の~んびり【彦根~米原】満喫ツーリング 前編 【滋賀県 彦根市 多賀大社】 [日記]
秋も深まってまいりました今日この頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。^^
今回は9/18に滋賀県の彦根から米原へ遊びに行ったときの記事です。
三重県いなべ市の国道306号線を鞍掛峠を越えて、滋賀県へ・・・
鞍掛峠から国道306号線を下りきったところにある多賀大社に寄り道~。^^
さすがに大社とよばれるにふさわしい風格です。^^
御由緒を見てみると・・・
御祭神は『伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)』と『伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)』ですね。
天照大神のお父さんとお母さんですね。^^
ここの地名も多賀。奈良時代の「古事記」に登場するぐらい古い神社みたいです。
多賀大社に寄り道したのがちょうどお昼ごろだったので、蕎麦でも食べますか~。^^
多賀名物、その名も 『寿命そば』
自分は天ぷらそばにしました。これを食べると長生き出来そうだ~。^^
多賀大社の参道もいい感じです。^^
笑う門に福来る・・・ 『笑門』 こんな感じ、いいなあ。^^
おっと、名物らしきお餅を発見!
この「糸切餅」の歴史は古く、鎌倉時代の元寇の後、人々は平和が訪れたことに感謝して団子を作って多賀神社にお供えしました。糸切餅は、蒙古軍の旗印になぞらえた線を引き、平和を願い刃物ではなく弓のつるで切って作ったそうです。
ここに座って糸切餅を食べていると、元寇ってはるか彼方の九州の昔話のように感じるけど、二回目の弘安の役の時には彼の地に25万騎が集結し、総力をあげた戦いが行なわれたのですね。そして神風が吹いた・・・
なんて、歴史ロマンに思いを馳せながら、地酒のお店へ・・・
自分はラムネでも・・・
ラムネって普段はあまり飲みませんが、こんな雰囲気のいいところへ来ると飲みたくなりますね。^^
おみやげに地酒を購入~ ^^
清酒 【多賀】
鈴鹿山系からの水と良質の近江米でつくられた銘酒、延寿のお酒として多賀大社の神事にも使われるそうです。
さてさて、多賀大社に戻りまして・・・
興味深い建物を見つけました。
【文庫】
ここ多賀大社がある多賀は、江戸期は彦根藩の領地でした。
彦根藩といえば、幕末に大老を務め「桜田門外の変」で暗殺された「井伊直弼」を思い浮かべますが、この説明文によりますと「桜田門外の変」の後は彦根藩は勤皇となったみたいですね。
で、この文庫の中で多賀大社の神職の人が奔走して、長州や土佐の勤皇の志士たちと密議を行なったとあります。
彦根藩が勤皇へと変わっていった背景には、「桜田門外の変」以降の彦根藩への扱いに不満があったからと言われていますが、もし彦根藩が勤皇へと変わらなければ、彦根は戦場となって国宝「彦根城」も残っていなかったかもしれませんね。
興味深いなぁ・・・ ^^
さ~て、KSRは多賀大社を後にして、彦根駅へと向かいました。
この続きはまた次回ということで・・・ ^^
ええっ、もう終りなのですか・・・
そうなのです。 では、またね~。^^
今回は9/18に滋賀県の彦根から米原へ遊びに行ったときの記事です。
三重県いなべ市の国道306号線を鞍掛峠を越えて、滋賀県へ・・・
鞍掛峠から国道306号線を下りきったところにある多賀大社に寄り道~。^^
さすがに大社とよばれるにふさわしい風格です。^^
御由緒を見てみると・・・
御祭神は『伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)』と『伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)』ですね。
天照大神のお父さんとお母さんですね。^^
ここの地名も多賀。奈良時代の「古事記」に登場するぐらい古い神社みたいです。
多賀大社に寄り道したのがちょうどお昼ごろだったので、蕎麦でも食べますか~。^^
多賀名物、その名も 『寿命そば』
自分は天ぷらそばにしました。これを食べると長生き出来そうだ~。^^
多賀大社の参道もいい感じです。^^
笑う門に福来る・・・ 『笑門』 こんな感じ、いいなあ。^^
おっと、名物らしきお餅を発見!
この「糸切餅」の歴史は古く、鎌倉時代の元寇の後、人々は平和が訪れたことに感謝して団子を作って多賀神社にお供えしました。糸切餅は、蒙古軍の旗印になぞらえた線を引き、平和を願い刃物ではなく弓のつるで切って作ったそうです。
ここに座って糸切餅を食べていると、元寇ってはるか彼方の九州の昔話のように感じるけど、二回目の弘安の役の時には彼の地に25万騎が集結し、総力をあげた戦いが行なわれたのですね。そして神風が吹いた・・・
なんて、歴史ロマンに思いを馳せながら、地酒のお店へ・・・
自分はラムネでも・・・
ラムネって普段はあまり飲みませんが、こんな雰囲気のいいところへ来ると飲みたくなりますね。^^
おみやげに地酒を購入~ ^^
清酒 【多賀】
鈴鹿山系からの水と良質の近江米でつくられた銘酒、延寿のお酒として多賀大社の神事にも使われるそうです。
さてさて、多賀大社に戻りまして・・・
興味深い建物を見つけました。
【文庫】
ここ多賀大社がある多賀は、江戸期は彦根藩の領地でした。
彦根藩といえば、幕末に大老を務め「桜田門外の変」で暗殺された「井伊直弼」を思い浮かべますが、この説明文によりますと「桜田門外の変」の後は彦根藩は勤皇となったみたいですね。
で、この文庫の中で多賀大社の神職の人が奔走して、長州や土佐の勤皇の志士たちと密議を行なったとあります。
彦根藩が勤皇へと変わっていった背景には、「桜田門外の変」以降の彦根藩への扱いに不満があったからと言われていますが、もし彦根藩が勤皇へと変わらなければ、彦根は戦場となって国宝「彦根城」も残っていなかったかもしれませんね。
興味深いなぁ・・・ ^^
さ~て、KSRは多賀大社を後にして、彦根駅へと向かいました。
この続きはまた次回ということで・・・ ^^
ええっ、もう終りなのですか・・・
そうなのです。 では、またね~。^^