舞鶴の海軍記念館へ行ってみようツーリング 【京都府 舞鶴 海軍記念館】 [日記]
は~い、皆さんお元気ですか~。^^
今回の記事は舞鶴の海軍記念館へ行ったときのツーリング記事です。
この日は4月16日でしたが、気温11℃位でちょっと肌寒かったですね。
高速に乗り、サービスエリアですぐに休憩~。(笑)
桜が綺麗だ~。ここにはまだ、桜が残ってましたね。^^
でも・・・
花よりだんご~ ← ちょっとやってみたかったんですよね~ (笑)
福井県の敦賀で高速を降り、舞鶴を目指して西へ・・・
若狭美浜の海だ~ ^^
あ~なんか春の海だね・・・^^
ザッパ~ン~
それでは・・・
行きますか・・・
福井県ではパトカーに先導してもらいVIPな気分~ ^^
小浜西から無料化実験中の舞鶴若狭自動車道に乗り舞鶴へ・・・
そして、東舞鶴の海上自衛隊 北吸桟橋の前に到着~。^^
普段の土日なら中に入って見学することが出来ますが・・・
災害派遣のため、今回は見学することが出来ません。
ただ、ゴールデンウィークの5/3~5/5の間は、岸壁からの見学は出来るみたいですよ。^^
なので、塀の外から自衛艦を激写~
写真撮ってる姿はまるで怪しい人なんですけどね~。(笑)
今回は中に入って見学する事は出来ませんでしたが、ソニックマイヅルさまの情報によれば、東舞鶴から出ている観光船に乗れば海から自衛艦を見ることが出来るそうなので後で行ってみます。^^
それでは今回の目的地の海軍記念館へGo!
海軍記念館は海上自衛隊 舞鶴地方総監部の中にあり、北吸桟橋から道路はさんですぐ近くにあります。
正門で受付して、見学証をもらいます。
そして、歩いて敷地の中にある海軍記念館へ・・・
歴史と伝統を感じさせてくれる、その趣はとても美しいです。
舞鶴湾は湾口が狭く、水深も深く、地形にも水資源にも恵まれていて、軍港としては格好の場所だったため、日本海軍は明治34年(1901年)に舞鶴鎮守府を開設しました。そして、その初代司令長官はあの東郷平八郎元帥(当時中将)でした。
大正12年(1923年)に発生した関東大震災により、横須賀の海軍機関学校が被災したため、江田島を経て舞鶴に機関学校が移されました。そう、その場所がここなのです。
手前のレンガ造りの建物がかつて海軍機関学校庁舎だった建物です。現在は海上自衛隊舞鶴地方総監部第一庁舎となっております。
そして、奥の白い建物が海軍機関学校生徒館だった建物で、現在は海上自衛隊第四術科学校庁舎として使われています。
桜がとても似合います。でも、ここの桜は凛とした美しさですね。^^
では海軍記念館へ行ってみましょう。
玄関から真正面におわすお方こそ、誰あろう・・・
舞鶴鎮守府の初代長官 東郷元帥です。^^
その後、連合艦隊司令長官となって日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊を撃破しました。
ここ海軍記念館は展示物の写真撮影は出来ませんので写真はありませんが、東郷平八郎元帥に関する資料の他に、旧日本海軍の資料などが展示されていて、とても興味深く拝見させていただきました。
海軍記念館の奥に舞鶴地方総監部大講堂(旧海軍機関学校大講堂)がありましたので、ここは写真に撮っときました。^^
やっぱり海軍さんはハイカラですね・・・。^^
以前、明治村に行った時のブログ記事で、肉じゃがの誕生の影に東郷元帥ありというエピソードに触れました。
東郷平八郎がイギリス留学中に食べたビーフシチューの味が忘れられず、日本へ帰国後、艦上食として作らせようとしたけれど失敗してしまった・・・。ワインもドミグラスソースも無く、そもそも命じられた料理長はビーフシチューなど知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが肉じゃがの始まりと言われています。^^
さて、お次はその東郷平八郎元帥ゆかりの肉じゃが料理を求めて、赤レンガ倉庫へ行ってみます。^^
ここ赤レンガ倉庫群はかつては日本海軍の武器などが納められていた倉庫で、その一部が博物館や記念館としてリニューアルされて使用されています。
自分が行ったときは赤レンガ倉庫の周りは工事中でした。赤レンガパークとして整備されるようですね。
リニューアルオープンが楽しみです。^^
では赤レンガcafe jazzへ行きましょう・・・
ここは東郷元帥ゆかりの肉じゃがと海軍カレーが味わえるお店です。
正直、海軍カレーにも心揺れましたが、やっぱりここは海軍肉じゃが丼にしました。^^
お肉が柔らかくて美味しい~。^^
さてさて、東郷元帥ゆかりの肉じゃがですが、広島県の呉市と舞鶴市とで、肉じゃが発祥の地を巡って論争があるのをご存知でしょうか・・・。
舞鶴は東郷平八郎が初めて司令長官として赴任したのが舞鶴鎮守府であり、現存する最古の肉じゃがのレシピが残っているから舞鶴が発祥の地だよっていうことですし、呉市は東郷平八郎が舞鶴赴任より10年も前に呉鎮守府の参謀長として赴任していたからこっちが発祥の地なんだよって言ってますし、よくワカリマセン。(笑)
現在では「舞鶴・呉の双方が発祥地」となっているようで、メデタシメデタシ・・・。^^
お腹がいっぱいになったところで、近くで開かれていたこちらを覗いてみました。
舞鶴でも地震のためのチャリティ活動が盛んなようです。
自分も参加してきました。少しでも力になれれば・・・^^
さてと、この後は遊覧船にのって舞鶴湾クルーズで海から自衛艦を見に行きます。
桟橋の方へとてくてくと・・・
「ん・・・」
「えっ、最終が12時30分~」 「終わってるじゃん・・・」 TT
やっちゃった~、最初にここに来るべきだった~。
まあ、よくやっちゃうことなのでしょうがないですね。是非に及ばず~。
この次に舞鶴へ行ったときのお楽しみですね。^^
さてさて、東舞鶴から西舞鶴へ、今回は海の方を通ってみました。
長浜~ ^^
舞鶴国際埠頭の方へ行ってみます・・・
舞鶴のキリンさんとツーショット。^^
おやっ、面白いもの発見!
