するかも・・・。(笑)
【永正寺】
白い鐘楼門が印象的ですね。このお寺は「哥川」さんの菩提寺だそうです。
【旧 森田銀行本店】
江戸期に廻船問屋として財をなした森田家は明治半ばに森田銀行を設立しました。この本店は大正9年(1920年)に建てられたものだそうです。
お金持ちしか入れない貴賓室。 素敵ですね~。 やっぱり庶民には縁遠いお部屋です。^^
九頭竜川の港へ出てみた。
もうすぐ日が沈みますね。越前の海岸は夕陽が綺麗なところで有名です。今日は綺麗な夕陽が見れるかな・・・。
というわけで、またまた突堤にやってきた。
残念ながら雲がかかっていて綺麗な夕陽は見れませんでした。相変わらず突堤は大荒れです。
三国湊は素敵な町でした。今回は時間がなくて行けなかったところもたくさんありますので、ぜひまた訪れてみたいと思います。
さて、帰るとしますか・・・
【南条サービスエリア】
流石は福井県のサービスエリアです。恐竜ディスプレイが素敵です。^^
実はこの日は時間がなくて、丸岡城の「お仙ソフト」しか食べてません。腹へった~。
海鮮丼も美味そうだし、越前おろし蕎麦も食べてみたい・・・
というわけで、海鮮丼とおろし蕎麦のセットメニュー~。^^
う~ん、美味しかった~。幸せ~。^^