SSブログ

世界遺産『白川郷』と悲劇の城『帰雲城』 [歴史ロマンシリーズ]

世界遺産の『白川郷』合掌造り集落は岐阜県北部の庄川流域にあります。

世界遺産の白川郷はココ_R.jpg



とても美しい合掌造りの萱葺き屋根の民家は訪れる人の心を魅きつけます。

IMG_2578_R.JPG

IMG_2563_R.JPG

IMG_2488_R.JPG

IMG_2615_R.JPG

IMG_2586_R.JPG

IMG_2788_R.JPG



『白川郷』といえば城山展望台から撮った写真が有名ですが・・・

IMG_2648_R.JPG



ここは、その名のとおり、かつて存在した荻町城(おぎまちじょう)の城跡なのです。

IMG_2660_R.JPG

【堀切】IMG_2651_R.JPG

【土塁】IMG_2654_R.JPG

【本丸跡】IMG_2675_R.JPG

IMG_2671_R.JPG

IMG_2673_R.JPG

築城年代は未詳ですが、南北朝時代に南朝の公家達が隠れ住んだ城だと言われています。

江戸期は天領だった白川郷ですが、戦国期の荻町城はこの地を支配していた内ヶ島氏の支城として、家臣の山下氏が代々居城としていました。



白川郷にいつ頃から人が住むようになったのか定かではありませんが、源平合戦の初期に、越中倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲に敗れた平氏の落ち武者が住み着いたと言われています。

もともと白川郷をはじめ飛騨の多くは、白山信仰を中心とする天台系密教の強い地域でありました。そんな中、鎌倉初期の建長5年(1253年)親鸞聖人の弟子である嘉念坊善俊上人が庄川沿いに浄土真宗の布教を行います。

【嘉念坊善俊上人】IMG_4471_R.JPG

白川郷の鳩ヶ谷に道場を構えた善俊上人は熱心に教えを説き、次第に農民たちの間に浄土真宗が広まってゆきます。


一方、寛政元年(1460年)信州より内ヶ島氏が進出して白川一帯を治める豪族になりました。内ヶ島氏は庄川流域で金鉱山を経営し、農業に向かない乏しい土地ながら、大きな勢力を誇りました。豊富な金銀資源によって繁栄し、足利義政の「銀閣寺」造営のための献金をするほどだったといわれています。内ヶ島氏の居城は、現在の岐阜県大野郡白川村保木脇(ほきわき)にあったとされる『帰雲城』(かえりくもじょう)でした。

当時、越前や加賀、越中といった北陸諸国では真宗門徒が武家勢力を追い出し、農民が実権を奪い取る一向一揆が猛威を振るっていた時代でした。

白川郷でも浄土真宗のもとで団結した農民たちと領主の内ヶ島氏は激しく対立し、数度にわたって武力衝突しますが、本願寺・蓮如上人の仲裁で和解し、それ以降は共存共栄を図ることになりました。



白川郷は陸の孤島と呼ばれ攻め難く守りやすい地域であった為、戦国期内ヶ島氏の支配は120年続きます。

しかし織田信長が本能寺で討たれ、時代は豊臣秀吉の世と成りつつありました。


時の内ヶ島氏理は越中の佐々成政と関係を通じていたため、天正13年(1585年)秀吉による「富山の役」では佐々成政の援軍として越中に赴いていました。

天正13年(1585年)閏8月、豊臣秀吉は配下の武将・金森長近に飛騨侵攻を命じ、金森長近の軍勢は越前から白山の山脈を越えて飛騨を攻撃しました。

内ヶ島氏理はただちに飛騨へ戻りましたが、金森長近は浄土真宗の照蓮寺勢力と手を結んだため、内ヶ島氏理はたまらず降伏します。

金森長近は内ヶ島氏の金銀資源に目を付けたのか、内ヶ島氏理の所領を安堵し居城の帰雲城に帰してやります。



そして、運命の天正13年(1585年)11月29日(旧暦)がやって来ます。

この時、帰雲城では所領安堵の祝いとして、能役者を招き、宴を催していたといわれています。

そして夜半、東海・北陸・近畿地方などを襲った巨大地震により、帰雲山に大崩落が起こり、帰雲城とその城下集落が一瞬にして埋没したと伝えられています。

【帰雲城址】(かえりくもじょうあと)
IMG_4235_R.JPG

IMG_4257_R.JPG

この時の巨大地震はM8.0~M8.1とも言われ、帰雲城は、内ヶ島一族、在家三百余軒、男女数百人とともに、埋没してしまったそうです。

450年近く経った今日でも、帰雲山の大崩落ははっきりと見て取れます。阪神・淡路大震災の時はM7.3、関東大震災の時はM7.9ですので、それ以上の、わが国の内陸直下地震としては最大規模の大地震だったみたいです。

越中では木舟城が倒壊し、前田利家の弟である城主の前田秀継夫妻など多数が圧死しました。美濃では、大垣城が崩れ焼失、城下で多数の家屋が倒壊し、また近江では、山内一豊の居城である長浜城が全壊し、一豊と千代との間に生まれた一人娘で、6歳になる与弥姫が、乳母とともに圧死したそうです。



戦国期に白川郷を支配した内ヶ島氏が、各地に多大な被害をもたらしたこの「天正大地震」により、一瞬のうちに滅亡した事実を知ったとき愕然としました。

敵に攻め滅ぼされ歴史から消えていった戦国武将はあまたいますが、巨大地震によりその居城、一族、城下町もろとも一瞬に消えていった戦国武将は、内ヶ島氏理だけでしょう。

内ヶ島氏はその豊富な金銀資源により、大きな勢力を誇っていました。天正大地震によりその金銀財宝もろとも地下深く埋もれてしまった・・・。そうです、ここには埋没金伝説があります。


現在この地には「帰雲城址」の石碑が立てられていますが、崩落し地中深く埋まっていますので、「帰雲城」が何処にあったのかはわかっていません。



近くに「帰り雲神社」が建立されています。

IMG_4246_R.JPG

IMG_4248_R.JPG

『流れる雲は常にこの山頂に至り もと来た空に帰るという』・・・帰雲山の由来ですね。



さっきまで帰雲山に雲はありませんでしたが、雲がかかってきました。

IMG_4302_R.JPG

この雲ももと来た空に帰るのでしょうか・・・。



Ninjaで庄川の河原に降りてみました。

IMG_4339_R.JPG

IMG_4336_R.JPG

IMG_4335_R.JPG

山が半分ありません。

450年前のこの地は内ヶ島氏の帰雲城の城下町として賑わっていたでしょうが、現在は荒涼とした風景が広がります。


かつて白川郷を支配した内ヶ島氏とその一族、そしてその城下に住んでいた人々が一瞬のうちに消えてしまったか思うと、祈らずにはいられません。

IMG_4261_R.JPG

IMG_4261-1_R.JPG



では、また。




【おまけ】

白川郷で疲れたネコ発見!

IMG_2735_R.JPG

まるで、オレみたい・・・。

でも、前向きにガンバルぞ~。^^



【おまけ2】


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

この広告は180日新規投稿のないブログに表示されます