昔は海の神様を祀る祠だったみたいですね。
でも今は・・・
鳥さんたちのコロニーになっているようです。デッカイ巣箱に見えなくはないですよね・・・ ^^
西舞鶴へ走っていると桜の綺麗な公園が見えました。
「匂崎公園」ですね。
展望台の方へ・・・
桜はもう散りかけていますが、とても綺麗ですね。
舞鶴湾の西港はその昔「笛ヶ浦」と呼ばれていて、心安らぐ景勝地として親しまれてきたそうです。
「匂崎公園」近くの水無月神社あたりをうろうろと・・・
こんな感じの船溜りっていいなあ。^^
そしてやってきました田辺城~
田辺城の中は舞鶴公園になっていますが、このときはリニューアル工事中でしたね。
田辺城の狭間からの風景~ ^^
田辺城の狭間から見える明倫小学校へ・・・
ここは明倫館という藩校だったところです。風格のある校門が残っていますね。
塀の向こうには田辺城が見え、かつての風景が感じられるところです。^^
さて、せっかく舞鶴に来てますので、お楽しみの「こうちゃん」のラーメンを食べて帰ります。
でも、オープンが午後6時からなので、しばし待つのだ~。
あ~っ、やっぱり美味しい~。絶品で~す。また、食べに来よ~っと。 ^^
帰り着く頃はすっかり遅くなりました。^^
では、また。
今回の記事は舞鶴の海軍記念館へ行ったときのツーリング記事です。
この日は4月16日でしたが、気温11℃位でちょっと肌寒かったですね。
高速に乗り、サービスエリアですぐに休憩~。(笑)
桜が綺麗だ~。ここにはまだ、桜が残ってましたね。^^
でも・・・
花よりだんご~ ← ちょっとやってみたかったんですよね~ (笑)
福井県の敦賀で高速を降り、舞鶴を目指して西へ・・・
若狭美浜の海だ~ ^^
あ~なんか春の海だね・・・^^
ザッパ~ン~
それでは・・・
行きますか・・・
福井県ではパトカーに先導してもらいVIPな気分~ ^^
小浜西から無料化実験中の舞鶴若狭自動車道に乗り舞鶴へ・・・
そして、東舞鶴の海上自衛隊 北吸桟橋の前に到着~。^^
普段の土日なら中に入って見学することが出来ますが・・・
災害派遣のため、今回は見学することが出来ません。
ただ、ゴールデンウィークの5/3~5/5の間は、岸壁からの見学は出来るみたいですよ。^^
なので、塀の外から自衛艦を激写~
写真撮ってる姿はまるで怪しい人なんですけどね~。(笑)
今回は中に入って見学する事は出来ませんでしたが、ソニックマイヅルさまの情報によれば、東舞鶴から出ている観光船に乗れば海から自衛艦を見ることが出来るそうなので後で行ってみます。^^
それでは今回の目的地の海軍記念館へGo!
海軍記念館は海上自衛隊 舞鶴地方総監部の中にあり、北吸桟橋から道路はさんですぐ近くにあります。
正門で受付して、見学証をもらいます。
そして、歩いて敷地の中にある海軍記念館へ・・・
歴史と伝統を感じさせてくれる、その趣はとても美しいです。
舞鶴湾は湾口が狭く、水深も深く、地形にも水資源にも恵まれていて、軍港としては格好の場所だったため、日本海軍は明治34年(1901年)に舞鶴鎮守府を開設しました。そして、その初代司令長官はあの東郷平八郎元帥(当時中将)でした。
大正12年(1923年)に発生した関東大震災により、横須賀の海軍機関学校が被災したため、江田島を経て舞鶴に機関学校が移されました。そう、その場所がここなのです。
手前のレンガ造りの建物がかつて海軍機関学校庁舎だった建物です。現在は海上自衛隊舞鶴地方総監部第一庁舎となっております。
そして、奥の白い建物が海軍機関学校生徒館だった建物で、現在は海上自衛隊第四術科学校庁舎として使われています。
桜がとても似合います。でも、ここの桜は凛とした美しさですね。^^
では海軍記念館へ行ってみましょう。
玄関から真正面におわすお方こそ、誰あろう・・・
舞鶴鎮守府の初代長官 東郷元帥です。^^
その後、連合艦隊司令長官となって日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊を撃破しました。
ここ海軍記念館は展示物の写真撮影は出来ませんので写真はありませんが、東郷平八郎元帥に関する資料の他に、旧日本海軍の資料などが展示されていて、とても興味深く拝見させていただきました。
海軍記念館の奥に舞鶴地方総監部大講堂(旧海軍機関学校大講堂)がありましたので、ここは写真に撮っときました。^^
やっぱり海軍さんはハイカラですね・・・。^^
以前、明治村に行った時のブログ記事で、肉じゃがの誕生の影に東郷元帥ありというエピソードに触れました。
東郷平八郎がイギリス留学中に食べたビーフシチューの味が忘れられず、日本へ帰国後、艦上食として作らせようとしたけれど失敗してしまった・・・。ワインもドミグラスソースも無く、そもそも命じられた料理長はビーフシチューなど知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが肉じゃがの始まりと言われています。^^
さて、お次はその東郷平八郎元帥ゆかりの肉じゃが料理を求めて、赤レンガ倉庫へ行ってみます。^^
ここ赤レンガ倉庫群はかつては日本海軍の武器などが納められていた倉庫で、その一部が博物館や記念館としてリニューアルされて使用されています。
自分が行ったときは赤レンガ倉庫の周りは工事中でした。赤レンガパークとして整備されるようですね。
リニューアルオープンが楽しみです。^^
では赤レンガcafe jazzへ行きましょう・・・
ここは東郷元帥ゆかりの肉じゃがと海軍カレーが味わえるお店です。
正直、海軍カレーにも心揺れましたが、やっぱりここは海軍肉じゃが丼にしました。^^
お肉が柔らかくて美味しい~。^^
さてさて、東郷元帥ゆかりの肉じゃがですが、広島県の呉市と舞鶴市とで、肉じゃが発祥の地を巡って論争があるのをご存知でしょうか・・・。
舞鶴は東郷平八郎が初めて司令長官として赴任したのが舞鶴鎮守府であり、現存する最古の肉じゃがのレシピが残っているから舞鶴が発祥の地だよっていうことですし、呉市は東郷平八郎が舞鶴赴任より10年も前に呉鎮守府の参謀長として赴任していたからこっちが発祥の地なんだよって言ってますし、よくワカリマセン。(笑)
現在では「舞鶴・呉の双方が発祥地」となっているようで、メデタシメデタシ・・・。^^
お腹がいっぱいになったところで、近くで開かれていたこちらを覗いてみました。
舞鶴でも地震のためのチャリティ活動が盛んなようです。
自分も参加してきました。少しでも力になれれば・・・^^
さてと、この後は遊覧船にのって舞鶴湾クルーズで海から自衛艦を見に行きます。
桟橋の方へとてくてくと・・・
「ん・・・」
「えっ、最終が12時30分~」 「終わってるじゃん・・・」 TT
やっちゃった~、最初にここに来るべきだった~。
まあ、よくやっちゃうことなのでしょうがないですね。是非に及ばず~。
この次に舞鶴へ行ったときのお楽しみですね。^^
さてさて、東舞鶴から西舞鶴へ、今回は海の方を通ってみました。
長浜~ ^^
舞鶴国際埠頭の方へ行ってみます・・・
舞鶴のキリンさんとツーショット。^^
おやっ、面白いもの発見!
昔は海の神様を祀る祠だったみたいですね。
でも今は・・・
鳥さんたちのコロニーになっているようです。デッカイ巣箱に見えなくはないですよね・・・ ^^
西舞鶴へ走っていると桜の綺麗な公園が見えました。
「匂崎公園」ですね。
展望台の方へ・・・
桜はもう散りかけていますが、とても綺麗ですね。
舞鶴湾の西港はその昔「笛ヶ浦」と呼ばれていて、心安らぐ景勝地として親しまれてきたそうです。
「匂崎公園」近くの水無月神社あたりをうろうろと・・・
こんな感じの船溜りっていいなあ。^^
そしてやってきました田辺城~
田辺城の中は舞鶴公園になっていますが、このときはリニューアル工事中でしたね。
田辺城の狭間からの風景~ ^^
田辺城の狭間から見える明倫小学校へ・・・
ここは明倫館という藩校だったところです。風格のある校門が残っていますね。
塀の向こうには田辺城が見え、かつての風景が感じられるところです。^^
さて、せっかく舞鶴に来てますので、お楽しみの「こうちゃん」のラーメンを食べて帰ります。
でも、オープンが午後6時からなので、しばし待つのだ~。
あ~っ、やっぱり美味しい~。絶品で~す。また、食べに来よ~っと。 ^^
帰り着く頃はすっかり遅くなりました。^^
では、また。